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海にゆだねて

雨は島を濡らし
風が桜を散らし
あっという間に春がおわっていく。


春の嵐だろうか
最近の隠岐は時折、海風が強い。


隠岐島前と呼ばれるわたしたちの暮らす3つの小さな有人島を行き来する内航船が、強風の影響でこの数日よく欠航している。
きょうは隣の西ノ島へ車ごと買い出しに行こうとしていたけれど、帰ってこれないリスクを考えて、島から出ることを諦めた。
日常の船移動に対してリスクヘッジをするなんて、離島暮らしにもすこしは慣れた証拠なんだろう。

4月になり運行再開した遊覧船「あまんぼう」 思わずおかえりの声掛け


この島で暮らしているわたしたちの生活は、何につけても海に左右される。

ひとの往来
物流も漁獲量も
森林の保全
あらゆる産業

生きていくすべての事象を自然が握っている。
抗おうにも、この条件下ではあまり術がない(ヘリでも頻繁に飛んでいれば話は違うのだが)

本土に居たころは、例えば冷蔵庫の中身がそろそろ無くなりそうだとして特別に焦ることはなかった。仕事帰りにスーパーに寄ろうとか、深夜に空いているコンビニへ取り敢えず足を運ぶ。手頃な食品に限らず、べつに急ぎではない洗剤だとか、ついでの雑誌なんかが容易に手に入り、空腹でもないのに陳列されたプリンを手に取ってみたり、それが日常で考える余地もないほどに当たり前だった。郵便でさえ深夜に窓口で受け付けてくれたし、居酒屋で飲めば代行車を呼べるし、Amazonのお急ぎ便は翌日に届く。クリーニング屋が近所に5件あり急ぎの洋服は当日に仕上がるし、急に旅へ出かけたくなった時には電車に乗り、無数にあるカーシェアで何処へでも行けた。

ただ、そんな手軽さを享受しながら一方では都市に備わっているあまりの便利さに常に違和感を抱えてもいて。
この島へ来る前に数年暮らした黒川温泉での生活を経てからは、その違和感に拍車がかかり、いわゆる「不便そう」な離島での生活が正直いまは丁度いい。

根本は「なんとなくでも手に入る」という状況があまり好きではないのかもしれない。自分で選び取ることに多少執着している面があって、溢れる情報から身をはがし、こうして選択肢の少ないようで実は多い、そのひとつひとつに魅力をちゃんと感じ取れる環境が居心地がいい。

明日は船が動かないかもしれない、と誰かが呟けばその情報をたよりに商店でまとめ買いをして冷蔵庫をいっぱいにしておく。冬場はそんな場面が多かった。台風の季節も同じく、備えに敏感になっている自分がいる。

住んでいる地区の山に埋もれる桜と漁の安全を祈願する鳥居
日毎に敷き詰められていく花びら 終わっていく様こそ美しいと感じる


わたしはこの島で暮らしながらEntôで様々なひとたちを迎えている。

昨夜は年度初めということもあり予約の落ち着いていた日で、ゲストのディナーがゆったりと進んでいく場面に、いつもの制服で入社2年目のスタッフを見守っていた。

様々な景色の写真を撮るためにカメラを構えたゲストが、夕陽の傾きを気にしながら度々覗きにやってくる。

山菜を無限に摘み取っている最中 大きな雲影をフェリーが横断していた


春宵(しゅんしょう)という春の夕方を表す言葉があり、静かでゆとりのある夜へ向かう時間を指すと理解している。
夕暮れから黄昏を過ぎて、宵の時刻まで、その場にいるみなさんと一緒に空の変わる様を味わいながら食事を提供した。

少し前まで忙しかったこともあり、こんなにゆっくりと、自分の仕事と仕事場と、それから目の前にいるゲストの様子を感じられるのは本当に久しぶりだなぁと思いながら、空の移り変わりと一緒に沈んでいく隠岐の海もとても美しいと思えた。


「これが自分にとっての日常…?待て待て、なんか贅沢だな…」とグラスを拭いながら目の前の光景にハッとする。


同じものを
同じ時に
それぞれの立場や感性で
スタッフもゲストも体験しているその時間が、そのときたまらなく特別に感じられた。

本土からどんなに遠いとしても
人知の及ばない、ほかに代わりの効かない価値が
ここには存在していると信じている。

同じものを勝手に故郷としている阿蘇にも感じていて、いずれも丁度良さだけではない、うまく言葉に出来ない要素を感じる。

だから海士には居られるんだなぁ
だから阿蘇を帰る場所と認識しているんだなぁとも思う。
(先日たまたま流れてきたTwitterで更にハッとしたところだった)

この島も、いずれ阿蘇のように自分の居場所として、大切に温めていくことになるんだろう。

崎地区へ向かう途中の山道 やや黄砂でかすむ海士町の山景
木々の隙間から見えたテトラポットとなにか 桜は随分と散っていた


メインのしごと場であるEntôでは、すでに新しいスタッフの加入や仲間の合流がはじまっていて活気を感じられる。
若い人が多いのこともあり、ついつい自分のことをおばちゃんなどと表現してしまうのだけれど、どんな年代や性別であっても受け入れられる風土はこれから先の未来にも引き継がれてほしいと願う。


まもなく初夏


これから出会うかもしれないあなたに
島の春を贈ります

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