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春の片隅

昨晩お風呂上がり。

鏡に映る自分の左脇腹に小さなホクロがたくさんできていることに気付く。
うまく繋げたらオリオン座ぐらいには見える並びになっていて、誰かに知らせたい(が、写真だと性が溢れすぎるので割愛)


そんな些細な身体の変化のなかでも、より目につくほころびを人から指摘されるまで気付けないほど、自分に鈍感になる忙しさが2週間ほど続いた。自己管理ができなかった反省はしつつ、やっと、小休止。

島に来る何年も前、病に伏したときから頻繁ではないにしろ時折繰り返している脱毛。九州へ帰省したとき馴染みの美容師さんに見つけてもらう。後頭部にちょろっと出来ていて「あぁ」とふたりしてため息。同時にまたですねぇと苦笑い。ドライヤーの風量に負けないぐらいの声量で休息の極意を20分ぐらい唱えてくれた。
別の日には指の腹の指紋がツルツルに消えているのを握手した初対面の人に教えてもらう。皮膚が薄いから、お湯や熱々の器を触ったりすると魚の皮がぎゅっと縮むように固くなってしまう。最近スマホの画面認証で手こずる理由が分かってそれ自体はよかった。

そんなふうに見た目に反して意外と繊細な身体構造に笑ってしまう。少し自分を放っておくと毎度こんな感じになってしまうのに大人になってもなかなか学習しない。

その間にもこうして文字を打つのが追いつかないほど、頭の先からつま先まで体中に言葉(想い)が溜まりに溜まって、吐き出せないままでいた。
言葉が溜まる、という表現以外に自分の状態を表しようがなく、とにかく気持ちが晴れない期間だった。

もうダメだーの直後に差し出される春のまかないパスタが有り難い

見かねてここ3日ほど深夜にnoteを書き連ね、2つの投稿を自分でのみ読み返し、書き出せたことで消化しながらそのまま削除するなどを繰り返している。いまは4日目で3本目。かといって洗練された文章が書けるわけでもなく、誰に見てほしいでもなく、ただひたすら近況を残していくのみにはなりそう。

隣の地区にある津久井邸の玄関
歩いて20秒の布勢神社 桜がぽつぽつと開花

先週「風と土と」の"SHIMA-NAGASHI"という、いわゆるリーダーシップ研修の一部で講師に呼ばれた。

企業人が自分が本来やりたかったことや、なぜこの会社で働いているのか?どんな未来をつくりたいのか?といった想いを内省しながら海士町での滞在中にそれを言語化していくプログラム。
こちらの準備もそこそこに、初めましての挨拶から2時間にも満たない対話を通じて、お互いの悩みのタネやWILLの部分をさらけ出す場面も。
そしてこの短いレアな体験は、思いのほか自分の内省にもつながった不思議。一時的に忙殺されかけた日々の真ん中でふっと我に返る時間になった。

気心知れる仲間たちからすると、自分の人生はいわゆる「波乱万丈」らしい。過ぎたことなので私自身は今更感があるけれど、その中身をどこまで話しどこを端折ろうかと悩む。あまりに省略すると事象の接続部分が不可解になり不要ななぜ?がうまれてしまうし、詳細すぎても重すぎる懸念があった。
悩んだ結果「全部を淡々と話す」という選択肢に落ち着き、無事に閉幕。

この島に辿り着いた経緯、暮らしのなかで何に対し面白さを感じるのか?何を大切にしていて、どんな場面で困っているのか?この先どう生きていこうとしているのか?まで包み隠さずに話したことが、皆さんの何かしらヒントになっているのなら之幸い。

許可をいただき掲載 仕事の合間で慌てたのか前髪がおかしなことになっている

過ぎたこととは書いてみたものの、観光業に携わる前の人生の中身を誰かに話すとき、ひとつひとつに悔しさや憎しみや怒りが湧いてきて大抵の場合は泣いてしまっていた。去年のいくつかの場面でもそれは訪れて、そのたびに自分が嫌になったものだ。他者のせいだと思い込みたい自分とそんな考えでは解決しないと分かっている冷静な自分が対峙して、むせ返るような嫌悪に何度も何度も襲われてきた。

これまでは。

ただ今回は涙どころか目頭が熱くなることも、もうなかった。

努めて冷静でいたわけでも、消化や克服がきちんと出来ていたわけでもない。ないんだけれど、これから先も生きている限り沢山の出来事を受け止めていくのにいつまでそんな重荷を背負っていくのかと自分に問うた時どこかで諦めがついたのかもしれない。
どうしたって心のキャパには限りがある。限りある空間が幸せで満タンにならないとして、例え苦しさや痛みが同居しているとしても、それらも含めてより大切だと感じられることの割合を増やしてみたいと参加者の皆さんと対話しながらぼんやり考えていた。

もしくは、あたたかくなった島の空気がそうさせたのかもしれない。
人間は風化していく生き物だから時間が解決していくことって実際にあるんだろうなぁと、この時は思えた。
憑き物が落ちるような(スピリチュアルなことは全然信じてないけど)分からないなりに例えるならそんな感覚で春を迎えている。

天川の水に浮かぶ終わりを待つ椿
3月の風呂屋海岸 透き通った海中にはウニの群れ


今年はまだ、この島に居ようかとおもう。

以前から表現してみたいことがいくつかあって、暮らしとそのなかにある働き方に反映させてみたい。

そのなかのひとつに、こうして言葉を綴ることがある。
自分だけで完結させずに、誰かへ届けられる言葉を紡ぐことをやってみても良いかもしれない。幸い既に背中は押してもらっていて、関連して社内のプロジェクトに参加していることもあり、なにかしら表現の場は今年多くなりそうな予感。

畑のあらゆる野菜から菜の花 そろそろ片付けねば…次の種が蒔けない
春の海士町は離島ラッシュ 誰かを見送るたびに自分がここに居る意味を考える

そして今年も時々は旅に出ていこうとしている。

訪れたい場所や施設が山のようにあるけれど、いま本当に時間をつくって行きたいところ、心から逢いたい人は絞られる。
真っ先に向かいたいのは能登半島のオーベルジュ、それとK5だ。
長野にも再訪したい宿がいくつかある。

次々と新しい場所を訪れる楽しみも知ってはいる。それ以上に、同じ場所や宿をリピートすることで自分の旅を育てていきたい気持ちがこの業界に落ち着いてからは尚更強い。

※旅にまつわる書籍のなかでも特別大切にしている「旅の効用」はいつも会社の本棚にいる。分厚いがずっと読んでいられる貴重な一冊。

こうして家で書き物をしていても、ふいに誰かが訪ねてきたりする。
一歩外に出れば、どんな出会いがあるかは未知数でわからない。


なによりも自分の心地よさを大切に。

とはいえその時々にまかせて今日もこの島で暮らしている。

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