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ただの日々をなによりも愛おしくありたい

誰かと食や酒を囲みたい。

衝動的にそんな気持ちをおさめきれない時ってないだろうか。
なかったら、今日は読み飛ばしてもらいたい。


昨日はまさにそんな日で、小さく声をあげてみたところ島内の知人より先に隣の島からお誘いがかかった。ほとんど着の身着のまま、最終便時刻から3つ前の内航船に飛び乗る。バスで隣町へ出向くかのように行き来する、西ノ島・海士・知夫里の島前と呼ばれる3島間の移動手段だ。
約束が心底苦手で明日の予定すら決めるのが億劫な、動物性な内面が陽の長さに比例して増している。

船の前進で波立つ海面に自分の日常が詰まったEntôが映る。

「夜ってこんな感じなんだ」とぼんやり写真を撮りながら、船の窓越しにゆれる灯りの先を想う。

遠くから来島してくれたゲストのこと。
遅くまで働いているスタッフのこと。
これまで来てくれた人たちのこと。
これから出会うたくさんの人たちのこと。

あっという間に隣島に上陸し店休日の鮨屋でなぜか焼肉をおごられ、僅か1時間半の滞在で嵐のように去り帰宅。
何か話したかったわけじゃない。自分に足りなかったのはどうやら人だった様子。

宿泊施設にいて尚且つ毎日ゲストやスタッフと関わっているのに、それでも更に人を求めているとはどういうことか。
対人関係とは不可欠なものであると同時に行き過ぎると辛くなる、そしてわたしにとっては接客やサービスを通した対人関係が刺激としてのストレスを生のむと同時進行で自身の浄化や癒やしになっていくものなのだ。これからも生涯、この業界であれば自分を保てるのだろうなと緩い確信を持てるぐらいに、これしかない。
とはいえ昨夜は近しい人より少し距離のある人という意味で程よい関係値の交わりを欲していた。

4人中3人は初対面の島民。他愛もない形には残らないような会話をして、ひたすら肉を焼いてもらいしっかり食べ「また来ますー」と港でお別れを。海の向こうに住む人とそんな気軽にごはんを食べれる距離感ということを実感するには遅すぎたけれど、こういうのもありなんだなと選択肢が増えて喜ばしい経験だった。

セセリとハラミとカルビをひたすら焼いてお皿に置いてくださった、ふぐの味噌汁追加
帰宅したら暗がりのなか一番あたたかい電気毛布を占拠していた朔、眠気で黒目が増す



なんでもない日ができるだけ必要だと、随分と昔から思っている。

それがないと瞬く間に心が枯れてしまうのだ。

賢明に働きだれかに尽くす時間も、どうしたら〇〇が良くなるかを本気で議論する時間も、何かを極めていくような自己研鑽の時間もすばらしい。

すばらしいけれど、前向きさだけでは生きていけない。

安くなっていたから買ったはずの牛乳がいつのまにか賞味期限切れになっていたり、周ってきた地区の回覧板に知り合いが写っていて「おっ」と小声をあげる些細な瞬間や、試しにつくった料理がとんでもなく不味かったり逆にうまくいって過去イチ美味しくできたり。
そういう「普段」が同居していなければ、暮らしというものは成立しない気がしている。切り離そうとしても多分難しいんじゃないだろうか。

ゲストに料理を提供し島のあれこれを語る自分と、そこから自宅へ戻りこたつで寝落ちしてしまう生活者としての自分は同一人物だ。スイッチをカチカチするように切り替えられないし、そんなに器用ではない。

庭にどんどん産まれる特大フキノトウ
朝一番に大敷へ魚の仕入にチームのみんなで駆けつけた日の朝日
旬を迎えたムロアジをひたすら捌く時間
こちらは仕事での一場面、ただ人間としての自分に向き合う「普段」が同居した時間だった

今日の自分は幸せだっただろうか?

あす、どんな自分でいたら幸せだろうか?

どれぐらい…などと数値化や具体的にどうこうは考えない。
自分の軸ではどうだろう、そんなことを夜な夜な考える日が度々ある(ニュアンスが病んでいるように伝わるかもしれないが、心身ともに健康そのものなのでどうか誤解なきよう…笑)

その存在だけでわたしを心穏やかに前向きにさせてくる、ちゃかぽんのミカさん
なんだか心の支えになってきた古巣の黒川温泉カレンダーは玄関に、温故知新って渋い


海士町に来てからというもの、福岡市に居たころと比べて圧倒的に余計な娯楽が無いかわりに、頭で考えたり身体を動かして体験する場面が多く、入ってくる情報がストレートだ。受け取り方も自然と素直になり、やりたいことは増えていく一方で、頭の中がよく散らかっていることがある。
誰かの知恵を借りて整理することもあれば先述のひとり夜な夜なコースもあり、色々な方法を試しながら自分という個を確かめ、反芻し、実験している感覚。若干怪しげに聞こえるかもしれないが蓋を開ければただの振り返りで、いつも他者のことを考えすぎて自分のことが最後になってしまうわたしなりの自分の守り方。

自分でつくる野菜もわたしを守ってくれている(気がする、気のせいという説もある)


と、ここまでを敬愛する岸田奈美さんの「DM全部読み上げる岸田奈美のスペース」を聴きながら適当に綴った。適当というキーワードに温度が下がってしまったあなた、申し訳ない。
なにも渡せるものがない今宵は、観光についてでも自分の仕事についてでもなんでもない、今日という日のただの記憶。

おまけに、今日はこんな気分という音楽でも。

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