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求められるのは個性なんかじゃないということ

最近は会社でも学校でも「個性」がトレンドになっているようです.そこに多くの人が躓いているらしい.

これには私も納得です.

先日ある機会でキャリアアップに関する話を小耳に挟んだのですが,どうも個性が重要らしい.

その個性とは「読書」「資格」などといったもので作れるらしい.

私は読書が嫌いじゃないので別にいいのですが笑

しかし私が感じたのは「個性の履き違い」です.まず個性というのは作ることの出来ない,その人の「性格」です.

例えば,道路の真ん中でホフク前進をしているサラリーマンがいたとします.その人は他人から見れば変人以上に恐怖の存在でしょう.しかし目線を変えれば,それも「個性」なのです.

世の中には自分の便を食べてしまう人もいるようです.ですが,余人をもって代えがたいは,いい加減かもしれませんがその人しかできない個性に違いありません.

そのため私は今の社会の「個性ブーム」少し懐疑的な立場です.個性は全員が平等に与えられているものです.お酒が好きな人,勉強が好きな人,食べることが好きな人.....行動だけでなく,涙脆い人や怒りっぽい人も「個性」です.

少し批評的になってしまいましたが真理はそこにあります.赤ちゃんの頃から個性は存在します.例えばハイハイに関しても人によって学習スピードは異なります.

平均よりも早くハイハイが出来る者もいればそうでない者もいる.

要は社会が欲している個性というのは「社会用の自分」ということです.

英語ができる、アイデアを出せる、体力がある.それが社会用の個性である.

そして我々は常に自分を作って生きています.
本当の自分なんて最初から居ないのかもしれない.と思えるほど自分は演技しているわけです.

逆に家のテンションで社会生活を行うと他人からは驚かれ距離を置かれるでしょう.

結局は他人との共感できる知的生産人の集まりであると言う事です.私が疑問に思うのは言葉の綾のようなものであり,何一つ個性ではない事.

常に「個性を大切にしろ」と言われる世代は理解ができなくて正しいと思います.何故なら個性は大切にできないから.

今の話を見たら分かる事です.

「じゃあ何をしても無理じゃないか」と言う意見が出てくると思いますがそうではないのです.

個性は育成する事ができます.育成というと語弊があるので正しくすると情報を付け加えてあげる事です.

例えば先程の例で紹介したアイデアの出せる人材はどうでしょうか.

アイデアを出す時,人間は脳を最大までフル活用しようとします.ニューロンが繋がれ全体に波及していくわけです.

それは情報の電通のようなものです.情報と情報を組み合わせ編集させ出力する.すると一般呼称の「アイデア」が出現するのです.

この時の情報は生まれながらのものでは無いことは誰でも想像できるでしょう.

その情報は本なのかネットなのか.はたまた人からなのか.そういった情報を基に人間の個性が結びつき作用するわけです.

元々アイデアを出すのが得意な人はいます.しかし家にずっと閉じ籠り何一つ学習をしてこなかった人間はアイデアに知的性はないでしょう.

急に相対性理論を閃くような事は絶対に有り得ません.

それは情報を知っていたから閃いたわけで,生まれつき持っていたものではないのです.だからこそ個性は伸ばすことができる.

個性は作り出すことのできない独自性のあるものです.それが社会に適用できるのか、それとも問題児なのかはわかりませんが、今の社会の個性尊重性は懐疑的な感じがします.

私が言いたいのは個性探しなんかやめて「本を読もう」ということなのかもしれませんね笑.

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