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留学を終え、これまでの学生生活を通して得た気付きと日本の今後についての提起

過去にアメリカとオーストラリアに留学しており、現在フランスに交換留学中でヨーロッパも10ヵ国程度回ってきた中で感じた、大学4年生がこの問題について個人的見解を述べたいと思います。超個人的見解ですが読んでいただきたいです。
前提として教育云々の前に人種差別はNoです。

この寄稿においては、実際にフランス留学の最中に身の回りで起きた日本人という括りではなくアジア人に対する差別的発言のエピソードをベースに自分が感じた考えを述べていきます。

これは自分と同じフランスのビジネススクールに通う女の子の友達(高校を卒業したばかりの18歳)の実体験のエピソードになります。
それが起きたのは、その子がフランスに来てから最初の授業でのこと。
日本の講義形式と異なりグループワーク主体の授業展開のため、早速グループ作りが始まります。

とその前にこれを読んでる人、留学をした事がない人に向けて、まず明確にしておきたいことは、アジア人にとってアジア人の顔は大体どこの国か想像出来るけど、それ以外の国(欧州圏や米国圏)の人の顔を見て、その人がどこの国っぽいなって判断するのは不可能です。留学してたら少しは分かるかもだけど、、
英語の訛りや名前で判断する(超むずい、ほぼ無理)ぐらいしか方法がないです。インド人はすぐ分かる、顔でもね笑
そのため、留学当初は誰しもアジア人同士のコミュニティ形成が為されると思います。自分の様に寮ではなく普通の一軒家にシェアハウスをしているような、住んでる環境が違うためイレギュラーの人もいますけど。
それに対して、ヨーロッパ人はすぐ仲良くなってますね。何でか、これは確実に地理です。世界地図を思い浮かべてみてください。
日本は島国なんで、日本語以外を使う機会なんてほぼないので義務教育や授業で英語使用は終わりな人も多いと思いますが、欧州の地図を見てください。皆隣国ですよね。
確かに、それぞれの国でも大都市圏内ではなく地元の店やスーパーで働く人はその国の言語しか喋れない人も多いです、というかほとんどです。自分が住んでいる所では、フランス語が喋れないとわかった時点で拒否されるといった経験もしました。日本でもほとんどの人、特に田舎や高齢者の方は全くといっていいほど喋れないですよね。
しかしながら、現在の様な教育レベル水準の高度化に伴い、英語が第一言語ではない地域の大学や私のようなビジネススクールに通っている子達は、自分たちのネイティブランゲージ、英語+で何かを喋れる人が大半です。ハーフの子(ex.ドイツとフランス)もたくさんいますし、5ヶ国語くらい使いこなしてる子も平気でいます。しかもヨーロッパの言語は、ギリシア語以外全てラテン語に起因しているので言語習得もそこまでハードルが高くないという利点もあります。
いやいや日本でも勉強すればいいじゃんって思うかもしれないんですけど話す機会が完全に異なりますよね?ましてや英語でもないのにどうやって日本国内で顔の判断も出来ない中でその国の友達を探して喋れるレベルまで持っていくの?って話なんですよ。たまにいる人居るけど、その人の努力尊敬します。
ただえさえ学校教育で教わる英語なんて文法の構造理解以外、単語とかはほぼ使わないし、本場の人の英語のスピード力はリスニング力を測るTOEICとかのレベルの話じゃないんですよ。これに関してはほんとに「百聞は一見にしかず」で、実際に行くとこれまで学んできたこととのギャップに大きく気付かされます。あと、ちょっと話はそれますけど円安とかもあってコロナが治りつつあってもわざわざ留学に行く必要とお金を天秤にかけたら、お金に傾く人だって大勢いるはずですし、日本国内から出たことないのに「そんなわけないだろ」とかこの文章に文句言ってる人は論外です。海外に完全に一人で留学か旅にでも出てみてください。
てな感じで要は、ヨーロッパの言語に関してある程度学んでない限り不利な状況には100%あるわけで、これは誰を恨むとかではなく日本に生まれたからしょうがないわけなんです。
でもここで、ある疑問も同時に生じます。それは日本は敗戦国であるということです。第二次世界大戦で日本は敗戦して、植民地支配とは言わずともマッカーサー主導の元において、アメリカの真似事をして産業の発展も急速に拡大しました。歴史の中において、敗戦直後はかな・漢字の廃止が前提にことが進んでいた様ですが、日本の文化を保護するという観点と当時の文科大臣のお言葉もあってそれは免れたらしいです。少なくともその時点で英語に対する日本の意識は高まったはずです。もしかしたら、自国防衛の意識から英語教育が明らかに遅れてしまっているのかも知れません。ではなんでこのような疑問を持ったかというとフランスとアフリカ大陸の関係性を見たからです。みなさんご存知の通り、フランスにはかの有名なナポレオンが存在しました。ドイツにも同様にヒトラーという圧倒的な存在がおり、ゲルマン魂は今にも受け継がれています。ナポレオンは多くの地域を植民地支配しており、カナダのケベック州ではフランス語が英語と並行して公用語であり、アフリカ大陸の約半分の地域を支配していたために、フランス語を喋ることができるアフリカ人はとても多いです。また台湾から訪れている留学生の多くもこれまでの教育課程でフランス語を義務的に学んだことのある生徒は本当に多くいる印象を持っています。植民地と言われると聞こえは悪いですし、フランス人とアフリカ系(特にモロッコ人)の関係は学生間でも多少確執があるのも事実です。ただ、現在フランス語の世界における使用率は日本語の2倍以上である約2.7億人もいます。国土は日本の半分ほどであるのにも関わらずです。もちろん植民地を肯定しているわけではありませんが、アメリカの支配下にあったという事実を活かして、もう少し前から日本の高等教育における英語の立ち位置を再考するべきはなかったのではないかと思います。

今更なんですけどこれまでの話は語学留学の人は含んでないです。ネイティブが英語の地に英語を学びにいくのと、英語を用いてビジネスを学ぶことは全然違うと思うので。自分は交換留学でビジネスについて英語で学んでいるという環境です。

話がだいぶ逸れましたが、その子がグループを作るってなったタイミングでヨーロッパ人は直ぐにグループを作るわけです。

ここでも友達の海外歴が長い日本人の子にふと言われて、確かにと個人的に気になった点をあげます。それは日本人の仲間意識です。
先程、アジア人同士のコミュニティ形成の話をあげましたがそこに日本人がたくさん居るとかではなく、平均2人程度、多くて3人だと思います。ちなみにそのコミュニティは他の国籍は台湾や中国、韓国、ベトナムの子達です。皆さんはこの日本人の2,3人っていう数字を見てどう思いますか?

少ないですか?それとも多いですか?
まぁ人それぞれですよね。

英語で学びに来てるんだから日本人なんていらない、このマインドめっちゃ重要です。
けどそれは大多数の人が思ってる事でしょうか?そう言ってる人も実際は授業内だけでの話であって、授業外では日本人がいる、コミュニティがある、という安心感を元にそのようなマインドになっているのではないでしょうか?アメリカやカナダの様に英語が公用語で、日本人留学生もたくさんいる状況下における発言なのではないでしょうか?そのマインドを1年継続させる事ができるでしょうか?
勿論出来てる人もいらっしゃるはずだしその人達の事は凄いとシンプルに思います。けど留学を既に経験していて2回目以降の留学だったり、昔海外に住んでた、という人以外は中々そうはならないんじゃないかなって思ってます。実際にそのマインドが空回りしてしまって、相談相手がいなくなってしまったり、少しの失敗でも萎縮しやすくなってしまい精神的に安定せず、せっかくの留学も無駄にしてしまった知り合いもいます。

ここで自分が確かに、と思ったポイントを挙げると
1: 留学している子達の年齢と社会経験の比例
2: 他の留学生との比較
の2つです。

まず1点目、留学している子達の年齢と社会経験の比例です。
この前提として、
・私は今大学4年生。
・個人的に大学生活で得られるモノ(自分の大学の学部のおかげもあるが)はホントに大きいし、高校生活までとは180°変わる。コロナがあったとしても。)
・周りの留学してる子(日本人)は高校卒業したての大学1年生に成り立ての子が多い。
という事を明確にしときます。
前提の補足として、高校卒業したら大学に行く、大学を卒業したら就職をする、という文化が根付き過ぎてるのは多分日本かアジア圏の国ぐらいであって、一緒に授業を受けてる子達の年齢層はホントにバラバラです。皆大学行く前に海外行ったり、大学在学中にはインターンに2年ぐらい費やしたり、卒業後もよりよい仕事を得るために大学院に進む学生の割合も日本とは比べものにならないぐらい高いと思います。国や企業によっては最低半年のインターンを2回以上していないとそもそも採用基準に満たしていないう判断をされるらしいです。ルームメイトからも日本ってインターンをする文化が無いよねって言われました。
というか日本における大学院進学や長期インターン、交換留学の立ち位置ってなんなんだろうと思いますね。多分最終的に良い企業に入るというゴールのための手段であるという考えには、学生であるなら日本の学生や海外の学生に限らずそこまで差異はないと思います。しかしながら手段という捉え方にもレベル感は確実に存在します。まず海外におけるインターンが異なると感じる点は2点あります。
1点目は、取り組み方です。自分も2ヶ月間のみインターンを日本で行っていましたが、もちろん大学の授業と並行しても行えるタスク量でありますし、コミットも出来ます。周りの友達でも大学を休学してまでインターンに取り組んでいる人は本当に少数ですし、一般的な日本の学生の意見として大学を休学してまでもインターンを長期で行って、同期と学年をずらしてまでも入社するのは違うんじゃないの?っていう流れがあります。それはなぜか?就活のネタ作りでしかないからです。それに加えて、日本における「年功序列」という文化が少なからず影響していると思います。年下が年上を敬う文化は確かに重要です。しかしながらそれは顕著になり過ぎている気がします。社会においてはやっと能力に基づく評価制度が求められましたが、じゃあそれまではどうでしょう?人間の人格形成における高校生活や大学生活までの18年間や22年間の間で、学年の垣根を越えて能力主義で評価される機会はあったでしょうか?もちろん自分はサッカーを部活としてやっていましたし、スポーツの世界において試合に勝つためには下の学年でも上の学年に混じって試合に出ささせて貰う機会は多くありました。しかしながら、先輩と対等に意見を出し合っていたかというとそうではなかった気がします。どこかしらで年上であるというフィルターがかかってしまって言いたいこを言えない経験は誰しもあるのではないでしょうか?誰もが何でも意見を言い合える組織作り、というのはあまりにも普通の目標であり全ての組織に共通している目標であると言えますが、本当の意味でそれが実現、体現されていると誰が評価するのでしょうか?判断基準があるのでしょうか?目に見える結果が出たとして、それはほんとうに誰もが平等に、対等な立ち位置を確保した成果なのでしょうか?後輩の誰かが、自分の意見を抑えて妥協し、先輩の見えない圧や意見を尊重してなしえた結果を、自分達が主導した結果だと捉えている先輩たちの勘違いが生んだただの美談なのではないでしょうか?
そうした見えない積み重ねが社会人になり、飲みにケーションといった言葉が確立されているようにわざわざ飲み会に行くことでしか先輩と仲良くなるしか方法、そもそも断れないという事象が起き、対等な関係が構築出来ていないと言わざるを得ないですよね。もし、この状態を本気で変えたいのであれば今、この瞬間から政府主導で取り組む必要があります。なぜなら、年功序列だからです。若い頃に先輩にこき使われて、敬うことを強要されてきた昭和時代を経験してきた人は現在敬われる立場にあり、もちろん尊敬されることが当たり前と考え、自分がされてきたことを今度は年下に行うことも普通のことであると捉えているからです。これが何を意味するかというと、これから先の時代も続く年功序列の永遠ループですね。どっかで歯止めをかけない限りこの流れは止まらないと思います。まあ政府にいる人材はそうした昭和時代を生きてきた人たちなので、この事態に問題意識すら持っていないと思うので期待はしてないですけどね。そしてこういうことに気づいている若い優秀な人材は早めに日本の将来に見切りをつけて、どんどん海外に流れてしまっていると思います。これに関しては、後述する若者の政治的関心度合いにも繋がる話ですのでまた後でもお話しします。
海外の学生からすると授業と並行しても行えるインターンはインターンじゃないですし、あの授業量と勉強量だと確実に時間がないです。というかカリキュラムによっては休学をしなくても半年間のインターンが必須のプログラムとして組み込まれていることもザラにあります。日本だと大学生の期間を「人生の夏休み」と称してますよね。一般的に入るのが難しく卒業が簡単な日本の大学と、入るのが易しく卒業するのが海外の大学と言われているので、それを象徴する様な事柄がインターンの有無なんだと思いました。
インターンをせずとも大手企業に入れてしまうのも事実のため日本の企業もそれは分かっているはずなのに改善をしないのはどうかと思いますね、本当に。
2点目は、企業のレベルです。正直自分は日本のインターン事情に詳しくないのですが、周りの友人を見ていたり、話を聞く限りにおいては、いわゆる大企業で高い業務レベルで長期インターンを採用している会社はあるのでしょうか?日本の企業の99%は中小企業と呼ばれる中で、残りの1%の中でもそのような採用を実施しているのは5%もないんじゃないんでしょうか?確かに海外でも企業の幅はピンキリです。しかし、中小企業のベンチャーの長期インターンで行うものとは内容がまるで違うと思います。日本における、インターンの場合は組織におけるフライヤー的な役割を担ったり事務的作業が大半を占めると思います。しかしながら、彼らはインターンの採用時に申告した彼らのスキルを発揮することが求められ、社員と対等に扱われます。それはつまりインターン生であってもクビがあり、きちんとした給与が発生するということです。また彼らのスキルとは言語等の資格のみならず数人のグループをマネジメントしたり引っ張っていくことも求められます。それをよく分からないベンチャー企業ではなく、金融系やラグジュアリーブランドであってもです。その分、採用基準も非常に難易度が高いですがそういう人達を間近で見て、自分や一般的な日本の大学生を比較するとどうしても差を感じてしまいます。もちろん、自分が行っているのがビジネススクールだからであり、海外の大学生が全員そうであるか、と言われたらそうではないと思います。しかしそんな部分に突っ込みたい人は、何か少しでも社会のために自分の価値を見出して貢献して欲しいですね。
大学院進学に対するスタンスについても触れときます。まず日本でMIBやMBAを取得して経営面で現在世界的に評価されている人を知っていますか?自分は知らないですし、そんな人材はますます輩出されなくなっていくというか世界で見たら確実に埋もれると思います。もちろん医学の世界や物理等の研究職の世界に進み、その道を極めノーベル賞を受賞した方も沢山います。しかし彼らは、多くの年月を要した結果であり短期間での目に見える結果が出やすい経営の世界において考えると日本人はどうなのでしょうか?
というか日本で取得したそういった資格は結局就活においての箔にしかならないし、もし本当に学んだ人であるのならば、日本の企業において、社会においては十分に活かせないという現状に気づいてしまうと思います。本当は、そういった人材が警鐘を鳴らして、いわゆるユニコーン企業の創出を担っていくべきなのですが、ここでも日本が育んできた経営における企業間関係のカルチャーが邪魔をしています。日本の経営は元来市場をベースにしていません。そのため、従業員や株主の意向を尊重するローリスクな経営が築かれてきました。これが何を育んできたのか、ユニコーン企業の損出とVCの未発達です。まず、ユニコーン企業とは、これまでの常識を覆したり、生活で用いられてきたモノやサービスを生み出す様なリソースやアイデアを持っている企業のことを指します。ではなぜ損出なのか?それは資金調達の面です。日本には優れた技術を持った多くの中小企業が存在するのにも関わらず、彼らだけでは資金が足りず、その技術に目をつけた海外企業から積極的に技術や企業自体の買収が行われてしまっているのが事実です。ではなぜ資金調達が難航するのか?それは調達先が銀行であるからです。日本は市場主義じゃないために、企業は銀行に融資をお願いするのが基本です。そしてその事業内容や将来性をもとに彼らに明確な利益に回収が見込まれると分かった段階でのみ、融資が受けられます。銀行は損をしたくないですし、慎重な判断を重ねるため実際にそのアイデアを資金調達をして形にするためには多くの時間を要します。つまり海外とは圧倒的にスピード感が違うのです。分かりやすい例として、コロナ禍におけるワクチン開発があります。皆さんも知っている通り日本の医療技術は世界トップクラスであり、その安全性に関しては群を抜いていると言えます。でも結果はどうでしょう。今回のコロナという不測の事態に対しての急速な対応を求められた時に日本が先陣を切れたでしょうか?結局採用されたのはモデルナやファイザーといった海外製のモノであり、安全性を危惧する声も当初はありましたが今では当たり前のように3回、4回とそれらの製品のワクチン接種が行われています。河野大臣も言っていますが、現状の日本にはリスク回避に文化根付き過ぎており、何か新しいことをしようとすると、株主やトップ層達の承認を一々取る必要があり、それをクリアしても今度は銀行は損を恐れて出資を渋るという、海外と比べてもその差は明確です。先程も言った通り、もちろん日本人の中にはノーベル賞を受賞される方もいます、しかし長い年月をかけて1から10を生み出す力はあっても、0から1を生み出す創造力はどんどん衰退していくと考えられるし、日本発のユニコーン企業であっても海外の方がはるかにスピード感や資金調達の面で優秀な人材だけでなく、将来性のある企業であえも国外に流出すると思われます。更に、このコロナ禍において富裕層が自分の資産形成に重きをおいて、資産を増やすというよりも現状から減らさないという姿勢になっていることも大きな問題であると言えます。画期的なアイデアやリソースを持っていても、変化を恐れる銀行からは融資を受けられない、富裕層含む投資家達も自分の資産を守りに入っている、そしてそれを待っているこの瞬間にも海外の企業はトライアンドエラーを繰り返している、この状態を解決するにはもう海外に行くしかないと正直思います。

大分話が飛んでしまいましたが、何でまずこのポイントを挙げたかというと、端的に言うと子供っぽいなって思えるからです。これは無邪気さとは違います。
これまで留学をした事があるわけじゃない、海外で生活をしたわけでもない、アルバイトやインターンの様に社会経験を積んできたわけじゃない、大学生活の部活やサークル等のコミュニティで高校までとは全く違う多様性に満ちた中で関係作りをしないといけなかった環境にいたわけでもない、この様な子達がビジネススクールの様なほとんど年上しかいない所にぽんっていると何か一瞬で分かるんですよね。何か子供っぽいなって。発言とか行動とかでね。
別に悪いっていっているわけではないし、高校卒業してすぐにビジネススクールのような環境に長期間留学するっていう勇気だったり決断力、好奇心は凄いと思います。けどそのギャップの間に蓄積されるものは非常に大きいと思います。(とか思うと日本企業のヒトに注力したビジネスモデルを築き上げた調整力ってほとんど大学時代に形成されてるんじゃないかとか思います笑)

続いて2点目の他の留学生との比較です。
まずこれまで言ってきたグループワークというのは授業毎に毎回変わるものではなく、成績の主を占めるファイナルプロジェクトまでをやり遂げる仲間とのワークであり、それをまだ関係値も浅い割と初期段階に自分たちで決めないといけません。先生がランダムに決める時もありますが。
自分は取っている5個の授業全てでグループワークとファイナルプロジェクトがあったのですが、その内先生が決めたのは1つの授業のみでした。
そう、彼らは高い関係構築能力とプロジェクトの遂行力を持っているのです。日本にように社会人になってから急に組織における役割やリーダーシップを求められるようになり、大学生のうちに急に何かをし始める、とは根本的に違うのです。彼らは大学入学以前から教育システムの中に馴れ合いじゃなく、協働して目的を達成を行うことが組み込まれていてそれが自然となっているのです。そしてその達成のための最適な手段が何であるかをきちんと理解しているのです。この教育が生み出すものは何か、余裕と自信です。何が言いたいのかというと、彼らは同じ国籍やコミュニティの仲間と積極的にグループを組もうとするのです。それはなぜか?理由は簡単です。いい成績を取りたいからです。普通に考えたら、同じ国籍を持つ人同士で組んだ方が意思疎通は図りやすいですし、関係構築も容易にできます。日本の学校でも、自分達でグループを組んでくださいと言われたら、わざわざ普段喋らない人と組もうと考える人はいないはずです。日本人における留学の念頭にあるのは英語の上達だと思います、しかし彼らとはそもそもの考えが違うのです。教育課程において、英語は既に学ぶ段階ではなく学ぶツールになっているのです。

脱線に脱線を重ねましたが、結局その女の子はグループを作る際に余ってしまい、先生から入れてあげてと言われた、ヨーロッパ人の子達からアジア人は要らないと言われ、その子はその授業の履修をやめてしまいました。
もちろん、大学生にもなってそんな発言をしているグループの子達に問題があるのは明らかですし、そうした話が令和になってもあるということが欧州留学の中でもフランスに行く時には必ず、コーディネーターの方から差別についての注意があるのだと思います。しかしながらよくよく考えてみると、そのボトルネックの一因には、日本の英語教育システムもあるのではないかと思います。彼らは、海外の他大学でも良い成績を収め、インターンを獲得する所し自分の能力の証明や獲得までをゴールとしてますが、日本人はいい成績とかよりもとりあえず単位は取れればよくて、目的は英語を喋れるようになったり、普段会えない人との異文化交流をしたい等を持つ人が大半でありそもそものゴール設定が違っているのです。これを加味して考えるとまた違ってくると思います。そしてこれらの責任をもし学生個人の英語の学ぶ姿勢にあると考えているのであり、政府は自国の国力を下げていることに気づかない、もしくは気づいていても行動に移さない限りは日本の教育の未来はないと言えます。

最後に若者の政治的関心度合いについて触れます。
海外の子達の政治への関心、これ高いと思います。例として、シェアルームをしているボスニア人とインド人を出します。まずはボスニア人ですが、自分の国の政治への関心は選挙の日は一日中動向をチェックし、候補者にほとんどのマニフェストを理解していることはもちろんのこと、他国への政治の関心具合も凄いです。自分に対して、日本における天皇制や右翼なのか左翼なのか?首相についてどう思っているのか?等すごく聞いてきます。また中国と台湾の関係を台湾人の子に何の躊躇いもなく聞いたりと正直驚きました。しかしながら彼にとってはそれが普通であり、何で自分の将来のための選挙に関心を向けないのか不思議がっていました。インド人の彼も、各政党の党首や施策、マニフェスト等を正確に把握しており、インド人の友人と政治について1時間以上議論していた時には驚きました。今の日本の大学生で、その様な知識や関心を持っている人はいるでしょうか?もちろん、内閣支持率を見れば分かるとおり、政府の責任ですが若者の責任でももちろんあると思います。現在の日本において、若者の政治的関心が低いことを問題視していると言いますよね。確かに自分達の将来を左右するための選挙という民主主義の結晶の制度が整っているのにも関わらず、その権利を放棄して日本の政治についてああだこうだ言っている若者は論外だと思います。しかしながらそれは若者の問題だけなのでしょうか?若者の雇用や保障制度の不十分さ、貧富の差の拡大による教育を受けることが出来ない、大学進学を諦めて働かざるを得ない子達の存在等の表面化されている問題についてではなく深層的な部分に目を向けてみてください。先述したような一見関係のない様に見える年功序列の文化の様な存在がそれを後押ししているのではないですか?そして政治家でさえ気づいていない存在に気づいている若者が、声を上げても結局反映されないことに気づいて選挙に行っても意味がなく、国外に流出してしまっているのではないですか?実は、政治家のバックにいる人たちはそうしたボトルネックに気づいているが、そこまで考えられずネットや意見に踊らされている国民の関心度合いを自分達の利益のためにコントロールしているのではないでしょうか?現状の日本の政治に関しては、そのような想像をしてしまうくらいに将来性がないと考えています。
皆さんゲーム理論を知っていますか?そしてゲームに絶対に勝てる方法を知っていますか?ゲーム理論というのは2人以上間の関係におけるあらゆる事象は損得に分けて経済的に考えることができ、その時にとるべき最も有効な選択肢を導き出す際用いられています。ゲームというと少し勘違いされる方もいるかもしれませんが、友達との賭けやギャンブルもゲーム、企業の戦略も競合とのゲームであり政府としての国家戦略もゲームです。そしてこのゲームの参加者にとって最も大事なことは分かりますか?それはルールの明確な理解です。そもそもプレイヤーは誰か?誰とどの目的に向けてゲームするのか?お互いのプレイヤーの現在の立ち位置は?始まる前に既に遅れをとっているのではないか?ルールは公平であるか?等です。ではゲームに絶対に勝つ方法もわかりますよね?それは、自分に有利なルール・制度・仕組みを構築してしまうことです。ズルい、イカサマじゃんと思う方もいるかもしれません。その通りです。しかしながら、友達と1対1できちんとルール確認をした上でゲームをしたとしましょう。当然そのイカサマには気付けますよね?途中でおかしいと思ったらゲームを中断することもできるわけです。では政府の国家戦略(施策)のゲームを考えてみてください。プレイヤーは政府と国民ですよね。政府が国民に対しての施策をどんどん提案するとしましょう、国会では彼らが提案する約80%の施策は承認されるらしいです。選挙に行かない若者は省いたとして、こんなにも問題が多いのに関わらず、プレイヤーである政府側は実質常に勝っているのですよ、国民の代弁者である議員達は何をしているのでしょうか?というか勝てないのでしょうがないんです。先ほどの例で挙げたように友達同士の規模感であれば把握出来るものも、国家レベルで考えると仕組みを把握するのは無理ですし、現在進行形で何が起こってるのかすら正確に理解するのは100%無理です。自分が言いたいの問題提起は、日本においてこのような仕組みは法律制定という現代よりはるか昔の時点から確立されており、国民が勝つゲームはないということです。今の当たり前の様にある法律、これは本当に当時の政府が国民のためを思って作ったものなのでしょうか?上級国民という言葉も根付いている通り、本当は一部の人に常に有利に働くようなフィールドが法律制定時点で既に形成されており、そのフィールドが変わらない限りゲームの勝者は変わらないし、今の若者達はまずその負け試合のフィールドにゲーム開始時(生まれた時)から立たされていることにすら気づいていない人が99%じゃないんでしょか?そして政府側はそれを理解した上で、ある一定のところで常に国民をコントロールしているのではないでしょうか?これに関しては、完全に自分の持論の域なのですが、そうしないと日本のエセ民主主義の説明がつかない気がします。皆さんも知っている通り、日本には天皇が存在します。また日本史を振り返ればわかる通り、昔には明確な身分の区分が存在していました。しかしこうした身分の区分は日本に限った話ではなく、欧州をはじめとして世界各国でありました。そしてそうした彼らも現在では民主主義を取っています。ではなぜ、日本はエセだと思うのか?それは先述したように、日本国における仕組みや制度が本当に誰に為に行われているものなのか、に疑問を抱くことに尽きると思います。フランス革命で分かるように先人達は自分達の権利のために、階級をひっくり返す様な行動をとってきましたし、昔は武器を用いてたものが言論というツールに変わっただけであってそれは現代に置き換えても普通のことです。では日本においてこれまでの歴史の中で、そのような出来事は起きたでしょうか?デモ等はあったにしろひっくり返るような事態は起きていないはずです。それもそのはずです。なぜなら武器が主流であった時代から、武将達が存在した時代から刀狩令等、自分達に有利なフィールドを作り上げ続けてきたからです。そこまで昔から構築されてきたものを現代になってひっくり返すのは難しいですよね、、、
けど、このエセ民主主義の形成は日本だから起きたことであり、良い面もあると考えます。まずなぜ日本か?これは完全に地理的関係です。鎖国もして外界を閉ざして日本の島国としての独自の発展を遂げた結果であると思います。そのためフランスが島国であった場合、今の日本の様になっていた可能性はあると思います。また、良い面もあり、それは統制が取れるということです。これが日本の世界に誇れる「見えない価値」である治安面に繋がっていると思います。先述の様にフランス語を喋ることの出来る近隣諸国は多くあり、パリの街を歩けば半数はフランス人ではないと思います。これは雇用の解決にも大きく寄与しており、日本が現在抱える中小企業等の雇用不足の問題の解決の一手である移民の受け入れが自動的に解決される環境があります。EU圏内であればパスポートも要らないし、電車で入国できるところがほとんどです。しかしながらそれは治安の担保に直結しており、欧州の中でもパリ、バルセロナ、ミラノに関しては現地の人でもスリや夜間の歩行等には十分注意を払う必要があるほどです。観光客がポケットに財布や携帯を不用心に入れておくことは危険であり、たとえバッグに入れているとしても電車内でもグループで巧妙に狙われることもあります。実際にパリに10年以上住んでいる知り合いでもスリの被害に遭った人もいます。そのため、日本において子供が夜間でも平気で1人で歩いていたり、財布等に対する意識に低さには驚かれる同時に、その日本の治安の良さに感心されます。携帯や財布を落としたり、忘れたりしてきちんと返ってくることなんて普通はあり得ないですからね。この様な文化が形成されたのもある意味、彼らが自分の身に被害が起きないようにルールを制定してきた結果の賜物であるとも言えます。
結局のところ、もちろん国民の政治への関心度合いの低さはもっと問題視されるべきことであると同時に、実際に何が起こっているのかを俯瞰して見ることができ、その先の洞察まで出来る様な人材の育成が大切であると考えます、そしてそのような人材が流出しないような仕組みづくりを行うことが急務と言えます。

ちなみに外国人から見た日本語の難しさってどんな感じだと思いますか??
・・・超むずい(読み書き)
何でだと思います?それは表現の多さです。
彼らの言語を構成するアルファベットは全部で26文字しかありません。
では日本語はどうでしょう?平仮名で50、カタカナで50、漢字に関してはほとんど無限ですよね。しかもそれを組み合わせて使うことが当たり前なので、このシステムを外国人の方が日本人レベルできちんと理解するのに相当の年月を要するのは当たり前ですよね。自分でも知らない表現はめちゃめちゃあると思います。それが日本やアジア圏における、古くからの古文や詩の奥深さを演出していると思います。メリットとしては、自分が持つ感情をきちんとそれぞれで表す表現言葉が存在することですよね。言語化できない感情ってほとんどない気がします。けど反対に考えると、英語は語数が少ない分、同じ単語でもさまざまな表現がそこに含まれるので如何様にも拡大解釈が可能であるため、日本人にとっては直訳したら全く伝わらないということがよくあり、彼らが本当に意図した使い方のニュアンスを理解するのも、彼らが日本語を学ぶのと同じように難しいものだと考えます。
個人的にはフランス語の発音の方が難しいし、アジア圏の人がフランス語をきちんと習得するのには平均的に7~8年かかるって聞いて納得って思ってました。(ヨーロッパ圏の人でも2~3年はかかるらしい)
余談ですが、本当に海外でのアニメ人気は凄いのでみんな何かしらの単語(いやそれより覚えるものあるだろってやつまで)知ってるのは感動しました。特に人気があるのはドラゴンボール、遊戯王、ナルト、鬼滅の刃ですかね。ワンピース好きっていう人にはあまり出会わなかったのが意外でした。

なんか色々書きましたが、結局留学ってどうなんって思いましたね、そんなに凄いことなのかって。日本の英語教育が遅れているからたった半年や1年海外に行っただけで周りから驚かれてるだけだと思いました。個人ではなく、日本という国として学生に留学に行ってもらうメリットは、海外で視野や知見、能力を拡げて育んできたものを将来的な日本の成長に還元してもらいたい、という事になると思います。確かに生活環境や住みやすさ、食等を考えれば日本は海外から見ても素晴らしいと思います、しかしながら「働く」を考えた場合どうでしょう?子供が出来た時のその子の将来を考えた時はどうでしょう?

今一度、こうした問題を政府には再考してもらいたいと同時に、自分からも問題提起をしアクションを取りたいと考えます。


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