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檸檬読書日記 未来を考える本。 1月23日-1月29日

1月23日(月)

窪美澄『夏日狂想』を読み終わる。
いや、正確には数日前に読み終わっていたけど、完全に忘れていた。

最初は中原中也なる人物が出てくるからと興味を引かれて読んだが、最終的には主人公である礼子に興味を持ってかれた。どちらかというと最初の方は、周りを掻き乱す感じに馴染めなかった。だけど読み進め、礼子が吹っ切れた後からだんだんと惹かれていく自分がいた。環境が激変していく中でも強く生きようとする姿に、完全に惚れてしまった。他の人達が彼女に惹かれた理由が分かった気がした。

激動の時代を懸命に生き、周りに流されるのではなく自分を貫こうとした姿に心打たれる、最高の作品だった。


1月24日(火)

唐辛子地獄にあっている。


この他にも大きいジッパーパンパンに2袋分在庫があって、中国か韓国かブータンの人か、ってくらい唐辛子にまみれている。 

大、中、小と、1本の苗で育てたのに、それぞれに大量に収穫できて、お得感は凄いけどどうやって消費しようか悩み中。キムチをつける用にと育てたけど…どんだけキムチをつければいいんだ…。

参考にコウケンテツさんの唐辛子の本とか、YouTubeで中国と韓国の方の見てみたけど、どれも唐辛子がメインくらい大量にいれる料理がほとんどで、辛いのが凄い得意なわけじゃないから、参考にはできなかった…。見るのは凄く楽しかったけど。
 
でも唐辛子は日持ちするから、いいのだけれど。暫くは作らなくてもよさそうだ。


若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』を読む。
デカルト『方法序説』について

現代人には、たくさんのことを早く知りたがる性向があります。でも、デカルトが私たちに教えてくれているのは、「早く知る」というよりも「たしかに知る」「深く知る」ことの意味です。つまり大切なのは、知るべきことを、知るべき時に知る、ということです。


今の時代は特に時短時短で、全てにおいて早さが求められている気がする。けれどそれだと、大切なことは見逃してしまう。
自分は短期記憶が少し得意で、今までそうやって覚えてきたけど、最後に振り返ってみた時、何も残ってはいなくて衝撃を受けた。
それならじっくり深く知っておけばよかったと、今でも後悔している。
だからこそ、これからはじっくりとゆっくりと知っていきたい。深く知っていきたいな。



1月25日(水)

『MONKEY』vol.28
西川美和「家族の街」

のりちゃん。どこにいるの。死んだのかい。死んだほうがよかっただろ。生きることのほうが怖いって、おじさんも言ってたもんな。のりちゃん、僕は一人で、困ったことになったよ。


死ぬより、生きる方が怖い。だからもう一度繰り返さないために、生き抜きたい。




1月26日(木)

靴下が欲しい…切実に。
足が霜焼けになるからと、温かい靴下を探したいとずっと思っているのだが、そう思っているうちに足が既に終わってしまった…。(霜焼けだらけ)

それでもまだ遅くないかも!と探してみる。温かいのなら、ウールがいいのかなと思ったりして、見てみるが、ウールはどうやら洗い方があるようで…。
それならと違うのも見てみるけど、たくさんあって何がよいのやら、分からなくなって混乱中。
結局何も買わずに目を閉じる。
浮いた分は本を買おう。


若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』
デカルト『方法序説』について


勉強することは、もちろん素晴らしいことです。でも、どれだけ勉強しても私たちはそこから、人から教えられたことしか学ぶことができません。自分で探さなければならないことは、自分で探すしかない。(略)たとえば、いまから私が、愛とはこういうものである、という講義をするとします。そこで私が(略)解説し、皆さんがそれについて「学ぶ」ことはできます。でも、それだけで本当の愛を「生きる」ことはできません。それは、自分が誰かのことを好きになって初めて分かることだからです。(略)デカルトは、私たちに何かを「学ぶ」ことと、何かを「生きる」ことは違ういうのです。さらに、何かを「学ぶ」ことと「生きる」ことの両方の道があることを伝えている。どちらかだけでなく、私たちは両方を同時的に生きなければならないということを、デカルトは解き明かしてくれているのです。


頭と心、二つで学んでこそ真の学びになるということだろうか。
片方だけでは駄目なんだろうな。頭も心も未熟者としては、なかなかに難しい…。


三島由紀夫『三島由紀夫のレター教室』を読む。


氷ママ子女史より、最近お手紙をいただきましたが、その中に、「山トビ夫は何とイヤな男でしょう。(略)あれに会う時があったら、私の代理で、唾を吐きつけておいてちょうだい」とありましたが、最近ちっともお会いする機会もないし、(略)僕の唾を染ました紙を同封しておきます。顔にでも塗っておいてください。 


丸トラ一が1番好きだな。
憎めないあほうさがいい。



1月27日(金)

鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』を読む。
日本の食料の危険性を説いた本。

凄くためになったし、先のことを考えさせられる本だった。
薄々は分かっていたことだが、この本でどれだけ危ないか再認識できた。

日本の食料自給率は、年々減っていて、今は37%しかない。(実際はもっと少ないらしい)つまりは、何かあった時に10人のうち3人しか食べれなくなるということを意味している。
半分以上も食べれなくなってしまうのだ。

それでも、何かあるわけないだろうとか、そうなったら他の国からもらえばいいとか考える人がほとんどで…。
そうであってほしいけど、何がなくても、他の国から食料をもらえなくなるのは大いにあると思う。
全ての国で食料が減れば、自国で賄いたいと思うのが当然なわけだから、日本には回ってこないだろう。

そうなると自分の国でどうにかしないといけないけれど、3人分しか賄えない。
それでもしばらくはお金があれば買えるかもしれないが、お金があっても買えない状況になってしまうかもしれないということ。
その上食べれるものといえば芋だけで、食べれても3食芋生活になってしまうとか…。
嫌いではないけど、それはちょっと辛すぎる…。

それならどうすればいいか、日本の食を増やさなくてはいけない。
そのために、自分達で栽培するのも大切で、特に種を作るのが大事になってくる。
種を制するものは世界を制す、と言われているように、種は凄く大事。
けれど今はほとんど海外のものばかりで、その上1回しか(育てて種をとっても、その種は使えないということ)育てられないものばかり…。
だから日本の種を受け継いで、続けていくことが大切になってくる。
同時になるべく日本のものを買う。そうして日本の農家を支えることが大事だという。

つづく。


1月28日(土)

引き続き
鈴木宣弘『世界で最初に飢えるのは日本』

この本には、食料自給率の危機の他にも、他国や農薬等の危険性も書かれている。

よく聞くのは、肉。
特に海外産の肉は、早く大きくするためにホルモン剤やらなにやらを入れている。
それらは人にあまりよくない物質で、病気の原因にも繋がってしまう。

それなら何故そんな危ないものを仕入れているのか、仕入れているなら大丈夫なんじゃないかと思うかもしれない。
だけど、通ったからといって、安全というわけではないのだそう。
日本は検疫がザルで、食べれるの判断されているが、自国では禁止されていて食べないほどに、安全ではない。だからこそ日本には自分の国では食べないものでも売れるからと来てしまうのだけど…。

農薬や添加物を使う食品も、然り。
自国では食べないけど、日本は大量に買ってくれるから、来てしまう。
海外産だけではない。日本産でも、最近はほとんどのものが農薬や添加物等を使っている。
その方が安くて綺麗で売れるから。

反対に、農薬も添加物も使わない食品は、売れないからとどんどん減っていってしまっている。農家も酪農家なども、辞めていってしまっている。
それが食料自給率を下げている要因なのだが…。

等々、本では、もっと分かりやすい説明と読みやすい文章でまとめられている。
この本を読むと、辛い気持ちになるし怖くなるけど、知らないほうがもっと怖いと自分は思う。
それに、食い止めたいとも思う。
だからこそ、たくさんの人に読んで欲しい。

食は、最も大事なものだと思う。
そして飢えは最も辛いものだとも思う。
誰もが辛いのは嫌いで、苦しいのも避けたいはずじゃないだろうか。
誰もが大切な人には、飢えという辛い思いをさせたくないはずで、いつでも満腹に食べて健康に育ってほしいと願っているのではないだろうか。
だからこそ、最悪な未来にならないために、たくさんの人にこの本を読んで欲しい。

食がなくならないように、食べれなくならないために、食のことを考えて、もっと知って欲しい。そして日本のものを買い支えて、食を守って欲しい。
そう、切に切に願うばかり。


1月29日(日)


忘れて放置していたオクラの種をとる。
これで今年も作れるぞ(ニマニマ)


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