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この島のにおい

新年になった。

「師走」という賑やかで透明なものに、さあゆけと強く背中を押され気づけば年が明けていた。昨年は雪に見舞われた島の年越し。島民にとっては今年やや暖かいぐらいの天気らしく時折射す日差しがまぶしく突き刺さる。

年末か年始に投稿しようと少しずつ書き溜めていたnoteの下書きを眺めていたら、だらだらとした長文は必要ないかもなと日を追う毎に考えはじめて。昨年の振り返りと片手で数えるだけのWILLは自身の手帳にさっと印し、箱根駅伝の実況をBGMに下書きを削除した。人は風化する生き物だから、数日前の気持ちよりも今の頭の中を取り出し文字に起こすのが最適なんだと思う。

年末年始

年末はEntôの前身、マリンポートホテル時代から続くおせちの仕込みと配達を。昨年は古巣の黒川温泉へ宿の手伝いに戻っていたから今年は島の正月を体験すべく帰省はしていない。

仕込みの作業では、別部署のスタッフや島民の方も厨房に混ざっている様子が個人的にはすごく良くて、写真を何枚も撮りながら準備に加わった。島前3島(海士町のほかに西ノ島、知夫里島)への配達までやりきり、連日の疲労を洗い流すように酒を浴び今日に至る。

次の年末年始はまた違うかたちでEntôにあかりを灯せるといいなとも思うし、こうしてしっかり休み自分たちの時間を確保するのも同じかそれ以上に大切だと感じた。

GMもスタッフも入り混じっての大晦日おせち配達
このフェリーを逃すと帰れないから配達は走りながら達成 くったり心地よい疲労を味わう
配達から戻ると上空に浮かぶやわらかい半月
初年度メンバーと同じ構図で毎年撮りましょうよと呼びかけ2年目の面々と記念に1枚

ちなみに年明けは隠岐神社への初詣を体験してふるまい汁をご馳走になり、元旦には地区の方々とおいしい島ごはんを囲んだりして正月らしい時間を過ごしている。写真を見返すとたくさんの笑顔があって和む。
新年会では島民の方々に混ざって、Entô繁忙期に客室清掃やリネン工場を手伝ってくれたインターン生や大人の島留学生の顔があり、いつのまにか公民館の空間で温かく繋がっていた。

自分で意識するより先にこうした繋がりが生まれるのは島の風土なのか、その光景に島のにおいめいたものを感じている。
地区のおじいちゃん達は一升瓶で私達ひとりずつに隠岐誉を注ぎながら「若い人が増えて嬉しいよ」と声をかけて回る。その声に応えるように、島外からきた私達は変に気負うことなく緩やかな一体感を放っていた。
ご近所さん、今年も元気でいてほしい。

朝10時、このあと早々に熱燗も注がれていった
祝詞を遠目に小アジのつみれ汁で温まる元旦の深夜1時
竹を切るところから大急ぎで用意したシェアハウスの門松 庭にあるもので「ないものはない」
大晦日、紅白をテレビで流しながら大画面ではM1グランプリのハイライトを見る荒手の年越し
ゲームチェンジャーに翻弄された新年の絵描き伝言ゲーム、泣くほど大笑いの2回戦


深く潜る1年に

12月に入り、所属している部署を2つから1つに絞った。
年齢も相まってか新しいことをするには体力と気力が要る。
実は静かに緊張状態で1ヶ月過ごした感覚があり、自分を守るための生存本能が働いた結果ごく僅かに他者と一定の距離を保っていた。これ以上は入ってこないでほしいという警戒心に近いものが振り返ってみると多少強かったかもしれない。日頃はそうそうすることもない他者と自分を比べるという行為が、不安から突出した1ヶ月でもあった。いまは徐々にその膜を自分で溶かしながら内側に光を入れている最中。眩しいときは少しそのペースを落とし、いけるなぁという時は一気に脱皮する。

苦悩多き時ほど「生きているな」という感覚になる。

若い頃は目先のあれこれに一喜一憂してそんな余裕はなかった。大人になるにつれ恐らく実態は苦しいはずなのに、そこに生の喜びを見出だせるという感覚はちょっと不思議だ。

鳥羽和久さんの「君は君の人生の主役になれ」を今年1冊目(再読)として手にとり読み進めているのだけれど、この部分で心臓をぐっと捻られる感覚を覚えたのも多少影響している。
まだ多くの言葉を扱いきれていないわたしは、ときに間違え、えいやと踏み込みながら、触れたい領域へ少しずつ進んでいくのが多分あっている。過信して飛び級した時にはだいたい地雷を踏んで自爆する。事前準備を怠ったときも同じく。
走りながら考えるようなところがあり、慎重な性分ではないけれど、言葉を大切にする手段の初手としてより一層、扱い方に拘ってみようと思う。


2021年9月の来島からかぞえて1年3ヶ月が過ぎようとしている。

さあ、どんな年にしようか。

自分次第な大部分と、流れに身を任せてみる面もありつつ、やりたいことを諦めない覚悟はもっておきたい。なによりも自分を大切に、そのうえで周りのWILLを叶えられる余白は引き続き創出したい。昨年はたくさんのアイデアが芽生えては消えてゆき、日常に忙殺されすぎる時期も少なくはなかった。

本当に必要なことは何なのか。

両手で大切に抱えるためにはそれ以外を削ぎ落としていく作業は避けて通れない気がしている。
共に進む人たちとは、具体的な決めや進捗のもっともっと手前にある、抽象度の高いところを握り合っていたい。選択し削ぎ落としていくなかで段々と太く強い軸に成長して自分たちの道標になるはず。


それより。
ここまで書いてやはり長文になりそうなので締めていこう。

改めて、新年明けましておめでとう御座います。
今年も観光や島への想いを拙いことばで綴っていきます。
なにものでもないわたしの、その時々のことばで。

今年は島で、読んでくれているあなたに逢いたいです。

こたつで寝落ちしていたところを激写されていた 朔もそれなりに元気

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