燈子
自分で書いた、短編と呼べないくらい短いお話をまとめています。ほとんど続いていませんが、たまに設定が同じ時があります。
「嘘つきだよ」 そうだね。黙ってコーヒーを飲みながら、瞬きだけで同意をした。 「分かってくれとは思っていない」 子どもの駄々だな、と思った。まだこの話が続くのなら二杯目がいるな、とも。 「でも、自分の傲慢さも理解してるつもりなんだ」 つもり、ね。 「どうして何も言わないの」 黙ってコーヒーを啜るこちらに、痺れを切らせたようだった。 「何を返したところで無駄だろう」 そう言えば、一瞬相手は何か言いたげにしたが、すぐに諦めて口を噤んだ。 「さて、私は二杯目のコーヒーが必要かな?
冬が終われば春が来るのだと思っていた。疑いようもなく。 夏を堪えれば秋になる。そういうものだと、信じていた。 身体の奥底からカビてゆくような夏も、ひび割れた箇所を隠しながら暮らすような冬も、得てして持て余すばかりで、春と秋だけが救いだった。 過去に思いを馳せたところで、何が変わるでもなく、現実はずっとそこで雪を降らせている。轟々という音とともに、寒さと汚れを可視化したような雪は、街の灰色を濃くしてゆく。――漫然と終わっていくとは、こういうことを言うのだろう。意識の端で、小さ
許さないのが、世間ではなくあなただというのならば、私が負い目を感じているのも、私が私を許さないからだろう。たとえば、ひたすらに一緒に居たいと願ったことがないだとか、明日を少しでも楽しみに思わせてくれるものがないだとか、少しでもましになるかもしれないことを諦めきれないだとか、惰性で呼吸しているだけだとか――。そういう積み重ねが、自尊心を腐らせて溶かして、ありもしない承認を求めるだけの怪物にしてしまった。 ずっとずっと前に、凡庸さに気付いたばすなのに、諦めたような風を装いながら、
言葉を扱うことは、言葉に代理をしてもらうこと 近くて遠いそれをなるべくこちらに手繰り寄せて どうにかそれらしいものを描いてもらう それはいつだってどこか違っていて どこか正しい 意図や意思などというものは 往々にして100%の力では伝わりようがない どうにもならない差異を抱えながら それがむしろ在るべき形と思ってみたりする 遠くで目の合う月の丸さは 横を通り過ぎた誰かには届かない
便利な言い回しを多用しがちだけれど、果たしてそれが正しく言い当てられているのかは、いつも疑問だ。持ち合わせない言葉は使いようもなく、語感だけで選べば誤用を招く。そうやって少しずつ「気に入った言い回し」や「使いやすい言葉」だけが手元に残って、挙句それ以外を使えないような気持ちになる。 インプットもアウトプットも根底にある飢えは似通っていて――時には同一で並行している――、どちらか一方では埋められず、双方をやりくりすることで、砂漠の砂に水を溢すように、浸透した先から生まれる渇
私でなければいけないことも 私にしかできないことも 探したってあるわけがない 全部代替可能で他の何かで埋められる だから生まれたことに意味なんてないと言い聞かせて そうして安心させながら 寂寞も嘘だと誤魔化して どうにかこうにか臆病な生を消費してゆく 辛いも苦しいも自己責任 正しさを選択に加えられなかった結果 全部私が悪いから いつだってたったひとつの尊さのまやかしにぎゅっと目を瞑って 仕方ないねと何十億分のいちをやる 早く終われと祈る神も持たないのに
幸せでありたいと願っていた。そういう風に思っていた。全部気のせいだった。最初から望むものも、目指すべき幸せも、なかった。はなから知りもしないものを、求めようもなかった。 いつだって、どこかで知らない誰かは死んでいるし、僕を生かすためだけに、ただの惰性で何かが犠牲になってゆく。虹の端はどこにもないし、見つからない場所を掘り進めたりもできない。そもそも、ないものだからと探したことすらない。 換気のために開けた窓から、雨のにおいが入り込んできた。そういえば明日から天気が崩れ
溶けて全部わからなくなる。境界が曖昧になってゆく。私で在る苦痛が少し和らぐ。その代わり、希死念慮がその色を濃くする。 本当は。死にたいだとか消えたいだとか、そういうことではない。ただただ中身が私であることが堪らなく耐え難いのだ。後ろにできてしまった道や、おそらくこれから辿るであろう道、それから残った記憶と性質。そういう自分を構築する全てが耐えられない。自己肯定とか自己嫌悪とかの問題ともまた違って、許す許さないもどこにもなく、別段自身を好きだとも嫌いだとももう思えない。この
魂を失っても人は生きていけた。これだけは奪わないでと懇願したものを自ら捨てた次の日も、しっかりと目覚めて息をしていた。それはもしかしたら初めから、私の魂などではなかったのかもしれないし、そもそも、魂なんてその程度の何の尊さも持ち合わせないものだったのかもしれない。ただ私は、息をして、存在し続けていた。 「植物も人も、思ったように育ってはくれないね。」そうやって笑ったのは君だったろうか、私だったろうか。願わずとも望まずとも、どんどんと過去は掠れて見えなくなってゆく。時には
エヴァンゲリオンが終わった。 日をまたいで二度観て、色んなものを引きずったまま、どこかにアウトプットしなくてはやるせなくて堪らなくて――そうしてこれを書いている。 ここからは考察でも何でもない、ただただ揺さぶられてしまった感情を落ち着かせるための、他愛のない戯言と独白を書いていく。ただどうしてもその性質上、そこにはネタバレが含まれてしまうので、シンをこれから視聴するという人は注意してほしい。(一応礼儀として書いておくことにする) 本当に一個人(ただのファン)が思
アルミ缶の潰れる音がして、そうして私の世界は終わりを告げた。後には何も残らない、ひとつにも意味などなかったと、そう理解する間もなかった。 初めに思ったことは何だったろう? 後にも先にもそればっかりだ。でも最初なんてものは、本当は重要ではなくて、結局ずっと私は「かみさま」を探していたし、「かみさま」になりたいと願っていた。そういう傲慢さが惨めさを生んで、いつしか片手で潰せてしまえるくらいのものになっていた。それだけだった。 もはや生きていることは死んでいることと同義で
例えば明日世界から私が消えてしまうとか、そういう消極的な消失願望をずっと抱き続けている。生死への執着でもなく、ただただ社会や他人に一喜一憂してしまうことを止めたくて、社会に不向きな自分にずっと疲れている。漠然とした「誰かの幸福」とか「世界平和」とか、そういう目に見えない、姿も形も知らないものをひたすらに祈り願い、「関わり合いすらもない何か」のために心を砕き続ける概念みたいなものになりたい。そうして初めから私という物質的なものが存在しなかったことにしてしまいたい。 私という存
昔教えてもらった愛着障害のセルフ診断を、また久しぶりにやってみた。何度やっても結果は同じで、私はどうやら、恐れ・回避型というものらしい。 安全な場所たる誰かを求めているのに、 ひどく傷つくことに臆病だから、人に踏み込まれることを極端に恐れ、誰も信用せず、深い人付き合いを行えない。 でも、誰かと繋がっていたい。 そういう相反するものを抱えているのが恐れ・回避型で、安全地帯を持てたら少しは改善するらしい。 誰といても心から安心もできないし、信頼もできない。肉親もそれとなく仲
身内が見たらすぐ分かりそうだなあと思いながら書いている。 ついに男親の方から「一度でいいから結婚してほしい」と懇願された。その場で結婚相談所を調べさせられて、カウンセリングを予約させられた。金銭的な援助は惜しまないそうだ。 五年前の私なら喜んでいたかもしれないけれど、今の私にはそんな気持ちは少しもなくて、ただただ書類や写真の用意も、会う人を選んで活動するのも、全部が億劫でたまらないし、何よりお金がもったいないなあという気持ちでいっぱいだ。全部に何の保証もなければ、私に好みな
大きくなったら。自分を傷つけたい気持ちも、誰かに愛されたいと喚く心も、落ち着くと聞いた。本当は、そんなわけないのに。いつかきっとなんてないって、十分すぎるほど知っていたのに。 中学生になれば、高校生になれば、大学生になれば。いつかやりたいことやなりたいものが見つかると思っていた。好きなものができると期待していた。でも、そんなもの終ぞできなかった。 時間は、何かを解決しない。ただ漠然と曖昧にしてゆくだけで、何かをもたらしたりしない。そう知っていたのに、どうしてまた、歳を取
急に、本当に急に。ふと、納得したり理解したりすることがある。すとんと、胸に落ちてくるそれは、無意識に考え続けた結果であり、正しく把握できた証なんだろう。 わたしたちはいつだって、全体のひとつでしかない。替えのきく部品で、きちんと優良な遺伝子を残して繋ぎ続けていればなんだっていい。地球にとって害になれば、いつしかきっと淘汰されてゆく。そういう風にできている。だから、こうやってやたらめったら思い悩んだことも、みんなみんな終わってゆく。 そうやって納得したつもりで、しばし