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わたしの境界

自分のことは自分がよくわかってる、なんて頭の中で思っているうちはうそだ。わたしたちはときどき自分がよくわからなくて、道に迷う。決まってひとりでぐるぐる答えを出しては取り消して、そしてときに消え入りたくなる。

書くことで話すことで表現することで、わたしが形を獲得していく。わかることは分かること、つまり分けることであって、原義からして境界を定めること。だから形はどうしても必要。

書き言葉は読まれることが前提の道具だ。日記であれば将来の自分に、手紙なら想いを届けたい相手に、Twitterならフォロワーに。家の中ではどんなにだらけた格好でも、外に出るときはきちんと服を着るように、内から外に向かう途中で、ことばは誰かの視線を意識した装いになる。

それはTPOに沿わないアクセサリーを外すように、迂遠で冗長な部分が省け、あるいはちょっとワンポイントを出すべく強調し、あえて型を崩すように調子をくだけてみるようなこと。そのうち新鮮な雰囲気の自分が現れる。

わたしの境界もわたしの服装もわたしだけでは決められない。それに境界なんて常に変わる。慕ってくれるひとびとがいて、ふだんのわたしの境界が決まる。存在が形を獲得する。今日もそれを刻んで、そのひとびとに感謝しよう。


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