教員の鑑と1967年の映画劇『職業に伴う危険』(ネタバレあり)
2024年(令和6年)2月15日、刑事訴訟法等の一部を改正する法律が施行される。
性犯罪などの被害者を保護するため、逮捕時に警察官らが容疑者に示す逮捕状に氏名などが記載されていない書面(抄本)を使い、被告に送る起訴状も抄本にすることが可能になる。
勾留状や判決文でも氏名などを秘匿できる。
逮捕から判決まで被害者を特定する情報が伝わらなくなることで、加害者から改めて狙われる再被害の防止に役立つとされる。
ブレイスウェイトゥ『先生へ、愛情をこめて』
1947年(昭和22年)4月、日本語の3年制の中等教育機関の新制中学校が発足し、満12歳以上の日本人全員が英語を3年間以上学べるようになった。
しかし、当時の言語教材は、2月に始まった『英語会話』放送時間の限られたラジオ放送を除き、ほぼ文字教材に限られていたので、日本に長期間定住しながら、最新の若者の口語の英語を習得する日本人はかなり稀だった。
1959年1月6日、フランスで、義務教育就学期間が2か年延長されて6歳から16歳までの10年間となったが、その全面達成には1971年まで12年間を要した。
1959年1月10日、NHK東京教育テレビジョンが開局した。
1959年1月12日、NHK東京教育テレビジョンで、午後7時30分~8時、月曜から金曜までの5日間を「入門編」「練習編」「応用編」に分けて構成した英語会話教育番組『英語会話』の放映が始まった。
ただし、当時の日本で、家庭にテレビ受像機を所持する者は少数の富裕層に限られていた。
1959年12月、ランドゥンで、47歳のエドゥワドゥ・リカードウ・ブレイスウェイトゥ(Edward Ricardo Braithwaite、1912年6月27日~2016年12月12日)の自伝的小説『先生へ、愛情をこめて』To Sir, With Love(The Bodley Head)が刊行された。
1960年8月10日、E.R.ブレイスウェイト著、マックリーヴェ阿矢子訳『先生へ、愛情をこめて』(毎日新聞社、320円)が刊行された。
1962年2月、NHK総合テレビの毎週月曜日朝8時からNHKホールから放映された、43歳の高橋圭三(1918年9月9日~2002年4月11日)司会のテレビ歌謡番組『歌の広場』の1か月放映される「NHKテレビ歌謡」は、35歳の横井弘(1926年10月12日~2015年6月19日)作詞、38歳の中田喜直(なかだ・よしなお、1923年8月1日~2000年5月3日)作曲、 20歳の伊藤エミ(1941年4月1日~2012年6月15日)、20歳の伊藤ユミ(1941年4月1日~2016年5月18日)の双子姉妹のザ・ピーナッツ唄の「いつも心に太陽を」だった。
題名は、1959年12月の「NHK歳末たすけ合い運動」の一環として作成され、『歌の広場』の「NHKテレビ歌謡」だった、33歳の横井弘作詞、36歳の中田喜直作曲、18歳の伊藤姉妹のザ・ピーナッツ唄「心の窓にともし灯を」と、ツェーサー・フライシュレン(Cäsar Flaischlen、1864年5月12日~1920年10月16日)の詩「心に太陽を持て(Hab Sonne im Herzen)」のもじりだ。
フライシュレンの「心に太陽を持て」は、1935年11月5日発行、「日本少國民文庫」第12巻、48歳の山本有三(1887年7月27日~1974年1月11日)編『心に太陽を持て』(新潮社、1円)に収められた山本有三の日本語訳で有名になった。
1963年3月、ザ・ピーナッツ、シックス・ジョーズ・ウイズ・ストリングス、「NHKテレビ歌謡」「いつも心に太陽を」(2分53秒)、「山小屋の太郎さん」(2分53秒)のシングル盤(EB-7072、300円)が発売された。
1963年4月5日、アメリカ連合国のMercuryから、16歳のレスリー・ゴア(Lesley Gore、1946年5月2日~2015年2月16日)「私のパーティよ」It's My Party(2分19秒)、「ダニー」Dannyのシングル盤(72119)が発売された。
1963年8月5日、日本ビクターから、17歳の中尾ミエ(1946年6月6日~)、楽団ブルー・エンゼル「涙のバースデイ・パーティ(It's My Party)」、「ラヴユー・ラヴユー・ラヴユー(I Will Follow Him)」のシングル盤(PV-47、290円)が発売された。
1963年8月20日、日本グラモフォンから、19歳の園まり(1944年4月12日~)、津々美洋とオールスターズ・ワゴン「プリンセスではないけれど(I Wish I Weere A Princess)」(2分17秒)、園まり、ポリドール・オーケストラ「涙のバースデイ・パーティ(It's My Party)」(2分02秒)のシングル盤(DJ-1393、290円)が発売された。
1963年9月3日~1964年7月、学芸通信社の配信により『新潟日報』他の地方紙に、石原慎太郎(1932年9月30日~2022年2月1日)著、長谷川春子(1895年2月28日~1967年5月7日)挿絵の長篇小説『青春とはなんだ』が303回連載された。
1963年9月、日本ビクターから、レスリー・ゴーア(唄)「涙のバースデイ・パーティ」It's My Party(2分19秒)、「ダニー」Danny(2分06秒)のシングル盤(M-1061、330円)が発売された。
1964年3月16日、フランスのBarclayから、34歳のジャック・ブレル(Jacques Brel、1929年4月8日~1978年10月9日)の4曲入りシングル盤「マチルドゥ」Mathilde(70 635)が発売された。
「マチルドゥ」Mathilde(2分35秒)を収めた。
1964年4月17日、連合王国のDeccaから、15歳のルル(Lulu、1948年11月3日 ~)と五人組の楽隊、ラヴァー組(The Luvers)「大声」Shout、「私のことを忘れないでね、ベイビー」Forget Me Babyのシングル盤(F 11884)が発売された。
1964年10月23日、フランスのBarclayから、35歳のジャック・ブレル「アムステルダム」Amsterdam(2分55秒)、「カジノ遊園」Les Jardins du Casino(3分19秒)のシングル盤(60520)が発売された。
1964年11月、キングレコードから、ルル・アンド・ザ・・ルーヴァーズ「シャウト」Shout、「フォーゲット・ミー・ベビー」Forget Me Babyのシングル盤(HIT-394、330円)が発売された。
解説は33歳のD.J.高崎一郎(1931年5月13日~2013年8月10日)だ。
1965年2月16日、32歳の石原慎太郎著『青春とはなんだ』(講談社、380円)が刊行された。
装幀は岩沢一郎(1940年~)だ。
1965年7月、テイチクから、日活映画「青春とはなんだ」主題歌、30歳の石原裕次郎(1934年12月28日~1987年7月17日)(唄)、テイチク・レコーディング・オーケストラ「青春とはなんだ」(3分28秒)、「海の男だ」(2分4秒)のシングル盤(SN-233、330円)が発売された。
1965年7月14日、石原慎太郎原作、石原裕次郎主演、37歳の舛田利雄(ますだ・としお、1927年10月5日~)監督の総天然色の映画劇『青春とはなんだ』(101分)が公開された。
1965年10月10日、キングレコードから、日本テレビ連続テレビ映画「青春とはなんだ」主題歌、17歳の布施明(1947年12月18日~)(唄)、レオン・ポップス・シンガーズ、オール・スターズ・レオン「若い明日」(2分15秒)、「貴様と俺」(1分50秒)のシングル盤(BS-324、330円)が発売された。
1965年10月24日~1966年11月13日、日本テレビで、毎週日曜夜8時~8時50分、石原慎太郎原作(第26話まで)・原案(第27話から)、夏木陽介(1936年2月27日~2018年1月14日)主演『青春とはなんだ』全41回・各話56話が放映された。
1965年12月10日、連合王国のFontanaから、ヴォーカルとギターの20歳のエリック・ステュアートゥ(Eric Stewart、1945年1月20日~)、ベースの19歳のバブ・ラン(Bob Lang、1946年1月10日~)、ドラムスの21歳のリック・ロスウェル(Ric Rothwell、1944年3月~)の幻術師組(The Mindbenders)「ゴキゲンな恋」A Groovy Kind of Love(1分57秒)、「恋は楽しい」Love is Good(1分49秒)のシングル盤(TF 644)が発売された。
「ゴキゲンな恋」A Groovy Kind of Loveの旋律は、ムーツィオ・クレメンティ(Muzio Clementi、1752年1月23日~1832年3月10日)の1797年の作曲の鍵盤楽器練習曲「段階的な六つのソナティーナ第五番 Op 36, No 5」第三楽章「ロンド」ト長調に基づき、18歳のトニ・ワイン(Toni Wine、1947年6月4日~)が作曲し、18歳のキャロル・ベイヤー・セイガー(Carole Bayer Sager、1947年3月8日~)が作詩した。
1966年2月12日~4月2日、フランス国営テレビ(ORTF)で、51歳のオデットゥ・ジュワイユ(Odette Joyeux、1914年12月5日~2000年8月26日)の1951年刊の『下手(しもて):パリ・オペラ座バレエ練習生の回想録』Côté jardin: Mémoires d'un rat原作のモノクロ連続テレビ劇『幸せな時代』L'Âge heureuxが全8話、各26分が放映された。
パリ・オペラ座の12歳のバレエ練習生デルフィーヌ・ナダル(Delphine Nadal)を12歳のデルフィーヌ・デズュー(Delphine Desyeux、1953年7月11日~)が演じた。
1966年5月6日、アメリカ連合国のMercuryから、19歳のレスリー・ゴア「さよならして走り出してる」Off And Running(1分50秒)、「どうでもいい」I Don't Care(2分29秒)のシングル盤(72580)が発売された。
「さよならして走り出してる」Off And Runningの作曲は18歳のトニ・ワイン、作詩は19歳のキャロル・ベイヤー・セイガーだ。
1966年6月、日本ビクターから、ザ・マインドベンダース(唄)「恋はごきげん」A Groovy Kind Of Love(1分58秒)、「ラブ・イズ・グッド」Love Is Good(1分49秒)のシングル盤(FON-1057、370円)が発売された。
解説は23歳の朝妻一郎(あさつま・いちろう、1943年2月1日~)だ。
1966年6月30日、7月1日、2日、日本武道館で、父御Ýが日本人、母親がデンスク人の36歳のE・H・エリック(E. H. Erick、1929年8月1日~2000年8月17日)の司会で、25歳のジョン・レノン(John Lennon、1940年10月9日~1980年12月8日)、24歳のポール・マカートニ(Paul McCartney、1942年6月18日~)、23歳のジョージ・ハリスン(George Harrison、1943年2月25日~2001年11月29日)、25歳のリンゴウ・スター(Ringo Starr、1940年7月7日~)の四人組の楽隊、ザ・ビートルズ(The Beatles)の公演が計5回おこなわれた。
1966年12月17日、テレビ版『青春とはなんだ』に基づく、38歳の松森健(1928年4月12日~2016年12月)監督、30歳の夏木陽介主演の映画劇『これが青春だ!』(92分)が公開された。
1967年5月24日、「ロマン・ブックス」、石原慎太郎著『青春とはなんだ』(講談社、350円)が刊行された。
1967年の映画劇『先生へ、愛情をこめて』
1967年6月14日、ニュー・ヨークの映画館1(Cinema I)で、ブレイスウェイトゥ原作、41歳のジェイムズ・クラヴェル(James Clavell、1924年10月10日~1994年9月7日)制作・脚本・監督の映画劇『先生へ、愛情をこめて』To Sir With Love(105分)が公開された。
撮影は1966年5月30日から夏の終わりにかけておこなわれた。
39歳のスィドゥニ・プワチエイ(Sidney Poitier、1927年2月20日~2022年1月6日)がランドゥンの中流下層民の生徒の通うノース・キー中学校(North Quay Secondary School)の、ほとんどが卒業後に就職する最終学年の16歳の不良生徒を受け持つ新任教師マーク・サッカレイ (Mark Thackeray)を演じた。
サッカレイが生徒たちと対等に向き合い始めた後の場面で、ヴォーカルとギターの21歳のエリック・ステュアートゥ、ベースの20歳のバブ・ラン、ドラムスの22歳のリック・ロスウェルの幻術師組(The Mindbenders)が演奏する「さよならして走り出してる」Off And Runningが流れる。
サッカレイは授業で生徒たちに説く。
サッカレイと29歳のスーズィ・ケンドール(Suzy Kendall、1937年1月1日~)が演じたジリアン・ブランシャードゥ(Gillian Blanchard)先生が生徒を率いてヴィクトリアとアルバートゥ博物館(Victoria and Albert Museum)と自然史博物館(Natural History Museum)見学をする場面は静止画で構成され、バーブラ・ペグ(Barbara Pegg)役で出演した17歳のルルが歌った主題歌「先生へ、愛情をこめて」To Sir, With Love」が流れる。
17歳のジュディス・ジースン(Judith Geeson、1948年9月10日~)の演じる女生徒パメラ・デア(Pamela Dare)が大好きなサッカレイとダンスをする卒業ダンス・パーティの場面で、幻術師組(The Mindbenders)が「どんどん難しくなる」 It's Getting Harder All The Timeを演奏する。
ペグが卒業生一同のサッカレイへの感謝をこめた贈り物として「先生へ、愛情をこめて」To Sir With Loveを歌う。
1967年6月23日、連合王国のColumbiaから、18歳のルル「同じふりをしましょう」Let's Pretend、「先生へ、愛情をこめて」To Sir With Loveのシングル盤(DB 8221)が発売された。
1967年8月、アメリカ連合国のFontanaから、幻術師組(The Mindbenders)「どんどん難しくなる」 It's Getting Harder All The Time(2分11秒)、「さよならして走り出してる」Off And Running(1分58秒)のシングル盤(F-1595)が発売された。
1967年8月25日、連合王国のPhilipsから、24歳のスコットゥ・ウォーカー(Scott Walker、1943年1月9日~2019年3月22日)のアルバム『スコットゥ』ScottのLP盤(7816)が発売された。
ジャック・ブレルの曲「マチルドゥ」Mathilde、「僕の死」My Death、「アムステルダム」Amsterdamを収めた。
1967年9月、アメリカ連合国のFontanaから、『先生へ、愛情をこめて』 To Sir, With Love原典映画音声(Original Motion Picture Soundtrack)のLP盤(MGF-27569 )が発売された。
1967年10月29日、連合王国で、映画劇『先生へ、愛情をこめて』To Sir, With Loveが公開された。
1967年11月5日、東芝音楽工業から、ルル(唄)「いつも心に太陽を」To Sir With Love(2分42秒)、「レッツ・プリテンド」Let's Pretend(3分18秒)のシングル盤(OR-1803、370円)が発売された。
解説は山路大輔だ。
1967年11月、日本ビクターから、コロムビア映画配給サントラ盤、ルル、マインド・ベンダース他『いつも心に太陽を』To Sir, With LoveのLP盤(SFON-7093、1,750円)が発売された。
解説は柳生すみまろ(1939年~2010年3月11日)だ。
A面4曲目、マインド・ベンダース「オフ・アンド・ランニング」Off and Runningの解説を引用する。
1967年11月、日本ビクターから、24歳のスコット・ウォーカー「いとしのマチルダ」Mathilde、「マイ・デス」My Death のシングル盤(SFL-1121、370円)が発売された。
解説は31歳の湯川れい子(1936年1月22日~)だ。
1967年の映画劇『職業に伴う危険』(ネタバレ)
1967年12月21日、フランスで、スィモヌ・コルネク(Simone Cornec)、ジャン・コルネク(Jean Cornec、1919年5月7日~2003年12月16日)の1962年刊の実話に基づく小説『職業に伴う危険』Les Risques du métier原作、弁護士資格を持つ58歳のアンドゥレ・キャイヤットゥ(André Cayatte、1909年2月3日~1989年2月6日)脚本・監督、38歳のジャック・ブレル主演の映画劇『職業に伴う危険』Les Risques du métier(105分)が公開された。
撮影は1967年の夏にエクヴィ(Ecquevilly)でおこなわれた。
38歳のジャック・ブレルが6歳から14歳の児童が通う公立学校(école communale)の教師ジャン・ドゥセ(Jean Doucet)を演じた。
40歳のエマニュエル・リヴァ(Emmanuelle Riva、1927年2月24日~2017年1月27日)がジャンの妻で同じく公立学校の教師シュザンヌ(Suzanne)を演じた。
15歳のナタリー・ネル(Nathalie Nell、1950年10月6日~)が14歳の美少女エレーヌ・アルノ(Helène Arnaud)を演じた。
14歳のデルフィーヌ・デズュー(Delphine Desyeux、1953年7月11日~)が14歳の美少女キャトゥリーヌ・ルッセル(Catherine Roussel)を演じた。
16歳のクリスティーヌ・スィモン(Christine Simon、1951年1月1日)が14歳の美少女ブリジットゥ・キャネ(Brigitte Canet)を演じた。
1967年の夏のある日の午後、シャトーヌフ村(Châteaunuef)の公立学校から、白い半袖ブラウスの胸のところが破れた、ミニスカートの14歳の少女キャトゥリーヌ・ルッセルが左手に通学カバンをもち、泣きながら家まで走る。途中の通行人は彼女を見る。
家に駆けこんだキャトゥリーヌは、母親のルッセル夫人(Mme Roussel)に挨拶もせず、二階の部屋に駆けあがり、扉を閉めてベッドの上で泣きじゃくる。
ルッセル夫人は表にいた自動車整備工の夫モリース(Maurice)を呼ぶ。
モリースは扉を壊し、閉じこもった娘の部屋に押し入る。
その後、家で料理をしていた村長ボドゥワン氏(M. Baudouin)はモリースに電話で呼び出される。
すぐにルッセル家に向かった村長は、ルッセル夫人から娘が先生に犯されそうになったと訴える。
夫人は、先生は娘のブラウスに手を突っ込んだと言い、娘の着ているブラウスの胸の破れを見せる。
続いて、村長はキャトゥリーヌの教師のジャン・ドゥセの家に行き、夫と同じ公立学校の教師の夫人シュザンヌの前でジャンの言い分を聞く。ジャンはキャトゥリーヌとの間には何もないと断言する。
ジャンの回想が始まる。先週の金曜日、ジャンは、28人の生徒のいるクラスで授業を始める前に、教卓の上にリボンをかけた贈り物が置かれているのに気づいた。
中身はダンディ(Dandy)のライターだった。
ジャンは一番前の席の、ポニーテールで眼鏡をかけたアネットゥ・トマ(Annette Thomas)の隣の席のお下げの女生徒ジョゼットゥ・モニエ(Josette Monnier)、一番の優等生のエレーヌ・アルノ、その隣のエレーヌの親友ブリジットゥ・キャネ、キャトゥリーヌらに、なぜライターが置かれていたのかを聞くが、皆知らないと言う。
休憩時間に、シュザンヌからライターの値段は1万5千旧フラン(1960年1月後の150新フラン)だと聞かされたジャンは、28人の生徒の机の上に5フラン札を入れた封筒を配り、ライターは140フランなので、これでおあいこだと言った。
日曜の村祭りで、ジャンの生徒たちは貰った5フラン札をソフトクリームの屋台や祭りの乗物などで使う。
空中で水平に回転する宇宙船風の乗物に、ジャンの生徒の仲よしのスィルヴィ・ブルジョン(Sylivie Bourgeon)とフィリップ・オジエ(Philippe Augier)が一緒に乗っている。ジャンは趣味の撮影機で彼らの写真を撮る。
月曜日に優等生のキャトゥリーヌの態度が変わり、ジャンに対して反抗的になり、宿題をやらなくなった。
その後、外でジャンは買い物を終えたシュザンヌから、肉屋のモニエ夫人(Mme Monnier)から聞いた話として、ライターを贈ったのはジャンに恋しているキャトゥリーヌだと聞かされた。なぜなら、彼女は学習用ファイルにジャンの写真を挟んで所持しているからだという。
翌日、ジャンは、放課後、教室にキャトゥリーヌを一人残し、宿題をやらなくなった理由を問い質し、答えない彼女に、さらにライターをくれたのは君かと聞いた。
ジャンはキャトゥリーヌの学習用ファイルに挟んであった、プールサイドに立つ自分の水泳パンツ姿のカラー写真を見せてもらった。ジャンはその写真をクラス全員に見せるため、黒板に留めた。
キャトゥリーヌは帰ったが、それが事件の発端だった。
ジャンの説明を聞いたシュザンヌは、ジャンに恋しているキャトゥリーヌはジャンに子ども扱いされたのが悔しかったのだと推理する。
ジャンの言い分を聞いた村長は、ルッセル家に行き、母親の前で、キャトゥリーヌに、ジャンの写真をどこで盗んだのかと聞く。キャトゥリーヌは、写真は自分に好意をもつジャンから貰ったと言う。
村長はドゥセ家に戻り、シュザンヌの前で、ジャンに写真をキャトゥリーヌにあげたのかと聞くが、ジャンは否認する。
村長はルッセル家に戻り、両親の前で、キャトゥリーヌに、なぜジャンの写真を所持していたのかを聞くが、彼女は自分もジャンを好きだったからと答える。写真のことは皆には隠していたが、学習用ファイルから落とした時に、ジョゼットゥに見られてしまい、それで噂が広まったのだという。
村長はルッセル家とドゥセ家を何度も往復し、事件を穏便に済ませようとするが、結局、ルッセル家の告発を受け、地元警察の二人の刑事、ランベール(Lambert)とミショ(Michaud)が、まずジョゼットゥにジャンの写真のことを聞く。
彼女は、ジャンのお気に入りのエレーヌが村祭りの日、ジャンとのデートに出かけるのを、同級生のアネットゥと一緒に見たと言う。
そこで、アネットゥが警察でミショとランベールに証言する。
続いて、エレーヌがミショとランベールの取り調べに答える。村祭りの日の夜のことを聞かれた彼女は、自分の家の住み込みの使用人キャネ氏の娘で、親友のブリジットゥ・キャネと会っていたと言う。
ブリジットゥはミショとランベールの取り調べに答え、その夜はエレーヌと一緒に帰ったと言う。
ところがアネットゥの父親は、妻と一緒に、ミショとランベールの取り調べに答え、その夜、エレーヌが電動自転車で一人で出かけ、そのあと花火の写真を撮るための場所に向かうジャンの車が同じ方向に向かうのを見たと証言する。
ミショとランベールは、エレーヌの取り調べのため、採石場を経営する裕福なアルノ家に行くが、作業員の親方のリュシアン・キャネ(Lucien Canet)は、アルノ氏の許可なしには面会させないと言う。
だが病気のため二階で寝ていたアルノ夫人(Mme Arnaud)がそのやりとりを聞きつけ、ミショとランベールを中に入れ、エレーヌに会わせる。
ランベールは、エレーヌに祭りの夜、誰と会っていたか尋ね、答えようとしない彼女に、医者に連れて行き処女かどうか検査させるぞと脅す。そこに外出していたロベール・アルノ(Robert Arnaud)がジープで戻る。
エレーヌはロベールに対し、ジャンと関係をもったことを認める。短気で怒りっぽいロベールは娘を平手打ちして罵り、ジャンを殺しに行くと言い捨て、ジープで出かける。
エレーヌはジャンに泣きながら電話し、自分のせいで父が斧の柄.をもってジャンを殺しに行くので気をつけてと警告する。ジャンは窓の外の近づくジープを見て、猟銃を用意し、ロベールに立ち向かう。
ジャンは自分がエレーヌと関係をもったと思われていることを知り、猟銃をシュザンヌに渡し、ロベールに近づく。ロベールが斧の柄でジャンを殴ろうとするが、ジャンの取り調べに来たミショとランベールに阻止される。
ランベールがジャンの祭りの夜の行動を聞いていると、ミショがジョゼットゥを連れて来る。彼女も水泳パンツのジャンの別の写真を所持していた。それはジャンから貰ったものだと言う。彼女はジャンに愛撫されたと言う。ジャンは怒って彼女を追い出す。
村長はドゥセ夫妻、ミショとランベール、モニエ夫妻とジョゼットゥ、ロベール・アルノとエレーヌ、ルッセル夫妻とキャトゥリーヌを部屋に集める。村長は父母と3人の女生徒たちに、ジャンが本当に15歳未満の相手に性犯罪を犯していたのだとすれば、重労働の終身刑に処せられることを承知しているかと確かめ、告発は真実かと確認する。
父母が告発を取り下げないので、ミショとランベールはジャンを逮捕する。
その夜からジャンは拘置所に拘置される。
予審判事がジャンの弁護士の立ち会う中、ジャンに尋問する。
続いて、予審判事はエレーヌとジャンを同時に尋問する。ジャンはエレーヌに嘘をついていないと誓えるかと聞くが、彼女は誓いますと答えるので、ジャンは彼女に平手打ちする。
家の二階にいたエレーヌは、父親が車で出かけたあと、親方のリュシアンが作業員を集める時、作業員の黒髪のポルチュゲーズ人の青年ミゲル・アマード(Miguel Amado)と目を合わせる。
シュザンヌはアルノ夫人に会いに行き、エレーヌと話をさせてほしいと頼む。
エレーヌが話を拒むので、シュザンヌとアルノ夫人は、キャネ夫人立ち合いのもとで、ブリジットゥの話を聞く。
ブリジットゥは泣きながら、エレーヌがデートに出かけるのを知っていたと言い、窓の外のミゲルをちらっと見ながら、相手はジャンだったと言う。
予審判事は、ジャンとシュザンヌを同時に尋問する。判事はジャンと卒業生のマルティーヌ・オジエ(Martine Augier)との関係について聞く。
ジャンはマルティーヌの弟の生徒フィリップが、授業中に突然倒れ、校医が車で家まで連れ帰った時の話をする。
フィリップの同級生スィルヴィは彼の心配をしていた。
その後、ブルジョン氏(M. Bourgeon)の雑貨屋で偶然会った校医と話したジャンはフィリップに脳腫瘍があるかもしれないと聞いた。だが、彼の労働者の父や母や近所の人はフィリップの病気は寄生虫のせいだと信じて、高額な医療を受けさせるのを避けているという。雑貨屋の娘のスィルヴィはそれを立ち聞きしていた。
村長にフィリップのことを相談したジャンは、ルーヴィエ(Louviers)でブティックを経営しているオジエ家の長女マルティーヌに相談するよう勧められ、マルティーヌに会いに行った。
村祭りの前、フィリップは脳腫瘍の手術を受けることができた。ジャンとマルティーヌはフィリップを見舞いに行った。その夜、手術の成功を祝い、ジャンはマルティーヌの家に招かれ、食事を共にした。
予審判事がマルティーヌを尋問する前に、シュザンヌはルーヴィエのマルティーヌに会いに行く。
シュザンヌは祭りの夜、フィリップを村の両親の家まで送ったというマルティーヌに、ジャンと一緒にいたと偽証してほしいと頼むが、マルティーヌは、それだけは無理だと言う。
マルティーヌは窓の外の車の前で待つロベール・キャネをシュザンヌに見せ、ブティックを経営する費用も弟の手術の費用も全部、愛人の彼が出したのだと告白する。
シュザンヌは授業で、長男を絞殺したとして車裂きの刑を受けた、トゥルーズの衣料店主ジャン・カラス(Jean Calas、1698年~1762年)の冤罪事件の物語を語る。
その晩、良心の呵責に耐え切れず、ベッドのブリジットゥが大声で寝言を言う。様子を見に行った両親に、ブリジットゥは、エレーヌと自分は嘘をついていたと告白する。エレーヌとデートした相手は本当はミゲルだという。ミゲルはフランセ語が話せない。
ミゲルとエレーヌのことをロベールに知られないよう、リュシアンは夜遅く、採石場の側の人夫小屋で一人寝ているミゲルのところに行き、荷物をまとめさせ、駅から電車に乗せて追放する。
翌日、ミゲルがいないのに気づいたエレーヌは電動自転車で採石場に向かうが、それに気づいたリュシアンが車で追いかけ、ミゲルを追い出したことを教える。
エレーヌはシュザンヌに真実を打ち明け、2人で一緒にアルノ夫人に会いに来る。
その晩、アルノ夫人は夫にすべてを伝える。ロベールはいつものように激怒する。
教室で事件を再現する日が来る。ジャン、シュザンヌ、キャトゥリーヌ、予審判事、ミショ、ランベール、ジャンの弁護士、ルッセル夫妻が教室に集合する。
ジャンがキャトゥリーヌの隣に座り、抱きしめて胸に触ろうとすると、パニックを起こした彼女は、学習用ファイルを机に置いたまま、駆け出し、母親に抱きつく。そのあと、ジャンが穏やかな口調で学習用ファイルを彼女に渡そうとするが、怖がった彼女は受け取らない。
ルッセル夫妻は、娘がジャンの愛撫に激しく抵抗したのを見たのに加え、事件の日、娘が通学カバンを持ち帰ったことを思い出し、ようやく娘のついた嘘に気づく。キャトゥリーヌも嘘を認める。
動機は、写真のことでジャンに罵られたことに加え、ジョゼットゥからエレーヌとジャンが関係をもっていると教えられ、エレーヌに嫉妬したことだった。
キャトゥリーヌはトランジスタラジオと交換でジョゼットゥからジャンの写真を貰った。
続いて、ジョゼットゥがモニエ夫妻と共に教室に呼ばれ、予審判事の尋問を受ける。ジョゼットゥがもっていたジャンの水泳パンツ姿の写真2枚は、ジャンの家に、肉を配達に行った時に盗んだものだった。
ジョゼットゥがジャンに手を出されたと嘘をついた動機は、ジャンと関係を結んだと思っていたキャトゥリーヌとエレーヌに対する嫉妬だった。
ジャンが予審判事の車で去る間際、フィリップと一緒のスィルヴィが彼を呼び止め、ライターを贈ったのは自分だと話す。ライターの代金は父の現金出納器から盗んだので言えなかったのだと言う。
動機はジャンがフィリップの命を助けてくれたことに感謝していたからだった。
それを聞いたジャンは辞めようと思っていた教師を続ける気になる。
ルル『愛はルルを愛することを愛する』
1967年12月29日、連合王国のColumbiaから、19歳のルルのアルバム『愛はルルを愛することを愛する』Love Loves To Love LuluのLP盤(SX 6201)が発売された。
題名は、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce、1882年2月2日~1941年1月13日)の長篇小説『ユリスィーズ』Ulysses(1922年)の「愛は愛を愛することを愛する(Love loves to love love)」のもじりだ。
1968年1月、キングレコードから、ジャック・ブレル「いとしのマチルド」Mathilde(2分36秒)、「アムステルダム」Amsterdam(3分39秒)のシングル盤(HIT-1490、370円)が発売された。
金子貞男の解説を引用する。
1968年1月31日、日本ビクターから、スコット・ウォーカー(唄)『スコット・ウォーカー・アルバム』ScottのLP盤(SFX-7094、1,950円)が発売された。
ジャック・ブレルの曲「いとしのマチルダ」Mathilde(2分35秒)、「わたしの死」My Death(4分54秒)、「アムステルダム」Amsterdam(3分01秒)を収めた。
1968年2月24日、有楽町のスバル座で、映画劇『いつも心に太陽を』To Sir, With Loveの日本語スーパー版が公開された。
1968年3月30日、「角川文庫」、石原慎太郎著『青春とはなんだ』(角川書店、260円)が刊行された。
装幀は河野通泰だ。
1968年6月ごろ、キングレコードから、「ベスト・スター・ベスト・アルバム」、ジャック・ブレル『いとしのマチルダ』Jacques BrelのLP盤(SR 185、2,000円)が発売された。
解説は61歳の蘆原英了(あしはら・えいりょう、1907年1月9日~1981年3月2日)だ。
「いとしのマチルダ」Mathilde(2分36秒)、「アムステルダム」Amsterdam(3分19秒)を収めた。
1968年7月7日、第8回参議院議員通常選挙がおこなわれた。
自由民主党候補の35歳の作家・石原慎太郎の獲得票は301万票を超え、無所属の35歳の放送作家・青島幸男(1932年7月17日~2006年12月20日)の獲得票は120万票を超えた。
無所属の36歳のお笑い芸人・横山ノック(1932年1月30日~2007年5月3日)も当選した。
1968年7月11日、集英社の毎月2回木曜日発行の小学生男子向けの漫画誌『少年ジャンプ』が8月1日号(創刊号)(90円)で創刊された。
すべて読みきり掲載で、戦後生まれの22歳の永井豪(1945年9月6日~)のギャグ漫画「ハレンチ学園」が掲載された。
日本一ハレンチな教師が集まる聖(セント)ハレンチ学園のけんかの強い山岸八十八(やまぎし・やそはち)と長い黒髪の美少女十兵衛(柳生みつ子)が登場する。
1968年8月10日、東芝音楽工業から、ルルのアルバム『いつも心に太陽を』Love Loves To Love LuluのLP盤(OP-8427、2,000円)が発売された。
1968年(昭和43年)9月6日、「現代長編文学全集」44、石原慎太郎著『青春とはなんだ/太陽の季節/行為と死』(講談社、490円)が刊行された。
口絵は32歳の司修(つかさ・おさむ、1936年6月25日~)、写真は浜田啓だ。
1968年11月1日、連合王国のColumbiaから、19歳のルル「わたしはトラ」I'm A Tiger、「彼がいないと」Without Himのシングル盤(DB 8500)が発売された。
1969年2月10日、東芝音楽工業から、ルル(唄)「アイム・ア・タイガー」I'm A Tiger(2分45秒)、「ウイズアウト・ヒム」Without Him(2分45秒)のシングル盤(OR-2171、400円)が発売された。
22歳の大森庸雄(おおもり・つねお、1947年1月24日~)の解説を引用する。
1966年4月4日、『朝日新聞』東京版夕刊の映画劇『先生』Les Risques du métierの広告の57歳の佐賀潜(さが・せん、1909年3月21日~1970年8月31日)の評を引用する。
1969年4月5日、丸の内ピカデリーで、映画劇『先生』Les Risques du métierの日本語字幕スーパー版が公開された。
1969年、フランスのDisques Vogueから、デルフィーヌ・デズュー「わたしはトラ」Je suis la tigresse(3分02秒)、「わたしを妹扱いね」Tu m'appelles ta petite sœur(2分15秒)のシングル盤(V.45-1627)が発売された。
1970年2月5日、ランドゥンのBBC放送局で、23歳のデイヴィドゥ・ボウイ(David Bowie、1947年1月8日~2016年1月10日)と25歳のトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti、1944年4月24日~)が、ブレルの「アムステルダムの港」Port of Amsterdamを録音した。
この録音は2月8日に、BBCラジオ1の30歳のジョン・ピール(John Peel、1939年8月30日 ~2004年10月25日)の『日曜ショウ(The Sunday Show)』で放送された。
1970年には日本の3年制の上級中等教育機関の高等学校への進学率が8割を越えた。
1970年(昭和45年)5月2日、永井豪原作、39歳の阿部進(1930年6月11日~2017年8月10日)監修の映画劇『ハレンチ学園』(82分)が公開された。
十兵衛(柳生みつ子)を17歳の児島みゆき(1952年3月23日~)が演じた。
1970年10月1日~1971年4月1日、東京12チャンネルで、永井豪原作、40歳の阿部進監修、明治製菓提供の毎週木曜日19時30分~20時放映の連続テレビ劇『ハレンチ学園』全が放映された。
十兵衛(柳生みつ子)を18歳の児島みゆきが演じた。
1973年3月、E.R.ブレイスエイト著、マックリーヴェ阿矢子訳『いつも心に太陽を』(二見書房、690円)が刊行された。
1973年3月24日、新橋駅前の銀座東急、新宿ロマン劇場、渋谷の東急文化会館地階の東急レックスで、映画劇『いつも心に太陽を』To Sir With Loveの日本語スーパー版が再公開された。
1973年6月6日、シェフィールドゥのハラム・タワー・ホテル(Hallam Tower Hotel)で、それぞれ巡業公演中の24歳のルルと26歳のデイヴィドゥ・ボウイが出会った。
1973年9月1日、連合王国で義務教育の修学期間が1年間延長され、法定の卒業年齢が15歳から16歳に引き上げられた。
1973年9月28日、連合王国のRCA Victorから、26歳のデイヴィドゥ・ボウイ「悲しみ」Sorrow(2分53秒)、「アムステルダム」Amsterdam(3分20秒)のシングル盤(RCA 2424)が発売された。
1973年12月、ビクター音楽産業から、デビッド・ボウイー(唄)「愛の悲しみ」Sorrow(2分53秒)、「アムステルダム」Amsterdam(3分20秒)のシングル盤(SS-2334、500円)が発売された。
ジャケット写真は、ジャスティン・ドゥ・ヴィルヌーヴ(Justin de Villeneuve、1939年~)撮影のボウイとトゥウィギー(Twiggy、1949年9月19日~)だ。
1973年のボウイの記録映画『ズィギー・スターダストゥと火星から来た蜘蛛組』
1979年8月31日、エディンバラ映画祭で、1973年7月3日のランドゥンのハマスミス・オウディエン(Hammersmith Odeon)での26歳のデイヴィドゥ・ボウイの公演を記録した、47歳のD・A・ペニベイカー(D. A. Pennebaker、1925年7月15日~2019年8月1日監督の記録映画『ズィギー・スターダストゥと火星から来た蜘蛛組』Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(90分)が公開された。
ブレルの「僕の死」My Death(5分59秒)の演奏も含まれる。
1984年4月21日、東映ビデオから、『デビッド・ボウイ in ジギー・スターダスト(David Bowie in Ziggy Stardust)』(Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)のVHSビデオ(TE-M554、14,800円)が発売された。
解説は立川直樹(1949年~)だ。
1984年12月22日、連日夜10時上映の六本木・俳優財シネマテンで、記録映画『ジギー・スターダスト』Ziggy Stardust and the Spiders from Marsの日本語字幕スーパー版が公開された。
併映は、24歳のマイクル・アームストゥロング(Michael Armstrong、1944年7月24日~)監督、21歳のデイヴィドゥ・ボウイ、25歳のマイクル・バーン(Michael Byrne、1943年11月7日~)主演のモノクロ映画劇『ザ・イメージ』The Image(15分。初公開:1969年1月28日)だった。
2017年1月14日、東京・新宿K's cinemaほかで、記録映画『ジギー・スターダスト』Ziggy Stardust and the Spiders from Marsの61歳の寺尾次郎(1955年6月11日~2018年6月6日)訳の日本語字幕スーパー版が公開された。
2020年10月16日、サンディエゴ国際映画祭で、1971年の24歳のデイヴィドゥ・ボウイを描く、ゲイブリエル・レインジ( Gabriel Range)脚本・監督、36歳のジョニー・フリン(Johnny Flynn、1983年3月14日~)主演の映画劇『星屑』Stardust(109分)が先行公開された。
撮影は2019年7月4日~9月末におこなわれた。
ボウイに扮したジョン・フリンはブレルの「アムステルダム」Amsterdam、「僕の死」My Deathを歌う。
2021年10月8日、TOHOシネマズシャンテほかで、映画劇『スターダスト』Stardustの金澤壮子訳の日本語字幕スーパー版が公開された。
2022年1月7日、Bunkamuraル・シネマで、デヴィッド・ボウイ生誕75年&「ジギー」誕生50年記念公開として、記録映画『ジギー・スターダスト』Ziggy Stardust and the Spiders from Marsの2002年サウンドリミックス・デジタルレストア版の寺尾次郎訳の日本語字幕スーパー版が公開された。
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