花緑青

毒性の涙

花緑青

毒性の涙

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改めて、わたしと病気のこととか

以前「わたしのこと」という題で自己紹介をしましたが、それから半年ほどが過ぎたので、改めて自己紹介をしようと思います。 今回は、前回から変わったことと、患っている病気のことについて詳しくお話するつもりです。もしよければ、前回の記事にも目を通していただけると幸いです。 改めまして、花緑青(ハナロクショウ)と申します。 昨年の秋に無事誕生日を迎え、20歳になりました。 19歳だったときのわたしは十の位が変わってしまうことにすごく怯えていたけれど、変わってしまったのは数字だけで、

    • なんとか生きています。週日記はおやすみです。続けていくかどうか悩んでいます。 また、過去の投稿をいくつか整理する予定です。

      • “死”という選択肢

        生きていく中でなにか選択を迫られるとき、常にわたしには“死ぬ”という選択肢が存在している。いつからだろう。はじめて本気で自死を意識したときからだろうか。あるとき、ふっと気づいてしまったんだと思う。「そっか、死ねばいいんだ」と。 自分の中に死という選択肢が増えてしまってからというもの、わたしはちょっとしたことでも死にたくなってしまうようになった。多分、死が身近なものになりすぎているのだと思う。 たとえば、生きていると頑張らなければいけない場面というのがあるが、そのときも「頑張

        • 希死念慮はそこにいる

          もがけばもがくほど深く溺れていってしまうような鬱からはどうにか抜け出せたようで、今は鬱でも躁でもない曖昧なところをぷかぷかと浮かんでいる。それは心地がいいように思えて、実はそうでもない。どっちつかずな状態がなんだか気持ち悪いのだ。これをもし“穏やか”と呼ぶのなら、あんなにほしかったはずの穏やかさを受け付けなくなっていることを少し悲しく思う。 鬱のときはあんなに死にたかったのに、今はそこまでではない。死ななくちゃいけない!というような切迫した希死念慮は過ぎ去ってくれたようだ。

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        改めて、わたしと病気のこととか

          置いていかないで

          4月になった。春を感じるぽかぽかとした陽気が、気持ちいいけれどどこか落ち着かない。春は、世の中全体が一歩前に進んだような空気感があって、わたしはまた一歩分、置いていかれたのだなあと感じる。 数年前までとなりを歩いていたはずのあの子は、今は二歩、三歩、いや、もっと先を歩いている。わたしが転んだり、立ち止まったりしている間にも着実に進み続けていたのだからあたりまえだ。 できることなら一緒に歩いていたかった。けれどもう、わたしとあの子では歩いている道が違うのかもしれない。わたしの

          置いていかないで

          もう限界

          限界だ、限界だって思うのに今もこうして生きてしまっているせいで限界だということを証明できない。死ねば、限界だったんだねって認めてもらえる、わたしがほんとうにしんどかったんだってことを証明できるのに。 って、わたしは一体、誰に認めてほしいんだろう。分からない、ただ自分のしんどさが嘘じゃなかったって、口だけじゃなかったって、自分に証明したいのかもしれない。しんどくてなにもできないわたしを「甘えんな」と責めることしかできない自分自身に。 苦しい、なんでこんなに苦しいのか分からない

          もう限界

          幸せになっていいんだよ

          幸せになりたい。幸せになりたいはずなのに、幸せを感じるとどこか落ち着かなくなるのはなんでだろう。幸せって思ったとき、まるで心のバランスをとるみたいに、わざと落ち込むようなことを考えている自分がいる。幸せでいることが怖いのか、はたまた許せないのか、幸せを幸せのままにしておけない。確証はないけれどやってくるであろういつかの苦しみに怯えて、今の幸せを抱きしめることができないのだ。自分が幸せになることをいちばん妨害しているのは、自分自身なのかもしれないなと思う。 ずっと不幸だった、

          幸せになっていいんだよ

          おいしいって笑うため

          食べること=悪という思考が消えない。 食べている間ずっと、とんでもない罪を犯しているような気持ちになる。食べることが正しいことだと言われても、定着してしまったこの思考は深くまで根付いていて、そう簡単に上書きされない。だからどうしても、食べている自分を許せない。 それなのに一日中食べもののことを考えてしまう執着と、人一倍ある食欲。こんな自分が気持ち悪くて仕方がない。 食べることが唯一の治療方法だから、食べなくてはいけない。食べずに痩せてしまったら、また入院することになるからだ

          おいしいって笑うため

          繰り返す日々

          起きているから思考が頭の中を騒々しく駆け巡るのに、それでも寝たくない夜がある。明日が来てほしくないから、寝るのを先延ばしにして夜を引き延ばして、今日に居座ろうとする。寝ても起きても朝日は昇って明日はやってくるのに、わたしは今晩も“寝ない”という無意味な抵抗をしてしまう、このまま夜の闇にとけて消えてしまえたらいいのに、とかばかなことを思いながら。 明日が来てほしくない。明日もまた同じような日々を繰り返すだけなのだと思うと、一体なんのために生きているのだろうと漠然とした虚無感に

          繰り返す日々

          失った普通

          一粒ひとつぶが光に照らされ、つやつやと輝く。お椀によそわれた白ごはんを目の前にしたわたしは、心の根っこ、深いところから熱いなにかがふつふつと湧き出てくるのを感じた。勢いよく湧き出てきたそれは一瞬にして頭からつま先まで身体中に浸透し、そして脳みそは信号を出す。 「食べてはいけない」「気持ち悪い」 湧き出てきたものの正体は、食べものに対する燃えたぎるような嫌悪感だった。 頭が勝手にカロリーを計算し始める。一杯約150g、約230kcal。 そうなるともう、目の前にある白ごはん

          失った普通

          自分に疲れた

          当たり前のことだけれど、生きていく限り自分との付き合いが続くわけで、ふとしたときにそのことを意識して途方もない気持ちになります。 人生、自分でどうこうしなければ、どんなに生きていたくなくても生きてしまう。終わりが見えないくらい先まで、自分と一緒にい続けないといけないわけです。もういいよ、じゅうぶんだよ、と逃げ出したくなります。 わたしはわたし自身に疲れてしまいました、わたしとしてこの世界で生きていくことに限界を感じています。それはもう、何度も、何度も。それなのに、人生はまだ

          自分に疲れた

          何もしないをする

          慌ただしい年末年始も嵐のように過ぎ去り、迎えた2024年ももう半月が経ちました。お正月のおめでたい空気感に引っ張られるように浮上していた気持ちも、時間の経過とともに緩やかに下降しているのをうっすらと感じています。 いい調子というものは、なかなか持続しませんね。 とはいえ、絶不調かといわれるとそうでもない2024年のわたし。病気の荒波にさらわれてしまった2023年の大半に比べると、穏やかといってもいい日々を送っています。波こそあれど、その強さは完全に呑み込まれるほどのものでは

          何もしないをする

          2023年

          前書き 2023年を振り返るにあたり、毎日書き続けている日記を読み返すことにしました。今年分の日記帳を持ち出してきてびっくり、この1年でなんと7冊分にもわたる文量で日々を記録し続けてきたようです。過ぎてしまえばあっという間に感じてしまう日常も、1日いちにちに目を向ければ色々なことがあり、その度に悩み考え、乗り越えてきたんだなと思います。乗り越えるというより、耐え凌いだというほうが適しているかもしれませんが。 1月〜3月 昨年12月に心の調子を大きく崩し、立て直すこともで

          ただ楽になりたいだけ

          8月31日と9月1日の差なんて言ってしまえばたった1日またぐだけなのに、月が替わるとなるとその1日は大きく思えちゃいませんか。特に8月と9月は、夏が終わり秋が始まるという季節の移り変わりを感じるからか、他の月よりも殊更意識してしまいます。 そうして9月を迎え、気づけば今年も残すところ4ヶ月。今年に入ってから(いや昨年もそうだったのかもしれないけれど)ただ時間だけが過ぎていって、わたしは置いていかれるばかり。平等な時の流れが残酷なことのように思えます。 8月のことを振り返りな

          ただ楽になりたいだけ

          人生のハッピーエンド

          生きとし生けるもの、誰にでもかならず平等に訪れるものがあります。簡単な問いですよね、そう答えは死です。 死という遠いようでなによりも身近なものについて、どんな人でも人生で一度は考えを巡らせたことがあるのではないかなと思います。死後の世界があるのかないのか、死んだ人間はどうなるのか、何もわからないからこの考えが正しいとかもありません。 これはわたしという人間の一意見であり、ひとつの考えであるということを念頭に置いて読んでください。 前置きが長くなりました。 あなたにとって良

          人生のハッピーエンド

          わたしのこと

          今日は、わたしのことについてお話させてください。 改めまして、花緑青(ハナロクショウ)といいます。 これは、わたしのアイコンの色名からそのままつけました。いわゆるエメラルドグリーンのことです。 もしかしたら「花緑青」と聞いて、はっとする方もいらっしゃるかもしれません。そんな方は、きっとわたしと同士です。 なんのこと?と分からない方もいると思うので少し説明すると、“ヨルシカ”というバンドの曲や作品において「花緑青」が、かなり大切なアイテムとして出てくるんです。タイトルに含ま

          わたしのこと