掌編小説 『僕たちは大人になる』
その朝から人々は実年齢ではなく、精神年齢どおりの姿で生活するようになった。これからは飲酒も、煙草も、車の運転も、選挙も、結婚も、精神年齢によって制限される。
この国にはびこる幼児虐待や違法運転、飲酒による迷惑行為や国会議員による不祥事といったさまざまな問題を解決する為である。そうした問題が頻発するのは、未熟な精神を持つ大人に、本来なら扱いきれない権利を許しているからではないか。ならば権利を与えるのは、実年齢ではなく精神年齢を基準にしよう。と、いうことになったのである。
マコトは十四歳。目覚めて鏡を見ると、昨日と何も変わらず十四歳の姿のままだった。
こんなものか、と、思ってダイニングキッチンへ行くと、自分よりも小さな女の子が背伸びをしながら朝食の準備をしている。五、六歳くらいだろうか。
「おはよう、マコト」
女の子は振り向いて、親しげに挨拶をしてきた。「誰?」見知らぬ女の子に、マコトは眉をひそめる。
「いやねえ、マコトったら。判らないの? お母さんよ」
「お母さん?」
マコトは目を見張る。二つ結びをした母親は、まんまるとしたあどけない頬に手を当てて、うふふと笑う。
「寝て起きたら一気に若返っちゃって。お肌もつるつるで、嬉しいわあ」
なんてのん気な。マコトはあきれてしまう。自分が息子よりも遥かに年少の姿をしていることに、ちっとも動揺していない。
ぺたんぺたんとスリッパの音を立てながら階段を下りてきたのは、こちらも六歳くらいの少年だった。
「もしかして、父さん?」
少年は大きくあくびをして、マコトを見た。
「ああ、マコト。何だ、お前は何も変わってないなあ」
母親が表情をしかめる。
「いやだ、あなたの精神年齢ってそんな子どもだったの」
ぶかぶかのパジャマを着た父親は、ふん、と、鼻を鳴らして、
「お前だって、お子様じゃないか」
どおりでうちの両親の言い合いが絶えない訳だ、と、マコトは納得する。全くおままごとの夫婦じゃないか。
登校すれば同級生も教師も子どもばかりだった。道路には車がわずかしか走っておらず、電車もバスものきなみ運休しているらしい。
街行く人のほとんどが子どもで、大人を見つけるのは困難だった。コンビニの客も、店員も、子ども。パンを焼く人も、買う人も、ドラッグストアも回転寿司屋も、子ども、子ども、子どもだらけだ。これじゃあ酒が飲めないと、公園のベンチで嘆く男の子二人組の実年齢はいくつなのだろう。
テレビの国会中継も議員席に座る全員が子どもで、乱闘騒ぎを起こしてみんなで泣きわめいていた。近く総辞職をするらしい。週末のワイドショーでいつも政治家を強く批判していた評論家も、小学生の体になってばつが悪そうに沈黙していた。
「うちは離婚するってさ。父さんは三歳で、母さんは四十代だもの。無理があったんだよ、最初から」
下校の途中、親友のミノルが憂鬱そうに呟いた。
以前から彼の両親の仲は冷えきっていて、マコトはたびたび悩みを打ち明けられていた。ミノルもマコトと同じく十四歳の姿のままだった。
「うちもそうだよ。二人とも本当は結婚できる年齢じゃなかったから」
今後こうした家庭が増えて、新たな問題になるだろうと、ニキビの目立つニュースキャスターが話していた。
二人の横をベビーカーを押す幼い女の子が通っていく。赤ちゃんが泣きだすと、うるさい、と、言って、小さな手でその頬を叩いた。だめだよ、と、とっさにマコトが注意をすると、女の子はマコトをめいっぱいにらんで、行ってしまった。ベビーカーは女の子には大きくて、前がよく見えないようだった。
ミノルが重苦しげな溜息を吐く。
「超高齢化社会だなんてさんざん言われていたけれど、何だ、この国に本物の大人なんて、全然少ないじゃないか」
そうだな、と、マコトは頷く。
「俺たちはちゃんとしたおじさんになれるかな」
「さあ、どうだろう。おじさんにもジジイにも、ちゃんとなれる自信なんてないよ。近くに全然、お手本がいないんだから」
以前は年を取って大人になるなんて、絶対に嫌だと思っていた。おじさんになるなんて、最悪だと。けれど今は、違う。
「なろうよ、俺たち。頑張って成長して、一緒にお酒を飲める大人にさ。なろうよ。中年太りのおじさんにも、しわしわのおじいさんにも」
「何だかすっごく難しそうだけどなあ」
二人は顔を見合わせて苦笑した。これまでは当たり前だったことが、途方もない夢となってしまった気がした。
【 終 わ り 】
*フォトギャラリーより素敵な作品をお借りしました。どうもありがとうございました*
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