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人生の失敗に耐えられないディズニー映画

何度も上演されるオペラやクラシックバレエのストーリーは悲劇ばかりです。
シェイクスピア劇も悲劇が有名で人気です。
古典の能でも、亡霊となっても寂しく去ります。
主人公は死なないといけない、かつては悲劇の結末が好まれていました。

しかし現代では違います。
いつから私たちは、主人公の悲劇を耐えられるなくなったのでしょうか。
ハリウッド映画やディズニー映画はハッピーエンドだらけです。
もはや悲劇の結末は観客は受け入れられないでしょう。


ヨーロッパの悲劇童話を、ディズニー映画がリメイクして徹底的にハッピーエンドにしました。
人魚姫の原作は、最後に海の泡と消えて死にます。
本当は怖いグリム童話、なんてものがあるくらい、ヨーロッパ文学には残酷で悲劇なものが多いですね。
本当はグロテスクな白雪姫、原作は残酷描写なシンデレラ、王に暴行され身ごもる猟奇的な眠れる森の美女、現代の感覚で子供が見たら、歪んだ人間になりそうです。

ディズニー映画でハッピーなエンディングを見て育った世代が大人になり、今やバッドエンドに耐えられなくなりました。
ヨーロッパ児童文学じゃなく、アメリカ構文の別物ですね。
日本の童話だって、「泣いた赤鬼」や「ごんぎつね」がハッピーエンドになってリメイクされたら、「これじゃない」ですね。

マンガ黎明期の、手塚治虫のマンガは主人公がしょっちゅう死にます。
ヨーロッパ文学の影響があるのでしょうね。
現代は、マンガもジブリ映画も死にません。
主人公が死ぬような映画は、現代の観客は耐えられないのでしょう。
もう人間は殺せないので、都合良く、ロボットであれば犠牲にして死んでいい発想になってます。
ベイマックス、ターミネーター2、ドラえもん映画、いろいろあります。
これも時間の問題で、AIロボットが身近になったら、ロボットが死ぬなんて耐えられなくなるでしょう。

多分、先進国の戦争がなくなり、身近な悲劇が減ったからではないでしょうか。
ある意味で平和になっていい事だと思うのですが、弊害があると感じます。
ハッピーエンドじゃないと人生じゃない、そんな思想を産んでしまっているのではないかと思うのです。

不幸への耐性がなくなっている気がします。
自分の人生が悲劇なら、自分の人生じゃないと受け入れられないでしょう。
まさか誰もがシンデレラになれるとまでは決して思ってはいないでしょうが、何かしらハッピーじゃないと間違えた人生だと思い込みが作られているかもしれません。

悲劇のヨーロッパ文学が多い時は、自分の不遇の人生に置き換え、慰められていたのではないでしょうか。
社会問題が多くても、それでも歴史的に比較すれば平和で治安が良く豊かな現代なのに、むしろ苦しむ人が多いような気がします。

見る物語がハッピーエンドばかりなら、自分の物語が失敗作に感じてしまいます
見る物語に儚い悲劇があれば、自分の物語の悲劇に美しさを感じることもあり得るでしょう。

ディズニー映画も楽しいけど、哀しい童話を読む姿も美しいものです。


実は制作側も、ハッピーエンドじゃないと企画が通らないのでしょう。実経験でも、儚い破滅の企画は修正を強制されました。そんな結末じゃ物語の筋道が破滅だと嘆きましたよ。
ハッピーエンドの作品の裏には、制作者の悲劇があるかもしれませんね。



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