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キツネと青春と吸血鬼と。 後編

※本作は、宇佐崎しろ 先生のイラストから物語を展開するイラストストーリーの後編です。詳しくは以下の記事をご覧ください。

また、前編・中編のリンクは本編後にございます。どうぞ併せてお読みください。



 明くる日、期末試験の日を迎え、学生が憂鬱な気持ちの中寝静まる早朝のこと。私は彼女からのラインで目を覚ました。

『今からあの駐車場に来てくれない?』

 一体何だろう。目をこすりながら身支度を整え、私は車を走らせた。
 学校の裏門を抜け、指定されたところまで来ると、彼女が立っていた私を待っていた。

 まだ空も白く、日差しの入らないところだというのに蒸し暑い。いよいよ本格的に夏が始まるのだな、と思いながら、ドアを開けて彼女のところへ向かう。

「おはよう。どうしたの? こんな朝早い時間に」
「せんせーおはよ。ごめんね、今日はせんせーのテストないのに」
「どっちにしろ学校に行かないといけないからいいのよ。それで?」

 私は彼女に促した。

「……えーとね。せんせーはさ、その……」
「どうしたのよ、本当」
「いや、その。あの……」

 告げるべきか、黙っておくべきか。こんな時間に呼び出しておきながら、彼女はまだ悩んでいるようだった。最初に彼女が職員室にやってきた時のように、もじもじして縮こまっている。
 きっと大切なことを言おうとしているのだろうが……。

「せんせー」

しばらくして、意を決した様子で彼女は顔を上げた。

「せんせーは、ヴァンパイアハンターなんでしょ?」
「えっ。ま、まぁ、そうだけど」

 突然何だ、そう思った。
 あの路地裏での一件以降、彼女はこんな風に私の本当の仕事について一切触れてこなかった。だが、私としてもそうしてくれた方が嬉しかったし、何より私と彼女の間にはそんなこと些細なものだと思っていたから、私も自分から話題に出したりはしなかった。なのに何故、今それを持ち出すのか。

 日の当たらない駐車場。二人だけの空間。
 途轍もなく嫌な予感がする。今すぐ逃げろと、本能が叫んでいる。

「あたしさ。本当はもっと早くに言うつもりだったの。言わないといけないんだって、ずっと思ってたのに、すっごく怖かったの。きっとせんせーも、皆と同じだから」
「何が、言いたいの」
「でも、もうすぐでお別れだから、隠し事はしたくないから。……我慢も、そろそろ限界だから」

その時、彼女の全身が歪んだ。
小さくて華奢な身体はどんどん大きくなり、白い肌が少しずつ黒ずんでいく。

そうして私の眼前の彼女は。

「カスミ、さん……」

 2メートルを優に超える体躯にそれを完全に包み込む真っ黒な影、加えて2枚の羽と異様につま先の長く鋭い手足、そして簡単に肉を食い千切れそうなくらい大きな牙。

 下賤で、穢らわしい、私が討ち果たさねばならない吸血鬼へと変貌していた。

「アァ、アアアァ……」

 唸り声とも呻き声ともつかない低く、猛獣のような声が、彼女の口から漏れ出ている。
 頭を抱え、しきりに振っている。だけど、私の脳の処理がまだ追いついておらず、彼女が何をしたいのか、その行為に何の意味があるのか理解できなかった。

 その為、彼女がこちら目掛けて勢いよく腕を振るったことにも、ワンテンポ気付くのが遅れてしまった。

「くっ……」

 すぐさま後ろに下がるも、手足の長い吸血鬼の近くにいたのだ。鋭い爪が左脚を掠り、ストッキングが破れて肉片が飛んでいく。激しい痛みが私を襲う。

 だが、彼女の次の言葉を聞いて、そんな痛みは完全に頭から忘却されることとなった。


「アァ……センセー、ゴメン●●●!」


 忘れもしないくぐもった声。たった一言でもしっかりと記憶している。

 12年前の夏。家に帰った私を、親に代わって迎えたアイツ。12年間ひたすらその影を探していた、私の運命を狂わせた元凶。

『ゴメンネ』

 私がヴァンパイアハンターを志した、不俱戴天の仇が目の前にいた。



「待ッテ、センセー!」

 脳をフル回転させながら、私は彼女を──憎きアイツを背に、足を引きづりつつ全力で走った。
 戦略的撤退。というか考えることが多すぎる。ひとまずは体勢を立て直すところから始めなくてはならないが、それもどこへ行けばよいのか。

 正門はダメだ。奴が外に出れば大きな被害を生んでしまう。ならば日の当たる運動場? 怪我した足では辿り着く前に捕まるのは必至だ。となると校舎に逃げ込むか。けれど一番近い校舎の1階には職員室がある。生徒がいない時間帯でも、先生達に身の危険があってはならない。

 ……いや、それでも校舎が一番被害が少なくなる。
 私は校舎へ駆け込んだ。正面にある階段を上りながらも後ろを振り向き、奴を見る。
 奴も私にご執心なようで、右手の職員室には目もくれず向かって来ていた。

 良し。それなら誰も巻き込まずに倒せるかもしれない。

 2階に着き、すぐ近くの教室に逃げ込む。白い朝日が教室を照らし、机がきらきらと輝いている。生徒達の勉学と交流と成長の場。こんな美しい場所があと数分もしない内に、私か奴の血で汚される。

 こんなことになるなんて、想像だにしていなかったのに!

「なんで……」

 奴が来るまでの十数秒間。黒板にもたれかかりながら、何とか状況を整理しようにも、未だ衝撃を受け止め切れていない。

 なんで、こんなことになってしまったのだ。私はただ、あの子を救いたいと、自分のような醜い大人になってほしくないと、そう思っただけなのに。
どうして、あの子が。心の底から死を願い、殺したくて殺したくて仕方のなかったあの化け物に!

 足音が大きくなり、間もなく奴が教室に入ってくる。姿はあの見慣れた少女の姿に戻っていた。

 私は震える手を何度も殴って銃を構え、奴の頭に照準を構えながら、その動向を伺う。
 しかし奴はそれに物怖じすることなく私に近づいてくる。

「ごめん、せんせー。痛かったでしょ? 一瞬、我慢できなくて……傷、そんなに深くないよね?」
「こっちに来るな! 吸血鬼め!」

 一瞬だけ、奴は悲しそうな顔をした。けれどすぐに私に微笑みを向けて、一歩ずつ迫ってくる。

「大丈夫だよ。もう油断しないから。もう絶対、せんせーを襲わないから」

 自然と私の胸の鼓動が早まり、背中にじわりと冷や汗が流れた。

 まさか、恐怖しているのか? 吸血鬼相手にこの私が?

 あの日以来、吸血鬼を恐れたことなんて一度もない。何体も殺して、時には奴らの攻撃で寸前のところで命を失いかけたこともあったが、それでも冷静に、冷徹に、いつも通りのコンディションで任務を全うした。
 そんな私が、自分でも驚くほど怯えている。

「これ以上近づくな。撃つぞ」

 まるで教育中の新人のような、情けなく震えた声で脅しながらも、はっと思い出してしまったことがあった。

 あぁ、私は馬鹿か。1週間前に吸血鬼を倒した後、弾を込めるのを完全に失念していた。平和ボケして復讐すべき相手と談笑し、大事な局面に至るまでそのことに気付かなかった。流石に予備の弾丸が入ったポーチを忘れるほど腑抜けてはいなかったが、この距離、この状況で呑気に装填なんかできる訳がない。ヴァンパイアハンターが聞いて呆れる。

 じりじりと、奴に詰められていく。見せかけの武器が本当に見せかけなのだと気付いているようだった。

「大丈夫だよ、せんせー。せんせーを襲ったりなんかしないよ」

 教卓を挟んで奴と私の目がかち合う。奴は余裕そうな態度を崩さず、教卓に肘をつく一方で、私の中では理性と生存本能が騒ぎ立てて思考がままならないでいた。

 どうする。どうすればいい。折角の復讐の好機だというのに、このままでは数多のヴァンパイアハンターのように復讐を果たせずに、奴に喰われ死ぬ。奴を殺せずに死にたくなんてない。
 せめて、弾を込めることさえできれば……。

「あたし、何にもしないよ?」

 冷静に努めようとする私に奴が再び口を開いた。

「今はせんせーを見てたい。せんせーもやりたいことがあるなら、やってもいいよ」
「……」

 嘘、だとは思うが、今のところ攻撃する素振りはない。
 それにどちらにせよ、奴の腕の届く距離の中まで追い詰められてしまっている。それならば一か八かでやってみた方がいい。むしろ、もし本当に何もしないのなら、気が変わる前にやっておくべきだではある。

 私は恐る恐るポーチを開き、奴への視線を決して外さずに弾丸をいくつか取り出した。
 一つ。二つ。三つ……。間抜けにも吸血鬼の目の前で装填してしまっている。

 けれども奴は愛らしく、醜く、魅力的で、不快な微笑みを絶やさずその様子を眺めるばかりで、私が弾を込め切るまで、宣言通り何も仕掛けてこなかった。

「ほら、なんにもしなかったでしょ? 大丈夫だって。そんな怖い顔しないで」
「……」
「もう襲ったりなんかしないよ。嘘じゃないよ? だから安心して。大丈夫だから」
「……さっきから何言ってるんだ」

 見下すような甘い囁きに辛抱ならず、呟いた声には自然と怒りが籠っていた。

「大丈夫? 何が? そんなのお前の都合だろう。弾を込めるまで待ってたのも、ただ殺すのもつまらないとか、そんな理由だろう。どうせ」
「そんなことないよ。あたしは本当に、せんせーを襲いたくなくて。脚ケガさせちゃったのは本当申し訳ないって思ってる──」
「まずその顔止めろよ」

 ピクリと、奴の表情が強張った。

「楽しかったか? ヴァンパイアハンターの私を欺いて、騙して、見下して! 過去に縛られた奴を自分の掌で踊らせるなんて訳なかっただろう! 事が全部上手くいって、最高に面白かっただろう!」
「……うん。楽しかった」

 ゆっくりと、奴は呟いた。
 目を伏せて、この1週間を噛み締めているかのように。あの日々を思い出しているかのように。

「人生で一番幸せだった。あたしが何言っても、せんせーが笑ってくれて。こんなあたしに、ずっと優しくしてくれて。ずっとこの時間が続けばいいのにって、何度も思ったんだ」
「……そんな、わけ」
「嘘じゃないよ。嘘じゃないから、あたしはこうして、せんせーとお話ししてるの」

 奴は真剣に、私の目から一切離さず言った。全部本心だよ、そう訴えかける目で私と見つめ合っている。

「あたしね。あの時、せんせーがヴァンパイアハンターだって知って、ちょっと怖かったの。でもね。それよりも、せんせーだったらなんとかしてくれるんじゃないかって思ったの」
「……何を」
「好きな人を、襲わない方法」

 息を呑む私を置いて、奴は続けた。

「せんせーはさ、なんで吸血鬼が人を襲うと思う?」
「そんなの……快楽に決まってるだろ。今まで殺してきた奴らは皆、そうほざいていた」
「うん、確かに快楽を得る為が大半だと思う。でも、それは表面的なこと。根本はもっとずっと原始的。簡単な話、飢えを満たす為なの」
「……人を喰わずとも生きていけるって、研究で──」
「肉体的には、ね。あたしが言ってるのは心の飢え。どんなものを食べても、心が満たされなかったら意味がない。行きつく先は精神の死。それってもう、普通の死と同じでしょ?」

「……」

「だからね。せんせーに、ヴァンパイアハンターに近づけば、もしかしたらこのどうしようもない飢えを抑える方法が分かるかもしれないって思ったの。不純な動機だって、あたしだって自覚してるけどね。でもせんせーと過ごしてる内に、その思いがどんどん強まっていった。せんせーがあたしの為に尽くしてくれてるのに、そのせんせーを殺しちゃうんじゃないかって、怖くなったから」

「……」

「今もね、せんせー。こうやって会話してる今も、実は必死に抑えてるんだよ? さっきみたいなキショい姿に戻って、せんせーの首を引き千切りたいとか、頭蓋骨を折って脳味噌を啜りたいとか、最低なことばっか頭に過ぎるの」
「……やってみればいい。その前に、お前の脳天をぶち抜いてやる」

 またしても私の声が震えていた。
 さっきから何かがおかしい。奴を前にして委縮してしまっている自分がいる。いつもの私ならこんな奴、もう殺してしまっているのに、腕が思うように動かない。

「やっぱし、せんせーもそんなこと言うんだね」

 奴は私に失望するような、諦めたような顔をした。
 それを見ると、どうしてだか胸がじくじくと刺すよう痛みに襲われる。過去に何度も感じたことのある……そう、罪悪感に近い痛みだ。

 ……罪悪感?

「分かってる。あたしが吸血鬼で、たくさん人を殺してきたから、いろんな人に嫌われてるってこと。でも、あたしだって本当はこんなことしたくない。人なんて殺したくないし、食べたくもない。好きな人だったら尚更っ!」
「……」
「せんせー、昨日言ったよね。あたしはどっちかといえばキツネだって。違う、違うの。あたしはキツネじゃなくて人になりたいの。猟銃なんか持ってなくて、ただ1輪のバラを愛し慈しむ、王子さまみたいな人に!」
「……お前は──」
「あたしはっ!」

 突然、奴が大声で叫んだかと思うと、何を血迷ったのか、身体の半分、それも日の当たる窓側を化け物の姿に戻した。

「あたシは、こンナ姿一度モ望まなカッた。ナノに、なんデ、あたシは吸血鬼になっタノ……?」

 小さな身体に大きな体躯。可愛らしい顔に悍ましい容貌。矛盾している両者が私の視線を釘付けにする。

 じりじりと、奴の顔の半分が、羽が、腕が灼けて煙が上がる。しかし怯むことなく奴は私に左右非対称の両手を差し出した。


「お願イ、せンセー。アタしを、助けテ……!」


「……」

 嘘は、吐いてないと思う。でないと私が襲われてないことの説明がつかない。

 こんな吸血鬼初めてだ。人を殺すことに抵抗のある個体がいるなんて。人間になりたい吸血鬼がいるなんて。
 今まで苦しみながら、奴はいろんな人を喰らってきたのだろう。どうしても止められない己の根源的な欲求を止められないことを、何度も嘆いたことだろう。

 他のヴァンパイアハンターが奴を見て、奴の言葉を聞いたら、もしかしたら研究の為という名目で保護しようと名乗りを上げる者も出てくるかもしれない。奴を助けたいとその手を掴もうと奮起するかもしれない。

 ……だが。

「ふざ、けるな」

 そんなことでこの12年間で募りに募った私の復讐心が消えるはずなどなかった。

「助けてだって? 今まで散々人を殺しておいて、今更何を言ってるの。散々人の未来を潰して、狂わせて、それで自分は人になりたい? そんなの、虫が良すぎでしょう!?」

 畳み掛けるように、相手が傷つきそうな言葉を選んで。

「お前を助ける方法なんてない。あったとしても絶対にお前になんか教えない! この自己中心的な化け物が!

 じくり、と胸に刺さるような痛みを無視して、ひたすら罵倒し毒を吐く。

吸血鬼お前達はいつだってそうだ! 自分のことばっかでそれ以外は何も考えない、最低最悪な生物だ! 12年前のあの日だってそうだ。お前がいなければ、私の青春は当たり前にあったんだ! 幸福も怡楽も、当たり前のように享受できたんだ……お前なんかがいなければ!
「12年、前……?」

 私の怒りに目を伏せていた奴が、その言葉を聞いて顔を上げた。

「まさカ、シバオさンとアイナさンの、娘さン?」
「は……? なっ、なんで、あたしの両親の名前を……」
「道に迷っテた時に、おふたリノ方から声ヲ掛けテクれたの。しかモ、そノ後に携帯を落としタコトに気付いテ、それヲ言っタラ、一緒に探シテくれタの」

 特に思い出すような素振りを見せず、咄嗟に両親との出会いを語る。しかしそれはあり得ないことだ。
 だって吸血鬼は、自分が喰い殺した人間のことなんて、露程も覚えていないのが常なのだから。

「何ヲ驚いテルの?」

 唖然とする私に奴は不思議そうな顔で、そしてさも当然のように言った。

「忘れル訳、なイでしょ? あたシが殺シちゃッたンだかラ」
「そんな、こと」
「あルよ。46人全員。顔モ名前モ出会ったキッカケモ、殺しタ経緯モ方法モ、全部覚えテル」

 これも奴が嘘を吐いているようには見えなかった。というより奴は駐車場から、否、最初に職員室を訪ねてきた時から、私に嘘なんて、一度も……。

「でモそっかァ。あタシ、センせーの家族ヲ……。養子デ苗字変わっタノか、偽名デ働いてテタのか分かンないケド、全然気付かナかッタ。…………あたしは、せんせーの大事なものを奪って、逃げちゃったんだ」

 焼け爛れる半身が収縮し、人の姿に戻っていく。

「ごめんね、せんせー。全部せんせーの言う通りだった。いろんな人の大事な人を、あたしの勝手で壊して、罪も償ってないのに助けてなんて言うの、めちゃくちゃおこがましいよね」
「……あぁ。そうだな」
「だから、もういいや」
「……何が」

 奴は両手を広げ、こう言った。

「せんせー、私を殺して」

 一瞬、何を言ったのかが分からなかった。
 さっきまで助けてとか、意味不明なことを抜かしていたのに、何故急にこいつは死を望むのだ。生きたいのではなかったのか。

「きっとあたしは、この世界にいるべきじゃなかったんだ。もっと早くに気付いてたら、誰の迷惑にもかからなかったのにね」

 またもやよく分からないことをほざいている。

 まさか罠? 何故このタイミングで? それともこいつの他に仲間の吸血鬼が近くにいて、何かしらの合図を送っている?
 そうだったならすぐに殺すべきではない。そもそも無抵抗でやられるはずなんてないだろうし──。

「どうしたの? あたしを殺すのが、ヴァンパイアハンターなんでしょ?」
「…………あぁ。そうか」

 疑惑。疑念。疑心。そんな虚構が奴の言葉で吹き飛んだ。
 分かっていた。分かっていたけど、気付いていないフリをしていただけだった。

 奴への恐怖。声の震え。私の意思に反する腕。奴に雑言を吐き捨てる度に感じる胸の痛み。これらは全部、私の臆病が滲み出たのが原因だった。


 私はただ、奴を、彼女を、小米こごめ カスミを殺したくなかっただけだったのだ。


「ダメだよ」

 しかし、彼女はそれを察して私を睨みつける。

「殺したい相手がいて、殺さなければならない状況なんだよ。せんせーは絶対にあたしを逃がしちゃいけない」
「……カ、カスミさんは──」
「お前」
「…………お前は結局死にたいのか、生きたいのか、どっちなんだ」
「そりゃあ、生きたいよ? でももう十分、幸せになれた。あとは罰を受けるだけ」

 私の強めの口調に、彼女はそれでいいのだと頷いた。
 それから彼女は自分の胸を指差して、

「でも最後に、撃つならここに撃ってほしいな。折角の可愛い顔に弾痕が残るのはイヤだからさ。自分のことが嫌いで嫌いで堪らないけどさ。この姿だけは好きになれたんだよね。最後はやっぱし、自分が好きな自分のままでいたい」

と、へらへらしながら言った。それでもその口調から並々ならぬ覚悟が感じられた。

 本気で死にたいと、罰を受けたいと、そう願っている。
 私の両親を殺したから。私の大切なものを奪ってしまったから。

「……」

 相変わらず手が震えている。呼吸が浅く、私はまだその準備●●●●ができていない。

 彼女への怒りはある。恨みも憎しみも残っている。それなのに殺したくない気持ちが溢れて止まらないのだ。

 ……だから。

「カ……お前は、何の為に人を喰ってきた?」

 だから私は質問することにした。

「何よ突然……吸血鬼として、じゃなくてあたしとして、なら理由なんてない。いっつも後悔してばっかだったよ」

「……お前はいつ、どこで、どれだけの人を喰ってきた?」
「吸血鬼殺すときにいっつもそんな質問してんの? 人数はもう言ったじゃん。それに全員分の時間と場所教えてたら、期末試験始まっちゃうよ。」

「お前には、仲間の吸血鬼がいるか?」
「いないよ。吸血鬼なんて大嫌いだもん。親だって殺したしね。一応書類上では事故死扱いになってるんだっけ。……てか、いつまで続けんの? さっき半分出したからかだいぶ頭の中暴走してんだよね。抑えられずにまたあのキショい姿になって、またせんせーをケガさせたくないんだけど」

「……これで最後の質問だ。12年前の夏、午後8時頃に民家に侵入して一組の男女を殺して喰らい、その現場を女子高生に見られたことはあるか?」
「あぁ、そういうことね」

 合点がいったように彼女は頷いた。

 そして可愛らしい顔を台無しにするような下衆な表情を浮かべて。

「えぇ。あの人達、どうしようもないくらいバカだったわ。あたしのことを全く疑わずに家に招いたもの。あたしが元に戻った時のあの顔ったら、面白くって忘れられないわ!

 察してくれた彼女がぎこちない悪い笑みを見せたことで、私の手の震えはなくなった。

 発砲音が、教室に響き渡った。

 銀の弾丸は真っ直ぐ彼女の心臓を撃ち抜き、そのまま崩れるように彼女は倒れた。
 鮮血がじわじわと床に広がっていく。彼女の瞳は段々と光を失い──遂に事切れてしまった。

 階下から何事かと先生達が走ってくる音が聞こえる。そうして彼らがこの現場を目撃するまで、私は彼女の亡骸を見下ろしていた。

 触れれば壊れそうなほど華奢な身体で、その頬には一筋の涙が伝う、愛おしい彼女の亡骸を。


こうして、私の復讐は最悪の気分で果たされた。



 何度も見てきた悪夢にうなされ、私は目を覚ました。
 時刻は午後9時ちょうど。最後に見たのが5時とかだったから、かれこれ4時間は寝落ちしていたのか。
 点けっぱなしにしていたテレビからは、興味のないドラマの4話目が始まろうとしていた。

 喉が渇き、腹が鳴っている。私は起き上がって、キッチン上の棚に保管してあったカップ麺を一つ取り出した。
 湯を沸かす間、冷蔵庫から取ってきたお茶を入れて、喉に流し込む。視線は全く話の分からないドラマに向いていたが、頭はついさっきまで見ていた夢のことを思い返していた。

 両親が吸血鬼に殺される夢に代わって現れた、6年前の記憶。
 あれから燃えるような復讐心を失った私は、嫌いで嫌いで堪らなかったはずの吸血鬼への殺意は以前ほどではなくなってしまった。対峙しても全く身に入らず、私のせいで危うく逃がしかけることも度々あった。

 だから私は4年前にヴァンパイアハンターを辞めた。その後は潜入の際に演じていた英語教師に実際になってみたりもしたが、こちらもあまり手に付かず、何よりそこにはない物を血眼で探す自分に嫌気が差してこちらも半年で退職願を出した。

 そういう訳で、私は現在無職だった。ヴァンパイアハンターでの仕事は危険故に収入もかなり多かった為、生活には困っていない。けれども何か、どうしようもなく大きな穴が心に空いていて、過ぎる日々に虚無感を抱いていた。

 お湯が沸き、カップ麺に注ぐ。
 時間は……パッケージに『熱湯で5分』とあった。少し長いな。私はさっさとこの空腹を満たしたいというのに。

 暇なので部屋内をうろうろ回る。ドラマの声が煩くてチャンネルをニュース番組に変えた。いつものように、吸血鬼やヴァンパイアハンターについて無知で無学な自称評論家が適当なことを抜かしていた。

 そんな話が耳に入ってきたからだろうか。不意に、本棚のとある一冊が目に留まった。
 高校2年生向けの英語の教科書。私が潜入捜査の時に生徒に教えていたものだ。といっても単元としては2〜3程度だけだったが。ぺらぺらとページをめくり、私が教えていたところを探す。程なくして『星の王子さま』の英文が並ぶセクションまで行き着いた。

 脳裏に浮かぶ彼女との日々。最高の日常。永遠にも思えた9日間。しかしその思い出の終着点はいつだって後悔だった。

吸血鬼お前達はいつだってそうだ! 自分のことばっかでそれ以外は何も考えない、最低最悪な生物だ!』

 彼女に吐いた言葉。当時あまりに動揺していたとはいえ、酷いことを言ってしまったと自覚している。それに、最近になってこの言葉が自分に返ってきていたのではとも思っていた。

 思い返してみれば、彼女に手を伸ばしたのは、勿論吸血鬼かどうか疑っていた側面もあったけれども、それ以上に彼女を救いたい思いがあったからで、そしてそれ以上に私自身が救われたいと願っていたからだった。

 教師として高校に来て、活発な学生達を間近で見てしまった。不幸で不遇な環境にいた私の高校時代とは違う、未来に希望を抱く彼らへの劣等感。それが無意識に強まっていって、何とか自分を肯定できる材料を探し出して、これ以上私の過去が惨めにならないようにしなければ、なんて馬鹿げた焦燥感に駆られていたのだ。


 そう。私は小米 カスミを勝手に過去の私と重ね合わせて、哀れで虚無に満ちた高校生活の再演を第三者視点で見ることがないように画策していたのである。


 彼女を気遣うなんてただの建前。彼女に笑みを向けたのだって自分を満たしたいからだったに他ならない。究極の自分勝手。無職になって独りでいる時間がずっと増え、何度も当時を振り返ったことで気付いてしまった。


 だから、あの時。最後の最後で私は彼女の手を離してしまったのだということにも。


 ページをめくる。次の単元が右に見え、左には『星の王子さま』の王子とキツネの会話が載っていた。

“It is only with the heart that one can see rightly; what is essential is invisible to the eye.”
(物事は心でしか見ることができない。大切なことは目に見えない)

 有名なキツネのセリフを、次に王子が繰り返す。そしてキツネはこうも言った。


“It’s the time you have wasted on your rose that makes your rose so important.”


「……あぁ、そうだったんだ」

 何故、今でもあの悪夢にうなされているのか。何故、殺した相手、それも因縁の吸血鬼相手のことが忘れられないのか。何故、何度も当時の自分の醜さや愚かさを嘆いているのか。何故、彼女を殺したくなかったのか。

 彼女を自分自身の過去を映す鏡としていた。それは間違っていない。でもきっと。心のどこかでは彼女のことを。

『ずっとこの時間が続けばいいのにって、何度も思ったんだ』

 もし彼女が吸血鬼でなかったなら、その願いは叶っていたのだろうか。
 彼女との日々は、今でも続いていたのだろうか。
 彼女と一緒に、オシャレを楽しめたのだろうか。

 彼女の笑顔を、また見ることができたのだろうか。


『──速報です。速報が入ってきました』

 何やらテレビが騒がしい。顔を上げると緊急速報のテロップが大きく右上に打ち出され、慌ただしいスタジオでアナウンサーが平静を努めて画面越しの私に伝えようとしていた。

『たった今、吸血鬼研究組織 VROが ”人に擬態した吸血鬼を見破ることができる装置の開発に成功した” と発表しました。繰り返します。たった今、VROが──』
「なん、だって」

 とんでもない情報が飛び込んできた。
 吸血鬼が持つ武器の中で最も対策が難しかった、人に化ける能力。それを看破できるとなると、吸血鬼の発見がずっと容易になる。今までは被害を確認してから調査を始めることが普通だったが、その装置が普及すれば被害者ゼロで吸血鬼を狩ることだってできるかもしれない。吸血鬼への対処法が根底から変わるのだ。

『こりゃ吸血鬼全部やれるんじゃないかなぁ』

 自称評論家の呟きが音声に乗って私の耳に届いた。
確かにこれによって、近い将来吸血鬼は完全に掃討されるだろう。日本のみならず世界中の吸血鬼はいなくなり、人類に真の安息が訪れる。吸血鬼によって誰も死ぬことなく、誰も人生を狂わされることなく、誰も青春を奪われない。美しい未来がやってくるのだ。

 ……なのに、どうしてだろうか。

 考えるだけども胸が躍る最高に輝かしい未来なのに。どうして、こんなにも気分が沈んでしまうのだろうか。

『吸血鬼なんてゴミカス同然だからね。さっさと全部駆逐されるべき』

 どうして、画面の先のこいつをぶん殴ってやりたいと思うのだろうか。



 ぬるま湯に浸るカップ麺は伸びに伸びきって、とてもじゃないが食べられたものではなかった。



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