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言葉を大切に生きたい院生。お菓子、芸術、読書、友との語らいが支えです。大阪人だとは初見…

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言葉を大切に生きたい院生。お菓子、芸術、読書、友との語らいが支えです。大阪人だとは初見ではばれない。

最近の記事

オンとオフの境目に

生活は単調になりがちである。このように身体的な意味で外的な刺激が制限されている世の中では。 職場に向かう、家に帰る、職場に向かう、家に帰る、職場に向かう。単調でもオンとオフがわかれているときはいい。ときどき家のまま職場にログイン、ログオフして家に戻る。 オンとオフの境目がわかりにくくなると、どこかに刺激を求めたくなる。わたしの場合はお菓子を作ることか、部屋の掃除と模様替えくらい。本もいいけれど、本の世界から出ると部屋が整っていない現実は辛い。 恋もひとつの刺激だろう。久

    • 違和感を拾うこと

      投稿する論文をチェックしはじめた。英語の読み書きはできても、あるいは日常英会話ができても、専門的な用語の連なりが適切な表現かどうかを判断するのは難しい。日本人が全員日本語のどんな論文でも読み書きできるわけではないように。 ある言語ではありうる文の流れが他の言語では不自然ということはあって、それにひっかかるためには膨大な他言語への曝露が必要だ。経験がわずかな差を拾う。差を拾うことがまた経験となる。 違和感は慣れという川の中から顔を覗かせる岩のようなもの。日々恐ろしい速さで過

      • 血肉のことば

        本当に響く、大切な言葉というものは、近しい人が自分に投げかける言葉か、自分が近しい人に対してつむぐ言葉で、どこかの誰かの会話の中にはない。 偉人の名言は確かに私たちに訴えるものがある。ただそれを自分の中に取り込んで咀嚼してからでないと、どんな言葉も身にはつかない。本当に求めているのはファッションとしてではない、血肉としてのことば。 ネットにはいくらでも耳障りのいいことばに満ちて、いくらでもそれを借りて着飾れるし、そうしているとそれが自分のことばのように幻想を抱くが、胸襟を

        • ロールモデルを考える日曜

          月に1度横浜まで行く用事がある。これまでは昼食を持参していたが、横浜だからと中華を出前で頼むようになった。中華街は閑散としているのかしら。注文してからそんなには待たない。その土地ごとに根付く食文化の維持には貢献したい。 少し時間が空いたときに本当に久しぶりに急に連絡しても、先輩たちは質問に答えてくれる。その流れでたわいもない話が続く。日曜日はみなちゃんと休むようになったんだなと思う。 責任が年々重くなる立場にある中で、連絡を取ると、口にする言葉はさまざま。希望を持って前に

        オンとオフの境目に

          掴みたいもの

          なかなか読めないことがある。ひとの気持ちはとても難しい。 はやる気持ちをおさえるというのはなかなかできることではなくて、でもそれができることが長期的にはいいときもある。 もう何度もこういうことは経験していても、それでもやはり掴みにくい。それがひとだ。経験から未来を引き寄せようとして、それでもそのたびごとに悩む。その悩みから脱したときに得るものがある。 確かめて確かめて確かめたあとにようやく一歩を踏み出す、それが喜びを掴むと信じる。

          掴みたいもの

          暗示と好転

          人からの評価を人伝に聞くとそれを好意的に信じやすいというのをウィンザー効果という。人は本当に不可思議な生き物だなと実感した。それも一種の暗示だなと思った。 自分で自分に暗示をかけることでものごとが好転することはあって、もちろんそれで全てが決まるほど世界は優しくもないが、何かを成し遂げるための継続には、暗示が有効だと、無根拠な自信が有効だと、経験的に知っている。 知っているのに、しばらくそういう経験をしてないとひとは次々忘れるものだ。そしてあるときまた何かの拍子に調子を取り

          暗示と好転

          寄り道

          普段寄らないところに寄ると新しい発見がある。 そういう寄り道は、世界が求める効率からは、外れたところにあるんだけれども、その一見のむだが、さまざまつながっていくと、いつしか網目になって、また思わぬ発見につながってくる。 いつも世界は見えている立場からしか見えない。同じように見えるためには同じ場所に立つ必要があって、なかなかそれは通ってきた道でなければ、想像は難しい。 想像できないことがある、そこからしか本当の理解ははじまらない。

          問いを立て、問いに答えることで信頼は築かれる

          年次が上がってくると必然的に後輩から質問されることが多くなり、先輩から任される仕事も増えてくる。そしてこの構造はどこまで行っても終わらないようだ。仕事を任せられない後輩もいるし、質問しようと思わない先輩もいるので、どちらもほどほどに自分が満たされているなら存在意義があるのだろう。と思いたい。 最近は平日休日昼夜問わず質問が来る。後輩にも限らない。でも質問なんていつでもいいと思う。返せないときは返せないし、疑問は思いついたときでないとすぐ頭から過ぎ去ってしまう。 おざなりの

          問いを立て、問いに答えることで信頼は築かれる

          わたしの境界

          自分のことは自分がよくわかってる、なんて頭の中で思っているうちはうそだ。わたしたちはときどき自分がよくわからなくて、道に迷う。決まってひとりでぐるぐる答えを出しては取り消して、そしてときに消え入りたくなる。 書くことで話すことで表現することで、わたしが形を獲得していく。わかることは分かること、つまり分けることであって、原義からして境界を定めること。だから形はどうしても必要。 書き言葉は読まれることが前提の道具だ。日記であれば将来の自分に、手紙なら想いを届けたい相手に、Tw

          わたしの境界

          固有の喪失を回復するまでに

          ひとは手に入れていないものを求める。手に入っていれば新たに求めることはない。欲しいものは必ずまだその手の内にはないか、あるいは失ったもの。今やみんなこれまでの生活を失った。 みんな持って生まれたものでかつ今持っているもので生きている。何が好きで、人より何が得意で、こういうときに幸せを感じて、あのような風景に満たされる、そういうことでのみ活路が見出され、生活が豊かになる。社会との接点の中に自分の固有の感情を揺さぶるものが立ち現れる。それを集めていけばいい。育てていけばいい。と

          固有の喪失を回復するまでに

          カフェの時間

          ひとりでカフェでケーキと紅茶に向かう。 今や開いているカフェも少ないから、休日でも出歩く人もこの街は少ない。かといって閉まる前の数時間は夕食どきだからカフェもがらんとしている。 カフェにはケーキや紅茶を楽しみに来てもいるが、余裕のある時間を買いに来てもいるとも言える。 もしひとと来ていたら、ひとりでは見つけられない世界が話の先に見出せることもあれば、より豊かな時間を過ごせただろう。今はひとり。 日々の緊張を離れて、紅茶に頭をときほぐす。ときにはアイリッシュコーヒーでも

          カフェの時間

          伴走者を見つけること

          週一のランニング。雨には危うく降られずに済んだ。友も自分も少しずつ走れる距離は伸びている。週に1回でも以前の感覚は少しずつ戻ってくるものだと友と認識を同じくした。 1週間と言ってもあっという間なのだ。あっという間だが、見ているドラマは1話ずつ更新され、英語の勉強も進み、読んだ論文も増え、少しずつ新しい実験結果が積み重なり、読んでいる本のページも進んでいく。わずかにわずかにしかし確実に進んでいく。 なかなかゴールに据えた地点が見えても、走っているうちは近づいてこないように感

          伴走者を見つけること

          夜の上野を久しぶりに歩いたが、多くのテナントには貸店舗の貼り紙、そうでなくともほとんどは明かりを落としていた。終電まぎわよりも暗い街、それがもうふつうの街である。 あの店もこの店も、今は気軽に味わえない。 久しぶりに昼は食堂に行った。パーティションで区切られて、全席一蘭の様相だった。メニューは新しかったが、味付けは懐かしかった。 蒸し暑い日の中だらだらと帰り、手際良く作った料理は毎日同じ味。 マイタケがプロテアーゼを含むので肉を柔らかくするだとか、卵と小麦粉とバターの

          わたしのレシピを求めて

          日本中が2人の結婚を驚きを持って耳にした夜に、台湾カステラを焼いた。ショックを受けたから甘いものを食べて紛らわそうとした、わけではない。 レシピを調べるとどれも種類は異なれど何がしかの油と薄力粉を混ぜるところから始まる。カステラという名ではあるが油を相応に使う点では組成はシフォンケーキに近い。食感も確かに近い。 お菓子作りは実験そのものだ。ひとつ加えると見た目と性状は瞬く間に変化して、何が含まれているか一見してもわからなくなる。 焼きたての時点ではおおむね考えていたもの

          わたしのレシピを求めて

          時計の針は右回り

          ひとに委ねられた検体をダメにしてしまった。それは2度と手に入らないというわけではないが少ないサンプルで、採取には相応の時間と労力を要するものだった。 それを入った培地ごとひっくり返してしまったのだ。まさしく覆水盆に返らず。瞬時に青ざめ平謝りしたが、やってしまったものは仕方ない、と苦笑いでそのひとは場を収めてくれた。反省点も指摘してくれた。 時を戻したくなるときはいくらでもあるけれど、戻したとしても同じことが起きるだろうし、それではひとは何も学ばないし変わりもしないだろう。

          時計の針は右回り

          視線を交わすこと

          効率化、コスパということばが人口に膾炙して久しい。さまざまな娯楽が有限の時間を掠めとり、多方面への配慮が多忙さに拍車をかける時代に生きて、効率化はひとつの防衛である。プライベートの防衛。 コミュニケーションの効率化もずいぶん進められたが、結局リモートで視線は合わない。カメラを見れば相手の顔を見れず、相手の顔を見れば相手に視線は届かない。 視線を交わすことがどんなに貴重か、直接会えることがどんなに愛おしいできごとだったか、禁じても禁じても人びとが従わないことを見ても明らかで

          視線を交わすこと