都市怪談 第三話「タクシー」其壱(上)
はじめに
車社会であった私の地元ではほとんど使ったことがなかったが、都内で働き始めてからは「なるほど便利で、使い勝手が良い」と深く納得した覚えがある。
都内では都心をはじめ各方面に緻密な公共交通機関が配置されており、比較的安価な値段であちこちへ足を伸ばすことができる。
平日の出勤・通学や休日のレジャーまでそのほとんどをそれら電車・バスなどで生活することも不可能ではない。
一方で、ついつい酒が進んだり話が弾んだりして終電を逃してしまったりすると、筆者はよくタクシーを利用する。
暑い夏や寒い冬などは快適に個室空間で自宅まで帰ることができ、毎日こうして移動していたいと思うものの、相乗りでなければすぐに財布が空になる。
さて、今回はそんなタクシーにまつわる不思議な話である。
一昔前までのタクシーにまつわる怪談といえば、東京にある青山墓地の幽霊や京都の深泥池の話が有名どころといえるだろう。
タクシーまつわる怪談や奇談は多く、車内という閉鎖空間の中で起こる怪異が「逃げられない中での迫り来る恐怖」という我々の心理を掻き起こし、故にこのように怪談舞台の中でも確固とした地位を築いているものと考えられる。
筆者もいくつかタクシーにまつわる話は聞くことができたので、今後も都市怪談の中で散りばめてご紹介しよう。
タクシー 其壱(上)
タクシー運転手をして10年目の降谷さん(仮名)が語ってくれた話。
「まあ、元々はトラックの運ちゃんをやっててね。ほいで40を過ぎたあたりから、体がしんどくなってね。タクシーの運転手に乗り換えたわけですわ。」
そう語る降谷さんは、50過ぎの現役ドライバーである。
ダンディーな白髪とキリリとした目元が特徴的で、芸能人で言えば吉川晃司似のイケオジだ。
しかしそんな見た目とは対照的に、一度口を開けばべらんめえ口調が特徴的な下町気質の生粋の江戸っ子である。
そんな降谷さんは、ドライバーを初めて40年余り、一度だけ不気味な体験をしたことがあるという。
降谷さんがタクシードライバーになって5年目の春。
元々トラックの運転手をやっていたということもあり、大方都内の道を覚えるのには苦労しなかった。
しかしなにぶん、べらんめえ口調が中々抜けず酔っ払いのお客さんとは口論になってしまうこともしばしばであったという。
そんなある夜、池袋駅東口のタクシーステーションでいつものように列をなしてお客を待っていた。
大体終電を過ぎると、タクシーステーションには平日でもちらほらと列ができるようになり、多くは池袋駅近隣の駅まででとどまってしまうが、たまに遠方への輸送依頼もある。
その日は、火曜か水曜だったため、金曜や土曜にしては人もまばらで、降谷さんが待っている間にお客は泣かず飛ばすであくびをしながら気長に車内で待っていた。
不意に後方のドアをコンコン、とノックする音が聞こえ、後ろを振り返ると、中年の男女が窓を覗き込んで胸の前でOKの印を作っている。
すぐに後部座席のドアを開け、
「どうぞ、大丈夫ですよ。」
と声をかける。
男性と女性はそれぞれ胸のあたりに小ぶりな荷物を抱えながら、席に座り込んだ。
「お客さん、どちらまで?」
バックミラー越しに、降谷さんが尋ねる。
男性は黄土色のトレンチコートを羽織りスーツを着ていて、女性は白のカーディガンに長めのスカート。
大方、会社の打ち上げ帰りだろう。
良い歳の男女だが、夫婦のような馴れ馴れしさは感じ取れなかった。
男性の方が徐に口を開く。
「すみません、まずは青山霊園までお願いします。」
ギョッとした降谷さんは思わず聞き返す。
「ん?お客さん、青山霊園ですか?」
「はい、青山霊園までお願いします。」
バックミラー越しに覗くと、男性はじっと降谷さんの方を見つめている。
メーターに映る時計の針ははすでに25時を回っている。
一体、なんでこんな夜中に…。
まあ、訳を聞くのも野暮だ、仕事だしさっさと終わらせてしまおう。
「はい、分かりました。」
短く返答すると、無言のまま車を発進させた。
青山霊園に着く間、車内は異常なほどに無音だった。
時たま、後部座席に装着しているコマーシャルの音だけが車内にこだまする。
20分青山霊園までの道中、男女ともに一切の会話もないままであった。
ようやく青山霊園の駐車場に到着し、一刻も早く脱出したかった降谷さんはメーターを切ろうと手を伸ばして後ろを振り向いた。
すると男性の方がドアに手をかけつつ、降谷さんに声をかけた。
「あの申し訳ないのですが、まだメーターは切らないでいただけますか。他にも寄りたいところが複数あるので。」
たまらず降谷さんは
「お客さん、深夜料金にもなりますし、ここで待機していてこれからもあちこち回ると相当な金額になりますけど大丈夫ですか?」
と提言した。
本心は、一刻も早くこの2人に別れを告げたかった。
夜中の1時過ぎに池袋駅から青山霊園までタクシーで移動するなど明らかに常軌を逸している。
しかし男の返答は、降谷さんの淡い期待を打ち砕くものだった。
「大丈夫です、いくらでもお金なら用意しているので。少しの間だけ、ここで待機してもらえますか?すぐに戻ってきます。」
落胆する降谷さんを横目に、中年男女は車を後にし、墓地へ向かっていった。
続く。
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