1947年大移住号と1960年の映画劇『大移住』
1918年(大正7年)11月23日、オスマーニー帝界領の占領下のシャーム地方を統括するブリティッシュ王立軍、フランセ共和国軍、アラブ軍の「占領下敵国領政庁」(Occupied Enemy Territory Administration)が三分割された。
1920年(大正9年)8月10日、オスマーニー帝界と戦勝国の間で結ばれた条約で、連合王国によるシャーム地方のパレスタインの委任統治が定められた。
1931年(昭和6年)1月、連合王国の委任統治領パレスタインの古代イスラエル人の最初の王とされるダヴィードゥ王の墓が山頂にあるツィオン山があるイェルシャライムに、6階建ての高級ホテル「デイヴィドゥ王ホテル(King David Hotel)」が開業した。
「デイヴィドゥ王」は「ダヴィードゥ王」のイングリッシュ語訳だ。
1931年(昭和6年)、連合王国の委任統治領パレスタインで、イェフディ人の独立国ツィオン(イスラエル)建国を目指すツィオン運動組織「防衛団(ハガナー)」から、アラブ人との融和政策に反対し、分派した威嚇攻撃民兵組織「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」が結成された。
1937年(昭和12年)4月、アラブ人暴動の最中に「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」は分裂し、成員の約半数が「防衛団(ハガナー)」に復帰した。
残りは新しい「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」を結成した。
1946年(昭和21年)7月1日、アメリカ連合国が、ビキニ環礁(Bikini Atol)で、原子爆弾の空中爆発実験をおこなった。
実験標的にされた軽巡洋艦酒匂(さかは)は真上が爆心地となったために大破炎上し、翌日に沈没した。
1946年(昭和21年)7月22日、連合王国が犯罪捜査局と軍司令部を置く「デイヴィドゥ王ホテル」南側の建物が「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」により爆破され91人が死亡した。犠牲者の多くは政府幹部と事務職員だった。
1946年(昭和21年)7月25日、アメリカ連合国が、ビキニ環礁で、原子爆弾の水中爆発実験をおこなった。
1947年(昭和22年)2月25日、「防衛団(ハガナー)」が極秘に造船した蒸気船「ウォーフィールドゥ大統領(President Warfield)」号はボルティモア港からフランセ共和国のマルセイユに向けて出港した。
1947年(昭和22年)7月11日、蒸気船「ウォーフィールドゥ大統領(President Warfield)」号が、1941年(昭和16年)7月~1945年(昭和20年)4月のドイチュ人によるイェフディ人無差別虐殺を免れた、モーデカイ・ロスマン(Mordechai Rosman、1917年~2014年6月6日)を指導者とする男女4,554人、子供655人を乗せ、フランセ共和国の地中海に面したセトゥ港(Sète)を出航し、イスタンブルに行くと見せかけ、集団移住の目的地、連合王国の委任統治領パレスタインに向かった。
この作戦は「防衛団(ハガナー)」の29歳のヨスィ・ハルエル(Yossi Harel、1918年1月4日~2008年4月26日)が指揮し、「防衛団(ハガナー)」の23歳のアイク・アロノヴィッチ大尉(Ike Aronowicz、1923年8月27日~2009年12月23日)が船長だった。
パレスタインを委任統治する連合王国の王立海軍と王立空軍が「ウォーフィールドゥ大統領」号を追跡し、同船の航行を中止するよう繰り返し要求したが、「ウォーフィールドゥ大統領」号はその要求を無視した。
「ウォーフィールドゥ大統領」号がパレスタイン領海に近づくと、王立海軍の護衛は軽巡洋艦「エイジャックス(Ajax)」号が率いる駆逐艦 5 隻と掃海艇 2 隻に増強された。
1947年(昭和22年)7月17日、外洋での式典で「ウォーフィールドゥ大統領」号は、イヴリートゥ語の聖書『タナフ』の第二の書、ミツライム(ケメトゥ(古代エジプト)を指すイヴリートゥ語)からスィーナ半島へのイスラエル人の大移住を物語る『シェモートゥ』(『大移住(Exodus)』)を踏まえて「1947年大移住(Exodus 1947)」号に改名され、イェフディ人の象徴「ダヴィデの星」(六芒星)をあしらったツィオン運動の旗(後のイスラエル国旗)が掲げられ、ツィオン運動の讃美歌「希望(ハティクヴァ)」(後のイスラエル国歌)が何度も歌われた。
1947年(昭和22年)7月18日、「エイジャックス」号と駆逐艦数隻が「1947年大移住」号を武力で制圧し、「大移住1947年」号がパレスタインのハイファ港に入港した。
2日後、不法移民は 「司令界競合(Empire Rival)」号、「大洋精力(Ocean Vigour)」号、「ラニミードゥ・パーク(Runnymede Park)」号に乗せられ、フランセ共和国に強制送還された。
船はマルセイユから、当時、連合王国の占領地だったハンボイヒに向かった。
1947年(昭和22年)9月7日、 「司令界競合」号、「大洋精力」号、「ラニミードゥ・パーク」号に乗せられたイェフディ人がハンボイヒで下船した。
1947年(昭和22年)9月29日、「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」およびイスラエル解放戦士団(「あご骨(レヒ )」)が、連合王国によるイェフディ人移民の追放に対する報復として、ハイファにあるパレスタイン警察本部を爆破した。10人が死亡、54人が負傷し、そのうち33人がブリティッシュ人だった。
1947年(昭和22年)11月29日、連合民界(United Nations)総会が、連合王国の委任統治期間の終了に伴い、委任統治領パレスタイン(アルフィラスティーン)の分割計画を決議した。
イェフディ人はテル・アヴィーヴとイェルシャライムに集まり、一晩中これを祝った。
数日後、61歳のダヴィードゥ・ベン・グリオン(David Ben Gurion、1886年10月16日~1973年12月1日)(後のイスラエル初代首相)はエレツ・イスラエル労働者党中央委員会で演説した。
1948年(昭和23年)5月14日、アルフィラスティーン(パレスタイン)沿岸地方にイスラエル国が建国された。
1948年(昭和23年)5月15日、 アラブ人の5か国、スーリーヤ共和国、アルルブナーニーヤ共和国、シャルク・アルウルドゥン王国、アルエラーク王国、アルマスリーヤ王国の正規軍がイスラエル国に侵攻した。
1948年(昭和23年)5月17日、61歳のダヴィードゥ・ベン・グリオンが初代イスラエル首相に就任した。
1948年(昭和23年)5月26日、イスラエル防衛軍(ツァハル)が創設され、「防衛団(ハガナー)」も統合された。
1949年(昭和24年)1月12日、「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」が解散した。
1950年(昭和25年)12月31日、東京・東銀座の松竹直営の東京劇場が洋画系の映画劇封切り館となった。
1952年(昭和27年)4月28日、日本国が領域主権と外交主権を回復した。
1952年(昭和27年)5月15日、日本国がイスラエル国の主権を承認し、外交関係を樹立した。
1953年(昭和28年)5月27日から1954年(昭和29年)3月19日まで、43歳の黒澤明(1910年3月23日~1998年9月6日)脚本・監督の映画劇『七人の侍』の撮影がおこなわれた。
1954年(昭和29年)4月26日、映画劇『七人の侍』(207分)が公開された。
1956年(昭和31年)5月15日、 東京急行電鉄が株式会社東急文化会館を設立した。
1956年(昭和31年)7月26日、アルマスリーヤ共和国がフランス共和国の民間投資家とブリトゥン王家が大株主のシュエズ海洋運河万国社(Compagnie universelle du canal maritime de Suez)が保有・運営するスウィース運河の国有化を宣言した。
1956年(昭和31年)10月29日~11月7日、イスラエル陸軍がアルマスリーヤ共和国領のスィーナー半島に侵攻した。
1956年(昭和31年)11月19日、ニュー・ヨークの同業組合50丁目劇場(Guild 50th Street Theater)で、映画劇『七人の侍』The Magnificent Sevenの短縮版のイングリッシュ語字幕スーパー版が公開された。
1956年(昭和31年)12月1日、渋谷駅前に、株式会社東急文化会館の運営により、地上8階、地下1階、塔屋3階建ての東急文化会館が開業した。
建築設計は、坂倉準三(1901年5月29日~1969年9月1日)だった。
1階に高級映画館「渋谷パンテオン」(座席数1,119)、5階に映画館「渋谷東急」(座席数824)、6階に旧作専門映画館「東急名画座」(座席数381)、地下1階に入場料10円のニュース映画館「東急ジャーナル」(座席数374)が開館した。
1956年(昭和31年)12月1日、新宿区歌舞伎町のアイススケートリンク跡に新宿東急文化会館が開業した。
1階に洋画封切り館の1,500席のミラノ座、地下1階に1,000席の新宿東急が営業を開始した。
1957年(昭和32年)5月25日発売の『講談倶楽部』(講談社)7月号(130円)~10月25日発売の12月号に53歳の富田常雄(1904年1月1日~1967年10月16日)の小説『小えん日記』が連載された。
1958年(昭和33年)9月、ニュー・ヨークで、イェフディ人の34歳のリオン・ユリス(Leon Uris、1924年8月3日~2003年6月21日)著の1948年(昭和23年)のイスラエル建国までの経緯についての長篇小説『大移住』Exodus(Doubleday & Company)が刊行された。
1936年(昭和11年)6月30日刊の大内戦(Civil War、1861年4月12日~1865年5月26日)期と大再建(Reconstruction、1865年~1877年)期のジョージャ国(State of Georgia)を舞台とする、マーグレトゥ・ミチュル(Margaret Mitchell、1900年11月8日~1949年8月16日)の長篇小説『風と共に去りぬ』Gone with the Wind(Macmillan Publishers)に次ぐ大ベストセラーとなった。
1959年(昭和34年)2月20日、富田常雄著『小えん日記』(講談社、290円)が刊行された。
装幀は78歳の熊谷守一(くまがい・もりかず、1880年4月2日~1977年8月1日)だ。
1959年(昭和34年)10月10日、アルクワイトゥで、30歳のヤーセル・アラファートゥ(1929年8月24日~2004年11月11日)らにより、アルフィラスティーニー民族解放運動(ファタハ)が結成された。
1960年(昭和35年)2月29日から5月3日まで、シウダドゥ・デ・メヒコ(Ciudad de México)で、映画劇『七人の侍』の設定をメヒコに置き換えた、59歳のジョン・スタージェス(John Sturges、1911年1月3日~1992年8月18日)制作・監督、46歳のウィリアム・ロバーツ(William Roberts、1913年9月4日~1997年3月5日)脚本、総天然色の西部劇『堂々たる七人』The Magnificent Sevenの撮影がおこなわれた。
主演は、39歳のユル・ブリナー(Yul Brynner、1920年7月11日 ~1985年10月10日)、44歳のイーライ・ウォラック(Eli Wallach、1915年12月7日~2014年6月24日)、 30歳のスティーヴ・マクウィーン(Steve McQueen、1930年3月24日~1980年11月7日)だった。
1960年(昭和35年)3月半ばから6月末まで、リオン・ユリス原作、54歳のドルトゥン・トゥランボウ(Dalton Trumbo、1905年12月9日~1976年9月10日)脚本、イェフディ人の54歳のオトー・プレミンジャー(Otto Preminger、1905年12月5日~1986年4月23日)制作・監督の史実に似せた虚構の歴史を再構成し、イスラエル国の武力行使を正当化する総天然色の政治宣伝映画劇『大移住』Exodusの撮影がおこなわれた。
主演はイェフディ人の35歳のポール・ニューマン(Paul Newman、1925年1月26日~2008年9月26日)、35歳のイーヴァ・マリー・セイントゥ(Eva Marie Saint、1924年7月4日~)だった。
イェフディ人の14歳の金髪の少女カールン・ハンスン・クレメントゥ(Karen Hansen Clement)を14歳のジル・ハワース(Jill Haworth、1945年8月15日~2011年1月3日)が演じた。
イェフディ人の17歳のドーヴ・ランダウ(Dov Landau)を21歳のサル・ミニオ(Sal Mineo、1939年1月10日~1976年2月12日)が演じた。
1960年(昭和35年)10月12日、アメリカ連合国で、映画劇『堂々たる七人』The Magnificent Seven(128分)が公開された。
1960年(昭和35年)11月8日、48歳の新藤兼人(しんどう・かねと、1912年4月22日~2012年5月29日)脚本、51歳の関川秀雄(せきがわ・ひでお、1908年12月1日~1977年12月16日)監督、22歳の中村賀津雄、37歳の三國連太郎(1923年1月20日~2013年4月14日)、21歳の佐久間良子(さくま・よしこ、1939年2月24日 ~)主演の総天然色の映画劇『大いなる驀進(ばくしん)』(89分)が公開された。
東京16:35発、長崎12:25着の全車冷房完備の寝台特急「さくら」号での出来事を描く群像劇だ。
『人生(Life)』1960年(昭和35年)12月12月号の表紙は、映画劇『大移住』Exodusのカールン役の14歳のジル・ハワースと17歳のドーヴ・ランダウ役の21歳のサル・ミニオだった。
1960年(昭和35年)12月15日、ニュー・ヨークのウォーナー劇場(Warner Theatre)で、映画劇『大移住』Exodus(212分)が公開された。
以下、ネタバレあり
1947年(昭和22年)の連合王国軍が占領する地中海のキプロシュ島。
この島での戦闘で報道写真家の夫トム(Tom)を亡くした アメリカ連合国公衆衛生局(U.S. Public Health Service )の看護婦、長老派教会信徒(Presbyterian)の家に生まれた30代半ばの金髪のアメリカン人キティ(Kitty)ことキャスリン・フリモントゥ(Katherine Fremont)(イーヴァ・マリー・セイントゥ)をタクシー運転手(フェードゥルシュ・スタスィーノシュ)が案内する。
港で、連合王国の王立海軍に拿捕された、連合王国占領下のハンボイヒからイェフディ人の集団移民を乗せた船「ダヴィードゥ(デイヴィドゥ)の星(Star of David)」号に乗ってきたイェフディ人が、ブリティッシュ軍の兵士に見守られながら、手荷物をもって列に並び、カラオロシュの収容所に向かうトラックの荷台に順番に乗る。
移民の中に14歳の金髪の少女カールン・ハンスン・クレメントゥ(Karen Hansen Clement)(ジル・ハワース)がいる。
キティのタクシーがトラックの車列の近くまで来る。タクシーの前を、ブリティッシュ軍のイェフディ人難民を乗せたトラックが何台も通過する。
17歳のドーヴ・ランダウ(サル・ミニオ)がトラックの荷台を飛び降りて、走って逃げるが、兵士と殴り合い、城塞の石垣の上から落ちて気絶し、二人の王立軍兵士に運ばれる。
キティは亡き夫トムをよく知る王立陸軍のサザランドゥ大将(General Sutherland )(ラルフ・リチャードゥスン、Ralph Richardson)を訪ねる。キティは反セム主義者のフレディ・コールドゥウェル少佐(Major Freddy Caldwell)(ピーター・ローフォードゥ、Peter Lawford)を紹介される。
准将からイェフディ人の看護を提案されたキティは初めは断るが、フレディのセム種族差別的な言葉を聞いて考えを変える。
夜、「防衛団(ハガナー)」に属するタクシー運転手のルーベン(Reuben)(ポール・スティーヴンツ、Paul Stevens)の手引きで、海岸近くの小船から海に飛び込んだ、「防衛団(ハガナー)」の30代半ばのアリ・ベン・クナアン(ケイナン )(Ari Ben Canaan)(ポール・ニューマン)が非合法的に上陸する。
翌日、フレディはキティを収容所に案内する。キティは「防衛団(ハガナー)」の一員でイェフディ人代表のダヴィードゥ(デイヴィドゥ)・ベン・アミ(David Ben Ami)(マイクル・ウェイジャー、Michael Wager)を紹介される。
収容所の仮設診療所で、キティは負傷した反抗的なドーヴ、ドーヴを看護するカールンと出会う。
さらに、キティは初老のサミュエル・オードゥンハイム医師(Dr. Samuel Odenheim)(マーティン・ミラー、Martin Miller)と出会う。
アリ・ベン・クナアンはタクシー会社と海運会社を経営するキプリアキ人のマンドゥリア(Mandria)(ヒュー・グリフィス、Hugh Griffith)と会う。事務所には同志のダヴィードゥ・ベン・アミと彼の下で収容所で働くモーデカイ(Mordekai)(マーティン・ベンスン、Martn Benson)がいる。
アリ・ベン・クナアンの任務は、民界連合総会のパレスタイン分割案決議採択に合わせて、収容所のイェフディ人611名を船でパレスタインに運ぶことだ。
その夜、キティはサザランドゥ大将家のパーティで大将に、カールンを1日収容所から連れ出しいたいと頼む。ショパン(Fryderyk Chopin、1810年3月1日~1849年10月17日)「夜想曲」第2番 変ホ長調 Op. 9, No. 2(1831年)が聴こえる。
翌日の午後、マンドゥリア、モーデカイと一緒に老朽化した貨物船「オリンピア(Olympia)」号を検分し、ハンク・シュロスバーグ船長(Captain Hank Schlosberg)(ジョン・クローフォードゥ、John Crawford)と会ったアリ・ベン・クナアンは船を承認し、食料、多数のラジオ・スピーカー、トラック数台に加えてジープを盗んで提供するようマンドゥリアに依頼する。
キティはカールンに海水浴をさせる。キティはサザランドゥ大将に、カールンを養女にしてアメリカ連合国に連れ帰りたいと言う。だがキティがカールンにアメリカ連合国に行きたいかと尋ねると、カールンはすぐに返事ができなかった。
その後、収容所で、キティはオードゥンハイム医師から、カールンは孤児でないかもしれないと聞く。カールンの父ヨーハン・クレメントゥ(Johann Clement)は有名な科学者で、カールンが6歳の時、彼女をドイチェス司令界からデンマーク王国に送り出したのだという。カールンの母と兄はイェフディ人という理由でダハウ強制収容所で殺されたが、ヨーハンはパレスタインにいるかもしれないのだ。
数日後、アリ・ベン・クナアンは昔、王立陸軍の将校だった時の軍服を着て、ボウエン大尉(Captain Bowen)の偽名を使い、車両の積み込みの将軍の偽造命令書を持って王立軍の運輸部を訪れ、移民の船での移送の偽命令書を持って移民収容所を訪れる。
移民たちがトラックで港に運ばれる。アリ・ベン・クナアンは、キティと一緒に車で通りがかったコールドゥウェル少佐を欺いて命令書に署名させる。
キティは、カールンが間違って乗船したのではと怖れていることをアリに伝える。
その後、キティとコールドゥウェル少佐はサザランドゥ大将に会う。キティはカールンが間違って移送されることを心配している。命令書が偽物だと気づいた大将は少佐に港の封鎖を命じる。
オリンピア号が出航した直後、コールドゥウェル少佐は無線で船にドックに戻るよう警告する。オリンピア号を「大移住(Exodus)」号と改称した船上のアリ・ベン・クナアンは無線で、機関室に200パウンドゥ(90キログラム)のダイナマイトが仕掛けてあり、王立軍が乗船すれば爆破すると答える。
その脅しをコールドゥウェル少佐からの電話で聞いたサザランドゥ大将は、カールンの身を案じるキティに乗船させ、様子を探らせる。
乗船したキティはアリ・ベン・クナアンと会うが、カールンの命を案じるキティに対し、アリはイェフディ人の生命を心配するのが「10年遅すぎた(10 years late)」と非難する。
キティと再会したカールンは、パレスタインで父を探すつもりだというと、イェフディ人の同誌たちと運命を共にする覚悟を語る。
サザランドゥ大将が埠頭に到着し、王立軍は船には乗らないが港は封鎖されたままだと無線でアリ・ベン・クナアンに告げる。
ポラーツ人の農民ラカヴィッチ(Lakavitch)(グレゴリ・ラトフ、Gregory Ratoff)は、アリ・ベン・クナアンに断食抗議行動を呼びかける。アリは難民たちに20分間熟考させるが、皆は収容所には戻らず、命を賭けて断食抗議行動をおこなうことを選び、夜、食糧を海に捨て、ツィオン運動の旗(後のイスラエル国旗)を掲揚する。ツィオン運動の讃美歌「希望(ハティクヴァ)」(後のイスラエル国歌)が流れる。
この断食抗議行動はたちまち世界中で報じられ、その結果、分割に関する民界連合の投票が遅れた。モーデカイが報道内容を拡声器で船内に伝える。
数日後、オードゥンハイム医師が心臓発作で倒れて亡くなった。
サザランドゥ大将は王立軍の上層部に陳情するためランドゥンに向かう。キティは「大移住」号に乗船し、自分も断食抗議行動に加わる。
その夜、ドーヴはカールンに「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」に入り、ブリトゥン人を殺しまくるという野望を語る。アリ・ベン・クナアンはそれを立ち聞きする。
ランドゥンから戻ったサザランドゥ大将は無線で「大移住」号に、出航とハイファ上陸の許可が下りたと告げる。移民たちは歓喜する。キティとカールンも抱き合って喜びを分かち合う。
「大移住」号はハイファ港に着き、移民たちとキティは下船する。ドヴはイェルサレムの「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」の隠れ家を訪ね、王立陸軍警察の男(ジョン・ヴァン・アイセン、John Van Eyssen)に逮捕される。
イルグンの女がそれを目撃し、組織の一味の雑貨店経営者(サミュエル・スィーガル、Samuel Segal)に通報する。
カールンたち移民の少年少女はバスで、「世界ツィオン運動組織(World Zionist Organization)」の下部組織「パレスタインのためのジューウィッシュ人(イェフディ人)局(Jewish Agency for Palestine)」局長、ラッスィースカヤ司令界からこの地に移住した、アリの父バラク・ベン・クナアン(Barak Ben Canaan)(リー・J・カブ、Lee J. Cobb)が運営する、イズレエル渓谷の少年少女の集団農場(キブツ)「ガン・ダフナ(Gan Dafna)」に着く。
ガン・ダフナの診療所のリーバマン医師(Dr. Lieberman)(フィーリクス・エルマー、Felix Aylmer)、アリの母サラ(Sarah)(ベティ・ワーカー、Betty Walker)、アリの妹ジョーダナ・ベン・クナアン(Jordana Ben Canaan)(アレクサンドゥラ・ストゥワルトゥ、Alexandra Stewart)、近くのアラブ人の村アブ・イェシャ(Abu Yesha)の村長(ムフタール)でアリの幼馴染のタハ(Taha)(ジョン・デレク、John Derek)もいる。
アリの恋人で、17歳の時にアラブ人の拷問で殺された闘士ガン・ダフナの銅像が建っている。
バラク・ベン・クナアンは新参の少年少女に勤労の美徳を説くき、タハを紹介する。
ドーヴがパレスタインに合法的に入国したことを確認したイェルシャライムの王立軍は彼を釈放し、雑貨屋で働くヨアヴ(Yoav)(ジョージ・マハリス、George Maharis)がドーヴをアキヴァ・ベン・クナアン(Akiva Ben Canaan)(デイヴィドゥ・オパトーシュ、David Opatoshu)の隠れ家に連れて行く。
ドーヴはアウシュヴィッツ強制収容所にいたことを話すが、本当のことを隠していた。ドーヴは、アキヴァ・ベン・クナアンに、殺されたイェフディ人の死体処理を担う特命隊(Sonderkommando)に入ることで生存できたことを見抜かれ、泣きながら事実を打ち明け、ドイチュ人から虐待を受けたことを話す。
ドーヴは「イルグン」への参加を許される。
数日後、イェルシャライムのデイヴィドゥ王ホテルで、アリ・ベン・クナアンは、思想の違いから10年も兄バラクと会っていないアキヴァ・ベン・クナアンに「防衛団(ハガナー)」との共闘を訴えるため、ヨアヴと会う。ホテルのレストランで偶然キティを見かけたアリはキティと食事をするが、電話が入り、席をはずす。
アリは、キティに断りを入れる間もなく、ヨアヴのバイクで、アキヴァの隠れ家の聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)の敷地に向かう。アキヴァは連合王国やアラブ人諸国との妥協を拒否し、爆弾威嚇攻撃による武装闘争のみを信じている。
翌日の午後、アリ・ベン・クナアンは車でキティをガン・ダフナに連れていく。途中のアブ・イェシャ村、ガン・ダフナのあるイズラエル峡谷を見わたせる三本の針葉樹の立つ丘で二人は恋に落ちる。
生家に着いたアリ・ベン・クナアンは、父のバラクにキティを紹介する。バラクはサラに息子の帰郷を伝えたあと、ジョーダナ・ベン・クナアンが助手として働くガン・ダフナの診療所のリーバマン医師に電話する。リーバマン医師は庭で少女たちに棒術を教えていたジョーダナにアリの帰郷を伝える。
その後、ガン・ダフナのカールンを訪ねたキティは、カールンから闘士ガン・ダフナの銅像を見せられ、その由来と、アリが独身でいる理由を教わる。カールンは、リーバマン医師が父ヨーハン・クレメントゥの居場所を知っていると言う。
キティがカールンと別れた直後、アリ・ベン・クナアンがガン・ダフナに来る。キティはアリに、自分はここでは部外者だと感じるので、これ以上恋愛関係を続けるべきではないと告げる。
別の日、キティとカールンはアリ・ベン・クナアンに案内され、イェルシャライムの病院に入院しているカールンの父ヨーハン(ピーター・マドゥン、Peter Madden)と面会する。カールンが手を握って接吻し、頬ずりしても無反応なヨーハンに、カールンは落胆する。
カールン、キティ、アリが病院を出ると、近くのデイヴィドゥ王ホテルで爆発が起きる。爆発物を仕掛けたドーヴはヨアヴのバイクで逃走するが、それをブリトゥン王立軍兵が連携して追跡し、「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」の聖墳墓教会の敷地内の隠れ家にたどり着く。
アキヴァ・ベン・クナアンと二人の部下が逮捕されるが、別室にいたドーヴは教会堂に逃げ込み、聖像の裏に隠れる。
2週間後、 アキヴァ・ベン・クナアンと2人の部下は裁判所で絞首刑を宣告される。
アッコ城塞の拘置所のアキヴァに、アリと一緒に来たバラク・ベン・クナアンが面会する。
アリ・ベン・クナアンは、アラブ人の親友タハの協力を得て、敵対していたヨアヴら「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」幹部たちと交渉し、アッコ城塞の政治犯解放計画をもちかける。
ドーヴは爆弾作りと爆破を指導するため、あえて投獄される。獄中の政治犯の家族や恋人の女子供や老人も脱獄計画に協力する。囚人たちは密かに獄中に持ち込まれた材料で夜、爆弾を作る。
脱獄決行の日、獄中のドーヴら囚人と外部のアリ・ベン・クナアンらが呼応して、爆弾と爆薬を使い、囚人を解放する。
ヨアヴの運転する車でアリとアキヴァ・ベン・クナアンが逃走するがブリティッシュ王立軍の道路封鎖を突破した直後、アリとアキヴァは銃で撃たれ、アキヴァはアリの腕に抱かれて死ぬ。
ガン・ダフナの人々は「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」による脱獄のラジオ・ニュースを聞く。ドヴを案ずるカールンは部屋にこもる。カールンを案じたキティが彼女の話を聞く。カールンは、キティの故郷アメリカ連合国に移住せず、ガン・ダフナに残ると言う。
アリ・ベン・クナアンはガン・ダフナでリーバマン医師の手術を受けた後、タハらアラブ人にアブ・イェシャ村の家に運び出され、キティに看病される。大量の武器を見つけたブリティッシュ王立軍はバラク・ベン・クナアンをジープで連行する。アリはキティの心臓注射で一命をとりとめる。
1947年(昭和22年)11月29日、連合民界総会でパレスタイン分割案の投票がおこなわれ、過半数がイェフディ人に領域国家イスラエル建国を承認する分割案に同意し、ブリティッシュ王立軍の撤退は1948年(昭和23年)5月15日に設定される。
夜、イェルシャライムの聖三体大聖堂(Holy Trinity Cathedral)の向かいのビルの一室で決議を知った、61歳のダヴィードゥ・ベン・グリオン(メイル・ヴァイスガル、Meyer Weisgal)はビルの前の広場を埋め尽くす群衆に向かってマイクを持って演説する。
アブ・イェシャ村の家で、アリ・ベン・クナアンはキティ、タハと一緒にラジオ放送のダヴィードゥ・ベン・グリオンの演説を聞くが、タハは落胆する。
広場で演説を聞いた群衆は、ツィオン運動の讃美歌「希望(ハティクヴァ)」(後のイスラエル国歌)を大合唱する。
アブ・イェシャ村の家で、キティはアリ・ベン・クナアンとイスラエルに残る決心をする。
タハは元ナツィスで現在はイェルシャライムム大ムフティー(服従教法学者の最高官吏)の軍事顧問兼使者であるフォン・シュトルヒ(Von Storch)(マリウス・ゴーリング、Marius Goring)に会い、翌日の夜、ガン・ダフナ襲撃のアラブ人義勇軍に村民を率いて参加しろと命じられる。
タハはアリ・ベン・クナアンに翌日の深夜までに子供たちとガン・ダフナから逃げろと警告し、アリに別れを告げる。
その夜、アラブ人の襲撃を警戒し、ガン・ダフナを警備中のカールンの元にドーヴがやって来る。「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」はついに「防衛団(ハガナー)」と団結し、アラブ人の襲撃に備える。
アリ・ベン・クナアンは夜、13歳以下のガン・ダフナの幼児を含む115名の子供たちをベス・アマル(Beth Amal)の安全な場所に移送するという危険な秘密任務を指揮する。ドーヴはアラブ人襲撃に備えて、森の茂みに潜み、近くに来たアラブ人を狙撃する。
ダヴィードゥ・ベン・アミら「防衛団(ハガナー)」の武装団がガン・ダフナに応援に来る。ダヴィードゥ・ベン・アミに恋しているジョーダナ・ベン・クナアンは彼との再会を喜ぶ。
森の茂みで警備するドーヴの元にカールンが現れる。ドーヴは紛争が終わったら結婚しようとカールンに言う。カールンはドーヴに接吻し、ガン・タウナに戻ろうとするが、すぐにアラブ人たちにさらわれる。
翌朝、ドーヴはダヴィードゥ・ベン・アミと警備を交代し、ガン・ダフナに戻る。アリ・ベン・クナアンもベス・アマルから戻っている。
アリは同志の分隊を率いて、服従教徒の祈りが聞こえてこないアブ・イェシャ村を偵察に行き、胸にダヴィードゥの星が刻まれ、家の前で絞首刑にされているタハを見つける。
もう一人の少年と偵察していたドーヴはカールンの遺体を見つけ、号泣する。 布で覆われたカールンの遺体とタハの遺体は担架でガン・ダフナの共同墓地まで運ばれ、埋葬される。
タハとカールンの埋葬を終えた「エレツ・イスラエル民界軍事組織(イルグン)」と「防衛団(ハガナー)」の人々は車でアラブ人との戦闘に向かう。
1961年(昭和36年)3月15日、レオン・ユリス著、39歳の犬養道子(1921年4月20日~2017年7月24日)訳『エクソダス:栄光への脱出』1(河出書房新社、380円)が刊行された。
1961年(昭和36年)1月の「訳者のことば」に、「終わりに、原書があまりにも厖大なため、著者の承諾を得て、ところどころ間引いたことを記しておく。」とある。
1961年(昭和36年)5月3日、松竹系の築地・東京劇場、東急系の渋谷パンテオン、新宿ミラノ座で、西部劇『荒野の七人』The Magnificent Sevenの日本語字幕スーパー版が公開された。
一般入場料は300円だった。
1961年(昭和36年)5月30日、レオン・ユリス著、犬養道子訳『エクソダス:栄光への脱出』2(河出書房新社、380円)が刊行された。
1961年(昭和36年)7月14日、東京劇場、渋谷パンテオン、新宿ミラノ座で、総天然色の映画劇『栄光への脱出』Exodusの日本語字幕スーパー版が公開された。
1961年(昭和36年)7月28日、富田常雄『小えん日記』原作、43歳の川島雄三(1918年2月4日~1963年6月11日)監督、27歳の若尾文子(1933年11月8日~)、25歳の藤巻潤(1936年3月28日~)、32歳のフランキー堺(1929年2月13日~1996年6月10日)主演、成人指定の総天然色の映画劇『女は二度生まれる』(99分)が公開された。
題名は、ジャン・ジャック・ルソ(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 ~1778年7月2日)の『エミルまたは教育論』Émile, ou De l’éducation(1762年)第4巻の「われわれは、いわば二度生まれる。一度目は実存するために、二度目は生きるためにだ。一度目は人類(espèce)として、二度目は男女いずれか(sexe)としてだ。女を不完全な男とみなす者は、なるほど間違っている。しかし、外見で推しはかるかぎり、その意見は正しい(Nous naissons, pour ainsi dire, en deux fois : l'une pour exister, et l'autre pour vivre ; l'une pour l'espèce, et l'autre pour le sexe. Ceux qui regardent la femme comme un homme imparfait ont tort sans doute : mais l'analogie extérieure est pour eux.)。」のもじりだ。
この映画劇には総天然色の映画劇『荒野の七人』The Magnificent Seven上映中の渋谷駅前のパンテオンが出てくる。
月島の旋盤工の17歳の少年・泉山孝平が初対面の洋画ファンの芸者小えんこと磯部友子に指定席券を1枚買ってもらう場面だ。
高度経済成長の続いていた当時は、都市部の下流中間層の青年が、高級映画館で封切りのアメリカ連合国の映画劇を観ることもそれほど異例ではなかった。
泉山孝平を17歳の高見国一(1944年2月28日~)、磯部友子を27歳の若尾文子が演じた。
黒いカウボーイハットのユル・ブリナーの顔のポスターの張られたチケット売り場前の入口から見える1階のロビーの壁に総天然色映画『栄光への脱出』Exodusの日本版ポスターにも使われた彩色されたスチル写真が飾られているのが見える。
1961年(昭和36年)9月1日発行の『映画芸術』(映画芸術社)9月号(140円)に、第二回「映画を考える」「「栄光への脱出」における政治」、32歳の羽仁進(はに・すすむ、1928年10月10日~)「政治的メロドラマの手法」、37歳の増島宏(ますじま・こう、1924年3月31日~)「「栄光への脱出」の民族主義」が掲載された。
1962年(昭和37年)6月1日、56歳のアードルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann、1906年3月19日~1962年6月1日)がイェフディ人無差別虐殺の罪で絞首刑に処せられた。
1962年(昭和37年)11月から、パリ周辺で、31歳のミシェル・ドゥヴィル(Michel Deville、1931年4月13日~2023年2月16日)監督の映画劇『なぜなら、ある女のせいで』A cause, à cause d'une femmeが撮影された。
主演は、26歳のジャック・シャリエ(Jacques Charrier、1936年11月6日~)、27歳のミレーヌ・ドゥモンジョ(Mylène Demongeot、1935年9月29日~2022年12月1日)、17歳のジル・ハワース、23歳のマリ・ラフォレ(Marie Laforêt、1939年10月5日~2019年11月2日)、26歳のジュリエットゥ・メニエル(Juliette Mayniel、1936年1月22日~2023年7月21日)だ。
1963年(昭和38年)4月17日、フランスで、映画劇『なぜなら、ある女のせいで』A cause, à cause d'une femmeが公開された。
1963年(昭和38年)12月28日、丸の内松竹で、映画劇『女は夜の匂い』A cause, à cause d'une femmeの日本語字幕スーパー版が公開された。
『キネマ旬報』(キネマ旬報社)1964年(昭和39年)2月下旬号(No.359)(250円)の表紙は『女は夜の匂い』A cause, à cause d'une femmeのジル・ハワースだった。
1967年(昭和42年)6月5日~10日、イスラエル空軍が、アルアラビーヤ連合共和国、アッスイリーヤ・アルアラビーヤ共和国、アルオルドニーヤ・アルハシミーヤ王国、アルエラーク共和国の空軍基地に奇襲攻撃をおこない、アラブ各国の空軍に壊滅的被害を与えた上で攻撃を開始し、フィラスティーン全土、アルアラビーヤ連合領のスィーナー半島を占領した。
1970年(昭和45年)9月28日、アルアラビーヤ連合共和国大統領のギャマール・アブドゥン・ナーセル(1918年1月15日~1970年9月28日)が52歳で亡くなった。
1972年(昭和47年)1月2日、NETテレビの21時~23時56分の『日曜洋画劇場』で、『栄光への脱出』Exodusの短縮版の日本語吹き替え版が放映された。
ポール・ニューマンの吹き替えは39歳の川合伸旺(かわい・のぶお、1932年4月18日~2006年6月24日)、エヴァ・マリー・セイントの吹き替えは33歳の野口ふみえ(1938年10月13日~)、サル・ミネオの吹き替えは37歳の関根信昭(1934年1月1日~2021年11月20日)、ジル・ハワースの吹き替えは27歳の上田みゆき(1944年6月2日~)だった。
1972年(昭和47年)5月15日、アメリカ連合国の施政権下にあった沖縄の施政権が日本国に返還された。
1972年(昭和47年)5月30日、イスラエルのリッダ国際空港で、26歳の重信房子(1945年9月28日~)が最高幹部の日本赤軍の24歳の岡本公三(1947年12月7日~)、26歳の奥平剛士(1945年7月21日~1972年5月30日)、安田安之(1947年?~ 1972年5月30日)の3人が「リッダ闘争」と呼ばれる無差別乱射事件を起こし、26人を殺害し、73人が重軽傷を負った。
1973年(昭和48年)10月6日~25日、アルマスリーヤ共和国とアッスーリーヤ・アルアラビーヤ共和国がイスラエル国防軍を攻撃したが、逆にイスラエル国防軍に領土を占領された。
1975年(昭和50年)1月29日、日本テレビの21時~10時55分の『水曜ロードショー』で、『栄光への脱出』Exodusの短縮版の日本語吹き替え版が放映された。
1975年(昭和50年)7月5日、東劇ビルが地上20階、地下3階、高さ85mの高層ビルに改築され、松竹本社が松竹会館から移転し、映画館「東劇」は3階に新装開場した。
1987年(昭和62年)12月10日、イスラエルに占領されたガッザ地区で、服従教徒同胞団のアルフィラスティーン支部を母体に、50歳のアフマドゥ・ヤースィーン(1937年1月1日~2004年3月22日)が、服従教徒によるアルフィラスティーン全土の解放、イスラエル殲滅を目指す「追随派(アッスィーア)」の軍事・政治組織「服従教抵抗運動(ハマース)」を設立した。
1993年(平成5年)9月13日、イスラエルとアルフィラスティーン解放機構の間でアルフィラスティーン暫定自治宣言が調印された。
アルウルドン川西岸とガッザ地区の両地区をあるアルフィラスティーン自治区と認めた。
1994年(平成6年)5月4日、 ガッザ地区とアルウルドン川西岸のアリーハー(イェリコ)でアルフィラスティーン自治政府の先行自治が始まった。
1994年(平成6年)11月、アフガーニスターン服従教国南部で、ムハンマドゥ・オマル(1960年?~2013年4月23日)が服従教徒の武装民兵団「学生団(ターリバーン)」を組織した。
1995年(平成7年)11月4日、イスラエルのテル・アヴィーヴで、73歳のイツハーク・ラビン(1922年3月1日~1995年11月4日)首相が和平反対派の正統派ヤハドゥートゥの25歳のイガール・アミル(1970年5月23日~)に暗殺された。
1996年(平成8年)1月20日、アルフィラスティーン自治区で最初の総選挙がおこなわれ、国会に相当するアルフィラスティーン立法評議会の議員が選出されたが、イスラエルの存在を認めない「服従教抵抗運動(ハマース)」はこれに参加しなかった。
1996年(平成8年)6月18日、イスラエルで、エレツ・イスラエル(アルフィラスティーン)全土の統治を目指す「団結(リクードゥ)」党の46歳のビニヤミン・ネタニヤフ(1949年10月21日~)政権が成立した。
1996年(平成8年)9月27日、アフガーニスターン服従教国に「学生団(ターリバーン)」政権が発足した。
1996年(平成8年)11月15日、 新宿東急文化会館が新宿TOKYU MILANOに名称変更し、リニューアルオープンした。
1997年(平成9年)10月29日、アフガーニスターン服従教国がアフガーニスターン服従教首長国に改称した。
2000年(平成12年)9月28日、イスラエルの「団結(リクードゥ)」党の72歳のアリエル・シャロン(1928年2月26日~2014年1月11日)党首がアル・コドゥス(イェルサライム)にある服従教の聖地への訪問を強行し、フィラスティーニ人住民とイスラエル治安部隊が衝突した。
2001年(平成13年)3月7日、73歳のシャロンがイスラエル首相に就任した。
2001年(平成13年)9月11日、服従教組織アルカーイダがアメリカ連合国に対する4つの大規模威嚇攻撃をおこなった。
2,977人が死亡、25,000人以上が負傷した。
アメリカ連合国の歴史上、最も多くの消防士と法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった。
2001年(平成13年)10月7日、アメリカ連合国と連合王国がアルカーイダ指導者の44歳のウサーマ・ビン・ラーディン(1957年3月10日~2011年5月2日)を匿っているとしてアフガーニスターン服従教首長国への空爆、侵攻を開始した。
2001年(平成13年)12月17日、アフガーニスターン服従教首長国が消滅した。
2003年(平成15年)6月30日、東急文化会館が閉館した。
2004年(平成16年)3月22日、イスラエル軍が「服従教抵抗運動(ハマース)」の精神的指導者、67歳のヤースィーンを暗殺した。
2004年(平成16年)4月17日、イスラエル軍がヤースィーンの後継者で「服従教抵抗運動(ハマース)」の最高指導者の56歳のアブドルアズィーズ・ランティースィ(1947年10月23日~2004年4月17日)を暗殺した。
2005年(平成17年)11月21日、イスラエルで77歳のシャロンが「前進(カディマ)」党を結党した。
2006年(平成18年)1月4日、イスラエルで77歳のシャロンが脳卒中で倒れて意識不明に陥った。
2006年(平成18年)1月25日、第2回アルフィラスティーン立法評議会で「服従教抵抗運動(ハマース)」が過半数の議席を獲得し、第1党となった。
2006年(平成18年)2月23日、東京地方裁判所が、60歳の重信房子に、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で、懲役20年の判決を言い渡した。
2006年(平成18年)6月1日、 新宿ミラノ座、新宿東急、シネマミラノを、それぞれ新宿ミラノ1・2・3へ名称変更した。
2007年(平成19年)6月15日、アルフィラスティーン自治区の「服従教抵抗運動(ハマース)」がガッザ地区を武力で占拠し、フィラスティーン自治区が分裂した。
2007年(平成19年)12月、服従教組織、「パーキスターン学生団(ターリバーン)運動」が設立された。
2011年(平成23年)5月2日、パーキスターン服従教共和国で、アメリカ連合国海軍特殊部隊が54歳のウサーマ・ビン・ラーディンを殺害した。
2014年(平成26年)3月21日、ラッスィースカヤ連邦がウクライーナ国のクリム半島を併合した。
2014年(平成26年)12月31日、新宿TOKYU MILANOが閉館した。
2021年(令和3年)8月15日、服従教組織の「学生団(ターリバーン)」がアフガーニスターン服従教首長国全土を支配下においたと宣言した。
2023年(令和5年)4月14日、地上48階、地下5階建て、高さ約225mの東急歌舞伎町タワーが開業した。
9~10階に、日本初の富裕層向け映画館「109シネマズプレミアム新宿」全8スクリーン752席が開業した。
全席をプレミアムシートとした。料金はCLASS Aが4,500円、CLASS Sが6,500円だった。
2023年(令和5年)10月7日、アルフィラスティーン国のガッザ地区を支配する「服従教抵抗運動(ハマース)」がイスラエルに対し、民間人を多数虐殺する大規模威嚇攻撃をおこない、ガッザ地区住民を巻き込む激しい戦闘が始まった。
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