【短歌+随筆】初の公募は落選。

 脈々と繋がる思い載せ届け我らを流る熱き血潮に

 この首は振り返ること約15年前、私が中学生だった頃、国語の授業の一環として初めて詠んだ短歌です。本当に、純然たる初期衝動と気持ちだけで詠み、メタル短歌として産声を上げた忘れもしない処女作なのです。
 そうです、思い出話です。
 因みにこの首は献血促進キャンペーンの公募用の作品でありました。私には絶対の自信がありました。何処を取っても熱意と愛が血潮は溢れ、献血への訴求力しかない。まるでイングヴェイ・J・マルムスティーン「ライジング・フォース」のジャケットが如く、燃え盛っているでしょう。何故落ちたのか未だに不明ですし正直不服です。
 ともあれ、これが、まだ15歳だった私が現代短歌を詠む楽しさに目覚めた瞬間でした。

 元々、百人一首ですとか、古今和歌集など和歌に関しては雅さであるとか、贈答歌なら贈答歌としてのギミックの効いた返し方、ウィットに富んだ知性等に惹かれて学んでいる中で好きというか、私にとって憧れではありました。ですが、そんなに突然さまざまな制約や単語の裏読みなど技巧的なことは未熟な頭ではできませんでした。
 和歌を詠みたい。和歌が好きだ。
 ところが、ある日の授業のことでした。
 あくまでカリキュラム上の教養として5,7,5,7,7、三十一文字の短歌という文化があることを学ばせるためだけだったのでしょうけど、出会ったのです。
 教科書に一部抜粋された俵万智さんの「チョコレート革命」の自由さと。そして、他にも掲載されていたなかで最も心を撃ち抜かれた、現代短歌の歌人として、私な最も尊敬する佐佐木幸綱さんの作品と。また、故・寺山修司の作品とも。

 それからの私はというと、校内のコンペがあると、必ず短歌を数首詠み、投稿しました。そういったコンペは選択制で、他にも俳句や川柳を詠むことも可能でしたが、私の中では短歌のリズムが一番体に馴染み、創作意欲をかきたてられたものでした。(賞を取れば図書カードなどギフトが頂けたということもありまして。)

 しかし、在学していた某私立の中高一貫女子校から卒業し離れると、歌集を買い集め読み更ける日々はあっても、大学(中退ですが)や働きに出るとシングルタスクの私には創作に向ける余力がどんどん削れていってしまいました。
 それで、たまにTwitterやブログで短歌のみならず思い付きのへたっぴな文章をこうして書いていて
「久々に短歌を真面目にやりたい!」
となり、拙作の良さを熟慮した末、苦肉の策でメタル歌人という概念を発生させ、今に至っているわけです。

 現在私は歌会に参加したり、短歌に関する所属先はございません。本当は多くの歌集や作品を読み込み、批評し批評され、技巧的な部分を磨けばより詩としての表現力を豊かにしてくれ、体力のある作品を産める可能性が高まるのは分かっています。そのため興味もあるのですが、なかなか一歩踏み出すことがままならないといったところです。
 でも、そういった所属先や批評頂ける場が今はなくても、数を詠んでいくことそのものも大事だと思うので、続けて学んでいきたいものです。

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ここまでお読み下さり有難うございます。 無理強いはしません! でも、お気に召して頂けるような創作活動をしていきたく思いますので、出展等の活動費に充てるため気が向いたら投げ銭やご意見を頂けるととても喜びます。