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九州の真ん中にある標高750mの熊本県は黒川温泉から「地球に、ぽつん」とある島根県の離…

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九州の真ん中にある標高750mの熊本県は黒川温泉から「地球に、ぽつん」とある島根県の離島、隠岐諸島にある海士町へ。観光のその先を考えにきた人です。福岡出身の元仲居。古本屋の店主兼務。16歳になる猫と平屋の古民家で暮らしています。

最近の記事

そろそろ自分のことを信用したかった

畳み掛けるようにして3月が終わろうとしている。 3月ってなぜ弥生(やよい)と言うんだろうね? 横でお菓子や包装の空袋を広げてゴール先が行方不明のコラージュに没頭している同居人に訪ねながら、スマホで調べの儀を施す。理由は直ぐに出てきた。 話し終わるより前に「だから仰げば尊しの歌詞には “やよはげめよ” があるんやなぁ」と妙に納得した様子で返事が返ってくる。 ふたり不安げに思い出しながら歌ってみたら2番目の歌詞にはこうあった。 やよ励めよの部分の「やよ」が同じ意味ではないか

    • 分かれ道で思い出したいこと

      新年になり、呆気ないほど早くも1月後半。 年齢を重ねると相対的に時間の経過は早くなるらしいけれど、いやはや本当に、とんでもなく早い。最近のことを語るとき何年も前の記憶を引き合いにしてしまうあたり、確実に生きてきた歳月を噛み締めてしまう。今日はカレンダーを見るなり、先にやってくる春の存在も忘れて「すぐに夏がくるよ」と事務所で呟いてしまった。言い終わるまでに流石にそれは早すぎると頭の中でも高速で呟く。 2つ3つ先のシーズンを意識するようになったのは、観光の道を歩き始めたが故の変化

      • 好きを 好きなまま

        12月上旬、出張で阿蘇へ渡った。 同僚を誘い、阿蘇の草原を舞台にしたリジェネラティブ(環境再生)ツーリズムを体験してきた。 生れ育った故郷よりも圧倒的に帰ってきた感覚になる熊本の大地。 いつもと変わらず、私を私たらしめる。 隠岐からは当然かなりの距離があったために割りと移動ばかりしていた4泊5日。ゆっくりとはできなかったものの、初めて観光というものに触れて学び暮らしていた大切な場所へ仕事で戻れたことにひとり感慨深いものを握りしめていた。 帰路につく飛行機のなか、ぼんやり

        • 気持ちと言葉、烏合の衆

          調子が右肩下がりだった11月。ほとんど毎日のようにサンボマスターで自分を鼓舞する1ヶ月は幸い間もなく終わりを迎えそう。 新しい日々が始まるようにと、生きることに汗臭さと美しさと祈りを持って寄り添ってくれるロックバンド。深夜のカラオケで熱唱して何度喉を潰したかわからないくらい特に20代のころ幾度となく支えてもらった。付き合っていた人の車にCDを仕込んだら、叫んでいるだけだと浜崎あゆみのアルバムに差し替えられた記憶がうっすら蘇ってくる。歌詞を聴かない奴だった。今はそうでもないけ

        そろそろ自分のことを信用したかった

          生きたい場所に行く

          10月最終日の今朝、同僚が離島していった。 見送りはこの2年のあいだ既に何度も経験してきたけれど、わたしのメンタルを維持する重要人物のひとりでもあり今回の旅立ちは胸に迫るものがあった。 いつもMy boss!と声をかけてくれて大変なときや暗い顔をしていると、あなたは大丈夫だからと背中をぽんと押してくれる人だった。 スタッフの誰よりもTPOをわきまえていて、引くところ押すところの絶妙な加減でナチュラルにファンを増やしていくその姿は、真似しようとも追いつけない独自の強みがある。

          生きたい場所に行く

          土地に染まっていく

          6月の更新を最後に止まっていた自身のnote。 この3ヶ月間、時々書いてはいたけれど、身体に溜まり続ける言葉を書き出しては消しての繰り返し。誰に見せるわけでもなくデトックスに近いことをやっていた。 それに、活動拠点にしているEntôでは公式HPのなかで暮らしのことを綴っていることもあり、投稿自体はあまり久しぶりという感じもしていない。 夏の繁忙期も相まって、毎月投稿したいところを隔月に。この空白期間のことはJournalにふらっと立ち寄って確認してみるといい。 山奥へ想い馳

          土地に染まっていく

          もっと遠くへ

          5月のおわり 誕生日を迎えて37歳になった 周囲の大人たちからは30代なんかあっという間だよと幾度もうんざりするほど聞かされていたけれど、40歳が案外、遠い。30代がとてつもなく長く感じる。30歳になってすぐに病に伏して働けなくなり、2年間の入退院の末に観光業に足を踏み入れたり、その後は県を跨いでの引っ越しが何度か続いたりと人生色々ありすぎたせいかもしれない。 なんといっても今は九州すら遠く離れて島根の離島に暮らしている。 わからないものだと思う。 1年前のことも恥ず

          もっと遠くへ

          遠島

          「わたしたち、昨日あの船で来たんですよ」 窓越しに、こちらへ向かってくる高速船を指差して 嬉しそうに話してくれたゲストの顔が、眠りにつくときに浮かんだ。 コロナ禍で忘れかけていたGWの「あの」観光界隈の忙しさ。 ついに幅広い層の人々が、旅をしに島へ渡ってきた。 1年前の5月とは様子が全く異なる今年。 港の駐車場には車があふれ お子様連れの家族も本当に多く 島がちゃんと呼吸しているように見えた。 感染症が押し寄せたとき、観光事業に従事するわたしたちが(もちろんそれ以外

          海にゆだねて

          雨は島を濡らし 風が桜を散らし あっという間に春がおわっていく。 春の嵐だろうか 最近の隠岐は時折、海風が強い。 隠岐島前と呼ばれるわたしたちの暮らす3つの小さな有人島を行き来する内航船が、強風の影響でこの数日よく欠航している。 きょうは隣の西ノ島へ車ごと買い出しに行こうとしていたけれど、帰ってこれないリスクを考えて、島から出ることを諦めた。 日常の船移動に対してリスクヘッジをするなんて、離島暮らしにもすこしは慣れた証拠なんだろう。 この島で暮らしているわたしたちの生活

          海にゆだねて

          春の片隅

          昨晩お風呂上がり。 鏡に映る自分の左脇腹に小さなホクロがたくさんできていることに気付く。 うまく繋げたらオリオン座ぐらいには見える並びになっていて、誰かに知らせたい(が、写真だと性が溢れすぎるので割愛) そんな些細な身体の変化のなかでも、より目につくほころびを人から指摘されるまで気付けないほど、自分に鈍感になる忙しさが2週間ほど続いた。自己管理ができなかった反省はしつつ、やっと、小休止。 島に来る何年も前、病に伏したときから頻繁ではないにしろ時折繰り返している脱毛。九州

          春の片隅

          積もれ、季節

          去る1/27、全国的な大雪により暮らしている隠岐全域には大雪警報が発令された。 既に数日前にも海士町ではドカ雪が降って、前日にシェアハウスの同居人と小汗をかきながら路肩へ雪かきした以上が積もってしまい出勤は断念。1/3程度がすっぽりと埋まっている自分の車を確認し、深い溜め息をついた先月末の出来事だった。 内心(これ毎日は無理だな…)と呟きながら雪国暮らしの人々に思いを馳せる。忍耐とはこういうことか。 あまりの積雪に誰も出てくる気配はなく、雪遊びしそうな近所の子供たちの声も聞

          積もれ、季節

          ただの日々をなによりも愛おしくありたい

          誰かと食や酒を囲みたい。 衝動的にそんな気持ちをおさめきれない時ってないだろうか。 なかったら、今日は読み飛ばしてもらいたい。 昨日はまさにそんな日で、小さく声をあげてみたところ島内の知人より先に隣の島からお誘いがかかった。ほとんど着の身着のまま、最終便時刻から3つ前の内航船に飛び乗る。バスで隣町へ出向くかのように行き来する、西ノ島・海士・知夫里の島前と呼ばれる3島間の移動手段だ。 約束が心底苦手で明日の予定すら決めるのが億劫な、動物性な内面が陽の長さに比例して増している

          ただの日々をなによりも愛おしくありたい

          この島のにおい

          新年になった。 「師走」という賑やかで透明なものに、さあゆけと強く背中を押され気づけば年が明けていた。昨年は雪に見舞われた島の年越し。島民にとっては今年やや暖かいぐらいの天気らしく時折射す日差しがまぶしく突き刺さる。 年末か年始に投稿しようと少しずつ書き溜めていたnoteの下書きを眺めていたら、だらだらとした長文は必要ないかもなと日を追う毎に考えはじめて。昨年の振り返りと片手で数えるだけのWILLは自身の手帳にさっと印し、箱根駅伝の実況をBGMに下書きを削除した。人は風化

          この島のにおい

          今宵、観光に恋して

          今夜はInstagramもtwitterのフォロワーさんも、全国あちこちで「満月ですね」の投稿が目立つ。 こちら海士町でも雲間をかき分けるように、小ぶりのまあるい月が時折島を照らしている。こんな夜は月の綺麗さを思うより、それによって照らされた雲の端っこや帰り道に通り過ぎる家々、かすかに波打つ海面がより際立って美しくみえるからとてもいい。 陰と陽、月と太陽、光と影というように、表裏一体で切り離せないものがわたしにとっては特別意識を向ける存在なのだ。 「月がきれいですね」という夏

          今宵、観光に恋して

          お味噌汁にカマンベールチーズを入れた日のこと

          大好きな、それはもう大好きな料理研究家がいる。 土井善晴さん。 つい先日、かの有名な情熱大陸に出演されたばかりだ。 夜遅く、同じく土井さんのことが好きな代表の青山さんから放送日を知らせる連絡を頂いたお陰で見逃さずに済んだ。Tverでもう4回は視聴した。いや、5回観た。配信終了ギリギリまで何度も観る気がしている。 家庭料理は幻想で綿菓子みたいな儚いものだった 自分でひとり、ごはんをつくって食べる。日常的にそんな食事をする子供時代を過ごしてきた。 例えば家族でいくつかの

          お味噌汁にカマンベールチーズを入れた日のこと

          これまでと、これから。

          台風が隠岐をかすめていった。 波予報は最大8m。歩いて30秒先はもう海で、近所の車が海水を浴びたらしいとTwitterで知る。気の荒い風が時折家を揺らして、外の郵便受けは制御が効かないのかバタバタとうるさく不安を煽っていた。 日付は変わって今日、やわらかくなった陽射しと少しばかり冷たくなった風。扇風機の出番は段々と減って雨の日に洗濯物を乾かす程度の役割になってきている。 「ないものはない」の島で1年暮らしてみて 9月になり海士町にきて丸1年が経った。 8/31の最終便

          これまでと、これから。