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何もしないをする


慌ただしい年末年始も嵐のように過ぎ去り、迎えた2024年ももう半月が経ちました。お正月のおめでたい空気感に引っ張られるように浮上していた気持ちも、時間の経過とともに緩やかに下降しているのをうっすらと感じています。
いい調子というものは、なかなか持続しませんね。

とはいえ、絶不調かといわれるとそうでもない2024年のわたし。病気の荒波にさらわれてしまった2023年の大半に比べると、穏やかといってもいい日々を送っています。波こそあれど、その強さは完全に呑み込まれるほどのものではなく、まるでさざ波のように勢いも弱いです。
長く続いたうつからもひとまず抜け出せたのかなと思っています。
やっとです。これでやっと、息が吸える。


「早く死ね」
文面にするのも恐ろしいような言葉で自分を呪い続けていた去年。しかし、当時のような積極的で具体的な希死念慮を今は感じていません。
それでも、漠然とした死への思い、憧れに似た何かは変わらずあります。そんな状態ではありますが、今はそれで落ち着いているのでいいのかなと。
奥で身を潜めている希死念慮というのも「長生きしたくないな」「死んだら悩まなくていいのにな」くらいの消極的なもので、今すぐにどうこうしてしまうような差し迫ったものではないから。

でも、落ち着いているのは今だけなのかもしれません。なぜなら、わたしの希死念慮や不安など、うつ症状を構成する悩みの種、問題はなにひとつとして解消されていないからです。
心の隅っこに存在し続ける死にたさは、今 勢いが弱まっているだけで、この先 余裕が無くなったり隙を見せたりしたらきっとすぐ呑み込まれてしまう。
そうすればまた、自分自身に呪いをかけ続けるような日常に逆戻りする未来が目に見えています。そんな日々には戻りたくはありません。決して。



焦ります。いつまでこの調子が続くか分からない、ずっと穏やかでいられたらいいけれど気持ちはそう長く持続しない。現に、気持ちが緩やかに落ち込んできているのを感じています。
落ち込みを自覚する度に焦ります。このままじゃだめだ、動き出さなくちゃ、現状をなんとかしなければ……。一度考え始めると泉のように溢れ出す焦りという感情に心は満たされ、焦りは不安へ、不安は希死念慮へと次第に姿を変えてゆきます。
だからといって、焦りを感じるな、消せというのも簡単な話ではありません。

そうしてわたしは焦りに急き立てられるがまま、勢いで動こうとしてしまいます。心を置き去りにして走り出し、その結果、躓いて転んで、歩くことすらできなくなる。一度だめになるとそこから立ち上がるのには時間がかかります。身動きがとれなくなり、情けなさと惨めさでうずくまる。想像できます、そんなことを何度も繰り返してきましたから。これがいつものわたしの流れです。



焦ってもいい結果に繋がらないこと、これまでの経験から想像できるはずなのに、今もまた同じ道を辿ろうとしている自分がいて、ハッとしました。
今の現状から抜け出したい、けれどもう地獄のような日々に戻りたくもない。動こうにも、動けない。怖い。動けない自分が、情けない。

いろんな思いが焦りを生み出して、そわそわ落ち着かない。どうすればいいのか。どうするべきなのか。自問自答を繰り返し、導き出した今のわたしがするべきことは、“何もしない”ということなんだという結論にたどり着きました。

何もしないを、する。

それってつまり現実逃避なんじゃないか、甘えているだけなんじゃないか、自分を責め立てる思考はいくらでも湧き出てきます。
でも、多分、そうじゃないのです。今のわたしの頑張るべきことというのはきっと、そういう感情から自分自身のことまで まるごと受け入れる姿勢を持つことなのだろうと思っています。
いつか前に進む未来のために、今はじっと待つ。ただ、今を過ごす。ただ、今を生きる。
そうやって待つ時間は、一見何もしていないように感じてしまうけれど、きっと未来への投資になっているのだと信じています。


前向きに考えられることばかりではありません、俯いてしまうこともあります。こんなの綺麗事だって突っぱねたくなったり、やっぱり受け入れられなかったり、そう思えない日だってあるでしょう。
でも、それでもいいんです。どんな自分も受け入れようとすること。それだけ頑張れば、少しずつでも頑張れば、それでいいんです。

今は“何をしないをする”ことがなにより大事なことだから。

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