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はじまりのきっかけの話。


僕は2017年の8月末に日本を後にしてニューヨークへと渡って来て、早4年目の新年をここニューヨークで無事に迎えられました。 

皆様、あけましておめでとうございます。


…......……


いまでは楽しく日々を過ごせていますが来た当初は想像を絶するほどのニューヨークの洗礼的な出来事や、あまりにも底辺な出来事が重なっていたこともあって (と言うより自分たちで引き寄せていたんだろうなって。今になると思います)生活も仕事もそれはそれはかなり酷いものだったんです。だから、こうしていまも此処で生活し続け働けているなんてまさか来た頃には想像だにしませんでした。

だって、1年で帰ろうとさえ本気で思っていたんですから。

それに、12~3年前の自分からしたら、

こうして海外で働いているなんてそれこそ全く考えられなかった!

というのが、正直なところなのです。


先にも書きましたが、あの頃の自分には海外なんていう選択肢は微塵もなかったんです。当然英語も話せないし(恥ずかしながら今でも大して話せません。。。)世界を知りもしないくせに単純に日本最高、そう思っていたし、パリコレで出張に行っても『パリに住みたいな』的な海外への憧れも特になかったんです。

ただパリに来て好きだったことといえば、コレクション準備の合間や仕事終わりに時間を見つけては同僚だったり1人だったり街中を散策することや買い物に行くことでした。


…………


それなのに、どうして海外に興味をもてたのか?

結果なんで海外に渡ったのか?


それは、ある出来事が起因しています。


1. 2007年に僕が尊敬してた直属の上司(この当時Y's mensのデザイナー兼チーフパタンナーでした)がそれこそ海外に挑戦するために辞めてしまったこと。

2. 上司が辞めてしまった後、チームの別のニンゲンがブランド責任者として前に立つことになる。併せて、そのとき辞めようと思うくらい納得がいかないことが多くなり苦渋を舐める出来事がかなりあったこと。


良いも悪いもこの2つの出来事が実は大きな転換期になっていて、このことがなかったら今の僕はもう少しちがったカタチの僕だったかもしれない。と思うのです。

(このあたりのことは別の機会に書いていこうと思います)

そして、その転換期の頃にチャンスをあたえてもらってからおよそ2年後の2009年Y-3のファッションショーのために出張で初めてニューヨークに来たときのことです。パリ同様に同僚と街を歩き回る中でただ漠然と『もしかしたらニューヨークなら住めるかもなぁ』なんて不思議と自然に感じれたことを今でも憶えています。

そういう気持ちが自分にもあるんだって、少し驚きつつも自分の気持ちの変化になぜだか寛容になれたんです。


まずはこれがはじまりのきっかけだったのだとおもうのです。

という話でした。



それではまた次回に。


ご清聴ありがとうございました。



皆さんにとって今日も素敵な日になりますように。


タカハシ カズキ


余談ですが、

トップの写真は出張で初めてニューヨークに来たときに当時ソーホーにあったYohji Yamamotoのお店の前で撮った先出の同僚というか友人との写真です。

そのお店もいろいろ訳あって(ご存知の方もいるかもしれませんが)今はalexander wangのお店に姿を変え、ニューヨークにもう1店舗あったミートパッキング(下の写真です)のお店もMARNIに姿を変えてしまいました。

そして、元Yohjiの僕は今そのMARNIに姿を変えた元Yohjiのお店の目の前のビルディングで働いています。これもきっとなにかの縁なんだろうと思い、毎日そのお店をただただ見つめています。

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