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今宵、観光に恋して

今夜はInstagramもtwitterのフォロワーさんも、全国あちこちで「満月ですね」の投稿が目立つ。
こちら海士町でも雲間をかき分けるように、小ぶりのまあるい月が時折島を照らしている。こんな夜は月の綺麗さを思うより、それによって照らされた雲の端っこや帰り道に通り過ぎる家々、かすかに波打つ海面がより際立って美しくみえるからとてもいい。
陰と陽、月と太陽、光と影というように、表裏一体で切り離せないものがわたしにとっては特別意識を向ける存在なのだ。
「月がきれいですね」という夏目漱石の生んだシンプルかつ的確な愛のフレーズは、令和でもうけるのだろうか。いやきっと、今日みたいな夜に大活躍していることだろう。

下の層と上の層で流れの異なる雲を首が痛くなるまで眺める日もある


人の動きが活発

つい最近、次のステップを踏み出した数人を次々と見送った。
もっともっと一緒に働きたかった人たち。

この島へ引っ越すことを決めるきっかけになった人も、船上から大手を振り地元へ旅立っていった。当日は生憎の雨で、島恒例の見送りに欠かせない紙テープはできなかったけれど、そんなの関係ないぐらい大勢の見送り人が彼女を称えた。別の子も同じぐらいに。当時は笑顔で見送ったはずなのに、今こうして彼女たちのことを想うと少々感傷に浸ってしまう。
元気でいてくれたら、もうそれだけで嬉しい。それにきっとまた再会できると心のどこかで信じている。

図鑑に載りそうな希少種ながまつさん、この島でいちばん好きだった生き物
前日に出発した子の紙テープ、天候状況でギリギリ許されたものの過去一番に荒れ狂う


20代後半〜30代中盤で起業や転職、結婚に出産と様々なフェーズを迎える頼もしい層が多いだけに、出会いと別れは避けられない。
自分自身も丁度この層に食い込んでいる。
潮の流れや自然の摂理のように、人の流れが大いにある場所、海士町。それを楽しみ受け入れて、臨機応変に、こういうのも全然ありだよねと言える環境を自分がより自由になるためにもまだまだつくっていきたいと強くおもう。


片思いだと思っていた

人に、ではない(残念ながらそっち系の話じゃない…笑)

実は暫くのあいだ「観光」そのものにあまり相手にされていないような、必要とされていないような、相当ふわっとした寂しさを勝手に覚えていた。
特別なきっかけがあった訳ではなかったけれど、なぜだろう…。自分のエネルギー切れだったような気もするし、うまく噛み合っていないもどかしさを総じて「片思い」と名付け半年ほど過ごしていた今日このごろ。

それでも要所要所でビビビっとくる場面はあれど、湧き出た熱量がどうしてなのか続かない。大事にしているはずの心の芯の部分がふやけてむくれて、数日前の感激や喜びがまるで無かったような気になることも少なくなかった。

そんな自分の気持ちをいろんな角度から確かめるように、会いたい人にたくさん逢い、新旧関わらず行きたい場所にはなるべく足を運んだ。
なにかを取り戻すという行為よりは自分をつかった実験期間のような感じだ。この時ばかりは自分自身の心の内に正面から向き合わなければ進めないと思った。
Entô開業時に料理をつくっていた人、以前にお世話になった旅館の女将や同僚たち、だいすきな阿蘇の麓、未開拓のサウナ。幸いこの期間シフトが安定していたのを好機として心のアンテナの向くままに移動を重ねてみた。

手はじめに馴染みの福岡市にある美容室で髪にグリーンを入れてもらった
はじめて観光に触れた古巣の宿がある黒川温泉
隠岐と同じくジオパーク認定された阿蘇の大地
急遽おすすめの宿で一緒に宿泊したあべさん、EntôDiningの立ち上げメンバー
摘果ぶどうをつかった煮込みに感激したり
例の場所へ赴いたり
twitterで友達になった観光界隈の人と敬愛する白子で肝臓を虐めたりした

自分で自分にジャブを打ちながらそれでも「なんだかしっくりこないなぁ」と内心ボヤきながら、立ち止まらずに歩き続けることを選ぶ。

あまり悩みを開示しない性分なのだけれど、この期間に限っては人見知りや苦手は脇に置きなるべく声に出してみようと信頼できる先々に相談をしていた。


今日も久しぶりに、言葉にならない扱いづらい思いを吐露する場面があった。

ある一定の本気のコミュニケーションは自分も相手もリスクを負う。
互いの本気度が高ければ高いほど(測れるものではないが)ぶつかり稽古のように青アザが出来る。
ごかましは効かず、おかげで心理的な内出血はそれなりに辛い。

だけれどそれを越えないと理解し合えないものは多少あり、この手の痛みは島に来るまでにも何度も経験してきた。
もう30後半だ。
酸いも甘いもある程度は乗り越えてきている(繰り返しになるが恋愛の話じゃない…笑)

自分の「観光」という言葉や価値観の捉え方って何かおかしいのだろうか?と思うこともあったが、ここ暫く島内外の信頼のおける人たちと正直な会話を展開するなかで、そこへの思いは多様でいいし、なんだか勝手にフラレそうな気になっていた自分のナルシストさに少々呆れる。こんな一面が自分にあったことに驚きを隠せない。

回りくどい書き方をしてしまうのだけれど、観光へのわたしの想いは「片思い」ではなかった。

求められていることがあり、認められている素質が在ると期待されている。
それって…
両思いなんじゃないか…?
と、書きながらふと思う。

自分を卑下して気づかないフリをしていたのかもしれない。そんなこと損でしかないのに、どこか怖気づいていたんだろうか。
当初考えていたよりもずっと大きな潮流の最中に居ることにふいに気付いて、もがき方が分からなくなったんだろうか。
わ、分からない…

ただこの数日は特に意識して言葉を尽くして日々を過ごした副産物なのか、自分の中でやや形骸化しかけていた「観光」というものへの愛情というべきか恋とでもいうべきか、文字に起こすとやや恥ずかしさ有り余る表現に値する気持ちが再燃しはじめている。
マッチで灯す火のような小ぶりの火種、それよりも一回り大きい。

やはり進みたい分野であることは疑いようがなく、どうすれば周囲も自分もどっぷり浸れるのか、枝先にどんな花が咲くと面白いのだろうか。
頭と心を使うことの楽しみをいま全身で思い起こそうとしていることに気がついて、歩く速度をほんの少しだけ早めようとしている。


観光はおもしろい。


いろいろと足りない自分には、いまこれぐらいしか言えない。

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