お味噌汁にカマンベールチーズを入れた日のこと
大好きな、それはもう大好きな料理研究家がいる。
土井善晴さん。
つい先日、かの有名な情熱大陸に出演されたばかりだ。
夜遅く、同じく土井さんのことが好きな代表の青山さんから放送日を知らせる連絡を頂いたお陰で見逃さずに済んだ。Tverでもう4回は視聴した。いや、5回観た。配信終了ギリギリまで何度も観る気がしている。
家庭料理は幻想で綿菓子みたいな儚いものだった
自分でひとり、ごはんをつくって食べる。日常的にそんな食事をする子供時代を過ごしてきた。
例えば家族でいくつかのおかずを囲む食卓。わたしのなかでは昔から今もなんとなくドラマとか作り物の世界で存在するそれ。見兼ねた友人たちの家庭に何度も呼んでもらい、それを体験したことはある。自分の母親がつくってくれた料理で記憶があるのは、調味料を入れ間違えた変な味のする麻婆豆腐といつも大根が入っているカレーぐらい。家庭の味とは実に様々で、カレーに大根って普通は入ってないよ?と中学のころ周囲に驚かれた。少々閉鎖的な教育をする家庭だったため、世間一般的な情報を知りはじめたのは高校に入学してから。
両親共働きの家庭という訳ではなかったのに、作られたごはんをひとりテレビを見ながら食べるとか、なにも用意されていない時は冷蔵庫から適当に見覚えのある食材をつまんでは焼いたり茹でてみたり。これでいいのか違うのか、おいしさなんかよく分からずに実験のような食事をしていた記憶。
家族はよく集まりに出かけることが多く「火を入れてたべて」「電子レンジで温めて」といったメモと共に、ラップで蓋をされた夕食がテーブルにぽつんと置かれている光景が思い出される。随分あとになってから「孤食」という言葉を知ることになるのだが、自分の青春の真ん中はこれか、ファーストフードの買い食い。高校の授業をサボって遊びふけっていた頃は、昼間から入り浸ったカラオケでその日のごはんを済ませる日もあった。
子供のころはテレビっ子だった(いまは所有すらしていない)
天才てれびくん、怪奇倶楽部、Mステやお笑い番組に連続ドラマ。当時は見逃すと損した気分になって新聞のラテ欄に赤ペンで印をたくさんつけているようなところがあった。
先に挙げたように小学生のころからそんな食生活を繰り返していたからか、食事中のテレビは何かぼんやりとした寂しさや侘びしさを紛らわせるための手段だったのかもしれない。食べながら見るテレビ番組は、いつしか料理番組に絞られていく。
料理番組には大抵アシスタントさんがいて、メインで料理する人とお喋りしながら、予め分量を測った調味料なんかを渡したり、下げたりして、時には「これが1時間冷やしたものです」みたいな魔法も使いつつ進められる。
「煮含める」や「裏ごし」今なら何を指すのか分かるが、当時のわたしには難しい言葉が飛び交う。けれどその様子は子供ながらに、なんだか面白おかしくて賑やかで。自分でつくったよく分からない食べ物も、画面の向こうで着々と出来上がる料理の香りがこっちに届きそう。お笑い番組やバラエティよりもずっと、ひとりじゃない感じがした。
そんな番組のひとつが土井さんの父・勝さんの代から続くレギュラー番組、おかずのクッキングだった。コンセプトは見るだけで料理上手。過去ゲストにはコウケンテツさんや浜内千波さんらも出演している。
※惜しまれつつも今年の3月で番組は終了してしまった
同じ時代に、ブームのように料理人の対決番組も登場した。多くの人が記憶にある「料理の鉄人」が象徴といえるかもしれない。日本人に食の多様性を提唱し、外食ブームが到来した。バブル期には既に外食産業が右肩上がりではあったのを更に押し上げ、敷居の高かったレストランにも足を運ぶようになり、ファミレスもとにかく増えた。影響を受けて料理人を目指した人も多かったことだろう。
おもしろい番組だった。
最初のころは好奇心のまま食い入るように見ていたわたし。ただ、どうしてか。次第に見るのが辛くなっていく。
元来、通信簿に毎回書かれるほど強烈に感受性の強い子供だったこともあり恐らく競争そのものが苦手なんだろう。いい大人になった今でもその感覚は変わっていない。わたしには「おかずのクッキング」や後発番組の「男子ごはん」「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」なんかが肌に合っていた。
おいしいものを作って、美味しく食べたらそれでいいのにな…と思っていたわたしには、人がつくった料理にジャッジを入れ優劣がつけられ、勝って笑う者と負けて泣く者が出ることが次第に違和感としてシコリのようになり受け付けなくなった。それだし、画面からはジャッジにこぼれた料理も勝った料理も、料理人と共にエンタメとして消費されている感が強すぎて、どうしてもそこに温かみや愛を感じられなかった。同じくらい勝負を通じて互いを称え合う画も映し出される。それが現実であればそれでいいし、演出だったらすこし悲しい気持ちになる。
※近年よくある大手コンビニや外食チェーンの商品にランク付けして酷評する番組も辛くて見られない。褒められた商品が翌日には店頭から消え、Twitterで話題になる。美味しいものはちゃんと美味しいのに。
料理するひと
そんなグルメブームの最中、10代後半ごろから自分の心が動く料理人や料理研究家を探すようになった。出会いの場はいつも古本屋の棚だった気がする。その道のプロたちに、抽象的な光のようなものを求めはじめていた。
メディアでは料理人がおなじ料理人に対して意義を唱えたり、自分の流儀を他者を否定してまで主張する場面に残念な気持ちを抱くこともあった。派閥も良し悪しも要らない、もっとシンプルであたたかいものを求めていた。
フレンチやイタリアン、料理がなんたるか、正直難しいことは全然わからない。けれどその人が何を大切にしているのかは色々な手段で垣間見ることができる。
土井善晴さんのように大好きという表現では収まりきらない料理人、料理研究家という人たちが他にもたくさんいるのだが(小林カツ代やケンタロウ、吉野建や里山十帖の桑木野シェフ、他多数)書ききれないので今回は割愛。
色々書いたがわたしは料理人じゃない。目指してもいない。どこにでも居るふつうの人。
食べることも作ることも好きで、色々チャレンジはするけれど、大きな魚は未だに捌けないし、肉の塊を切り分ける技術もコース料理を組み立てることもできない。けれど土井さんのいう「料理するひと」であると思うし、そう在り続けたい。
自然と人間のあいだで、未来の人間の健全な暮らしを守るひと。
地球に負担をかけない食材を料理する。
野菜の根っこも、皮も芯も硬いところも、お肉の筋も魚の骨も、ぜんぶ大切に扱いたい。
自分で料理をして、自分自身をまかなう。
あなたもどうぞと誰かにお裾分けする。
分量きっちりレシピ通りの予定調和ではない、いまこの時、この季節を大切にする暮らし。暮らしのなかの食。
思考の中心には、かつて子供だったわたしが育んでこられなかったあたたかい食卓の光景を見つけたいという執着と探究心がある気がする。
先月だったか、土井さんが一汁一菜のライブ配信をしていた。
味噌汁の仕上げにバタートーストやカマンベールチーズを入れて画面の向こうにいる視聴者に笑いと余白を届けてくれた。
料理は自由でいい、ええかげんでいい。こんなんでええんですわ。作れる時はつくったらよろしい。作れない時はなにもしないで寝ておけばいい。でもいずれお腹がすくでしょう?そしたら起きて自分のために料理して食べてみたらいいんですよ、と言ってくれたところでわたしは泣いた。いま思い出しても涙がぽろぽろ溢れてくる。背中にそっと、両手を添えられたような感覚だった。
土井さんは画面のむこうでニコニコしながら喋っていたのに、配信を見ている側では同じように泣いていた人が大勢いたことだろう。いつかその人達と一緒にごはんでも食べてみたい。
彼の言葉は軽やかで優しくあたたかい。
かつては下に見ていたという家庭料理のど真ん中に、土井さんは居る。
相手が誰かなんて構わない。
こっちにおいでやーとわたしたちに手招きしているのだ。
料理は、わたしにとって祈りみたいなものだ。
土井さんのライブ配信の翌日、わたしは商店でカマンベールチーズだけを買いに走り、その日の夜に作ったお味噌汁に一切れ突っ込んだ。
配信中は笑ってしまったそれは、ふつうにおいしくて、食べながら泣いた。
泣きながらごはん食べたことあるひとは、生きていけますとドラマ・カルテット(脚本は坂元裕二)で言っていたっけ。
わたしはもう、ひとりでも、誰かとでも、料理をたのしめるひとになったみたいだ。
黒川温泉で毎日たべた賄いがすこしだけ懐かしくなる。
これから寒くなる海士町でも、あったかい賄いをつくりたい。
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