多様性の前に、目を向けたいこと。
こんにちは。れごです。
#多様性を考える 。私も考えてみました。
そもそも多様性という言葉はよく聞くのに、その言葉の持つ雰囲気が1人歩きしている気がする。
多様性(diversity)とは:
ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること。
社会からはこんな声が聞こえてくる。
『多様性を重視した社内作り』
『今の時代、多様性だし〜』
私は首をかしげる。
多様性そのものは今を生きる現代にふと湧いたものではない。ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在することを最近多様性と名づけただけだ。
けれども名付けの力を侮ってはいけない。
多様性という言葉が生まれ人々の頭に刻まれて初めて、多様性について考えられるようになった。
では本題。
多様性を個人単位まで小さく分けたものを個性と呼ぼう。
人それぞれ様々な個性を持ち、きっと同じものはない。
だから1人1人が持つそれぞれの個性が集まってできた集団は必然的に多様性が伴う。
では世間で注目される多様性とは。
まず多様性という見方は1人では生まれないため、組織の中の1人として考える。
『彼は毎日全身緑色の服で出勤する。派手すぎるがこれも多様性だ。』
もし全身緑の彼が1人で会社を経営していれば、緑色の服を多様性だと言う人はいない。
この場合の多様性は、組織に求められる理想の人間と比べてその人の個性がそぐわない部分を受け入れるという意味で使われてはないだろうか。
では、街で緑色の彼を見た通行人が『やば、あいつ緑色なんだけど。これも多様性なんじゃね?』と思っていたとする。
これも街行く人々と比べて異なる格好をしているから現れた見方である。
周りと比べてアイツは違う、でもそれも多様性だよね。
確かに、服の色で見れば彼は変わった特徴を持っている、ように見えるだろう。
ところが見方を変えるとあなたが多様性だと言われる側になることを忘れてはいけない。
その街にいた100人のうち、あなたを含めた10人が左利きだったとしよう。
緑色の彼は右利き。となればあなたが彼から多様性と言われる番になるのだ。
いやいや、利き手なんて大したことない。と思うかもしれない。
そう、多様性は大したことはないのだ。それだけ身近なことなのだ。
多様性は見方を変えるだけで無数に生まれる。そして私とあなたでは見えている多様性に異なる部分があるだろう。
だから多様性という言葉には、相手の個性だけでなく『お互いの個性を尊重する』意味があってほしい。
そして1番尊重するべきは『自分の個性』であることを忘れないでほしいのだ。
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