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そろそろ自分のことを信用したかった

畳み掛けるようにして3月が終わろうとしている。

3月ってなぜ弥生(やよい)と言うんだろうね?
横でお菓子や包装の空袋を広げてゴール先が行方不明のコラージュに没頭している同居人に訪ねながら、スマホで調べの儀を施す。理由は直ぐに出てきた。

暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂るという意味の「弥生(いやおい)」がつまって、「弥生(やよい)」になったとされています。「弥」にはいよいよ、ますますという意味があり、「生」は草木が芽吹くことを表しています。

出典:AllAbout

話し終わるより前に「だから仰げば尊しの歌詞には “やよはげめよ” があるんやなぁ」と妙に納得した様子で返事が返ってくる。
ふたり不安げに思い出しながら歌ってみたら2番目の歌詞にはこうあった。

互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

出典:UtaTen

やよ励めよの部分の「やよ」が同じ意味ではないかと我々は考察した。実際のところ「やよ」には「さぁ」のような呼びかけに近い意味合いがあり、期待とはすこし違う意味が込められていた。けれど、たったこれだけのことを調べるのに時を忘れて一点集中してしまう私達。実際には10分程度のことだったのに、心底ことばというものは奥深く繊細でいて人生を豊かにしてくれるよねと、真正面から称え合う夜が時折うまれる。今夜もまたひとつレイヤーがあがった、と彼女は当然のように言ってくれた。

水と油のような、性質の異なる人間同士なのに、お互いに重なり合うところで丁度接地がうまくいきギリギリひっついているらしい。違うもの同士は混ざらず分離するものだと、決めつけてしまっては勿体ない。混ぜ方によっては接着する部分がある。気の置けない友人をこんな形で得られることは本当に奇跡だし、偶然にも一緒に暮らすことになって私としてはラッキーだった。

内に内にと籠もりかけていた生活に、時には少々強引に光を入れてくれる友人なので、否が応でも暮らしは変わってきている。感想が曖昧で伝わりづらいかもしれないけれど、要は総じてありがたい。

彼女は私が海士町へ引越しを決めた唯一の理由になった人だ。
まさか一緒に生活する日がくるとは思わなかったが、人生とは不意の連続。きのうから更に1名増えたこのシェアハウスでもう暫くのあいだぷかぷかと漂ってみようかと思う。

猫も呆れるほどのコラージュ没頭っぷり
早朝にAmazonPrimeのドラマに正真正銘タイプの俳優を見つけて名を刻む




あすから新年度、というタイミングで、1年前なにを思っていたんだっけということで少しだけ自分のnoteを読み返している。

まだ、この島に居る。
迷って迷って、うーんうーんと足踏みしていたら1年経っていた。

迷いの原因はいくつかあった。あったし、今もある。
島の外からやってきたという前提もあるとは思うのだけれど、山と比べると海際の生活はやや忙しく、実際日々をゆっくり味わうことが努めてもなかなか実現出来なかった。
物価の高さには慣れたし、知り合いは増える一方で不便はないし、なにより自分の心臓を動かすためのモーターである観光を生業にできている暮らしに不満は持っていない。
持っていないけれど、そのかわりに僅かな違和感や自分とのすれ違いに遭遇することが少しずつ増えていて、その理由(ワケ)を心の内と外、行ったり来たり、時に他人を招き入れてあちこち引き出しを開けたりしながら探しものを続けている最中。

ある日のセントラル亭でイベント側にまわる島留学生たち 若さってすごい
おとなり西ノ島にある焼火神社で初参り 向こうには島前2島
焼火神社への道中に珈琲をこぼしたけれど和やかな芸術肌のふたりに微笑む

唐突だけれど、他人のチカラはすごい。

何かが共鳴して、友人や恋人やそこから更に発展してパートナーになれる。
盛り上がって一緒に何かを目指したり、摩擦で仲違いしたり、それでいてもあいつ今頃なにしているかなと心に靄をかけたり逆に晴れさせたりする。
自分の凸凹を埋めるような他人をみつけたとき、なぜだか救われるような気持ちにさせてくれるし、わたしを認めてくれたりするのは当然いつも他人様だ。他人だから、一緒に居られる。

わたしは無念にも、またこの1年、自分を信じてあげられなかった。

あんなに他人(ヒト)が褒めてくれたのに。
口ではいえいえありがとうと言いつつも、なぜ褒められたのか理由を探せないまま、正確には探さないまま、受け流してしまう日々だった。
照れくさいとか、謙遜とか、そういうのじゃない。
本当に理由がわからなくて困り果ててしまう。

ほぼ本能的に能動的に、他人の、誰かのことをついやってしまう。
先回りしたりおせっかいなので、大抵は「ありがとう」「さすが!」「本当に助かった」が返ってくるのだけれど、やれることをやっただけ。もっと言うと脳みそが働いて気づけば身体が勝手に「やってしまった」だけのこと。わたしの中には特筆すべき理由がいつもなかった。

他人(ヒト)のことをいつもやってしまう。

悪いことではないけれど。
自分の時間を自分以外のことに注いで何が悪い仕方がないじゃないか。
だって、だって…と思ってきたけれど。

なにか優先することがどうにもこうにも違う気がする…という違和感に向き合って1年間。ひたむきに内省を続けてみても、わたしはやっぱり自分のことを一番最後にしてしまった。笑ってしまうくらい、自分の気持ちは最後の最後だった。誰にも言えなかった言葉たちも吐いて捨てるほどある。

40歳まであと2年に差し迫って、いよいよこれでは辛いかもしれないという気持ちになっている。茨木のり子の書籍にも「自分のことくらい」と書いてあった。わたしの心のなかにだって隠さずにいつも書いてある。

色々と考えあぐねて、敢えて自分だけに問うて相談してみた。
わたしは会社員には向いてないと言ってるでしょう。集合体に居ると他人のことをやってしまう。自分のことをするのには自分の場所が必要なんだと昔からずっと言ってるでしょう、という副音声が胃のあたりから跳ね返ってきた。

直ぐにどこかへというわけにはいかないので、仕事や島とは少し性質の異なる別の海にも遊びにいくことにした。要するに副業のことだ。
別のコミュニティを試してみよう。わたしの温度や言葉や思いの底を、そのまま抱えられる生命装置のような場所をあといくつか持ってみよう。そう、思った。そしてそれは誰かに用意されるものではなく、自分でオールを漕いで自分の目で見つめて手触りで探すもの。手助けは時に求めるかもしれないけれど、どうしても自分で見つけたい。そうでないと、なにか納得ができない気がしている。

誰かに認めてもらわなくても、自分が良ければ、正直もうそれで良い。

同僚を見送った日の朝 海藻がもしゃもしゃ育って小魚も

「ありがとう」に「どういたしまして」と、本心で伝えたい。

たったそれだけのことに、自分の内側の誤魔化しに向き合うのに、こんなに時間と根気と愛情を必要とするとは思わなかった。慢心からか、そんなことはとっくに出来るしもう大人だから、もう大丈夫なんだからと高をくくっていたらこの有り様。見た目が大人なだけで途方もなく問題児だった。

自分というものは幾つになっても分かりかねるけれど、そろそろ理解してあげたいし、私は私のやったことや思いを信じたい。


滔々と書いたつもりが…
結局わけもわからぬ具合になった。


4月になった。
新年度を迎えてしまった。

お布団へ、猫をかかえてそろりとゆこう。

あすの私へ。
誰にも邪魔されず、いつも通りで居て。

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