時計の針は右回り
ひとに委ねられた検体をダメにしてしまった。それは2度と手に入らないというわけではないが少ないサンプルで、採取には相応の時間と労力を要するものだった。
それを入った培地ごとひっくり返してしまったのだ。まさしく覆水盆に返らず。瞬時に青ざめ平謝りしたが、やってしまったものは仕方ない、と苦笑いでそのひとは場を収めてくれた。反省点も指摘してくれた。
時を戻したくなるときはいくらでもあるけれど、戻したとしても同じことが起きるだろうし、それではひとは何も学ばないし変わりもしないだろう。やり直したいこと、後悔することは日々増えていく。あのときもっと注意していれば、優しい言葉遣いをしていれば、こっちに賭けていれば、あの人と別れなければ…そうであったかもしれない世界を抱え続けるのは、ずいぶん疲弊する。
僕たちはそれぞれの世界を引き受けることでしか生きることはできない。そしてルールは単純明快で、身体はひとりにひとつで替えはきかない、時計の針は等しく右回り。しかしそれは繰り返せないからこそ誰にも奪われない自分だけのものだ、ひそやかでも満たされた人生を歩むのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?