note10日目:行動の基準を考える
人はなぜわざわざ人混みの中に出向くのだろう。
今日とある大きな公園に行った。
ドッグカフェに行った帰りで、歩いて五分程度だったのもあり犬の散歩がてらに立ち寄ったのだ。
すると、人、人、人。
レジャーシート敷いて弁当食べていたり、犬を連れて写真をバシャバシャ撮っていたり、複数の家族が集まってバーベキューをしていたり、溢れんばかりの人がそこここにいた。
すぐ帰りたくなった。来てすぐ後悔した。
桜の美しさもネモフィラの可憐さも見なくていい、とにかく早く帰りたいと思った。
確かに「わあ、春だ!」と一瞬思うよ、だけど人が多すぎてゆっくり見られないし、勝手に写真にフレームインしちゃうし、肩ぶつかるし、荷物ぶつかるし、行く手阻まれるし、いいことなくね?
いわゆる季節を味わえる植物園とか大きな公園とかに、朝から車出して向かい、駐車場入るにも数時間待ち、人混みの中キレイなものを見て、アトラクション並のトイレの行列に並び、高いけどたいして美味しくもないクレープ食べて、帰るにも数時間かけて、はい次の日仕事(学校)……って超絶労力かかってない? しんどくない?
こんな思考になる奴はひねくれてるのでしょうか。
ああ、確かにひねくれているのは否めない。
だけど、どうかそのモチベーションがどこから来るか、誰か私に教えてほしい。
思えば昔は渋谷や新宿が大好きだった。
田舎から上京してきて、東京の人混みに憧れを抱いていたこともあったっけ。それがいつからこんなに人混みが嫌いになったのやら。
きっとコロナだ、コロナのせいだ。
コロナで強制的にステイホームになり、「あれ、私、引きこもるの好きかも」と気がついてしまった最後、電車乗ってでかけるのもめんどくさくなった。もうお酒飲んで、電車で帰るとかしたくない。徒歩圏内ですましたい。できないならZOOM飲みでいい。飲んだらすぐお風呂入って寝たい。
とことん家から出なくなってしまった。
仕事もリモートワークで出勤しないし、やりとりはチャットだし、一言も交わさず仕事終えることなんてしょっちゅうだけど、ノーストレスだよ。
別にしゃべらなくたって楽しくお仕事できてるよ。
ああ、ここまで書いてみたら、単なる私の出不精の問題な気がしてきた。
しかも旦那もお家大好きっ子で気が合ってしまっているから、さらに出かけない。せっかく旅行しても「やっぱり家のベッドが一番だよね!」と共感しあってるくらいだし。
わが家にアクティブ要因が全くないから、五類に移行しようが今後ますます出かけることは少なくなるだろう。
でも、いいの。
焦りもないし、気にしてもいない。
だって、それに不満はないから。
遠出して春を感じに行かなくたって、近くの公園や誰かの家の花壇で春を見ることができる。
テレビのプロがキレイな映像を出してくれるから、行かなくたって幸せ。
ディズニーランドに行ったことがなくたって幸せ。(ドン引きされるけど)
ディズニーシーにも行ったことがなくたって幸せ。(憐れんだ目で見られるけど)
だけどね、ひとつ言いたい。
夏の高校野球を見に甲子園には絶対行く。
日焼けしようが汗だくになろうが、さらには激混みだろうが私は行く。
なぜならば、そこに私の夏があるからだ。
結局はそれぞれ自分の欲求で出かけているので、他人がどうこう言うのは無駄だというお話でした。
あしからず。
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