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積もれ、季節

去る1/27、全国的な大雪により暮らしている隠岐全域には大雪警報が発令された。
既に数日前にも海士町ではドカ雪が降って、前日にシェアハウスの同居人と小汗をかきながら路肩へ雪かきした以上が積もってしまい出勤は断念。1/3程度がすっぽりと埋まっている自分の車を確認し、深い溜め息をついた先月末の出来事だった。
内心(これ毎日は無理だな…)と呟きながら雪国暮らしの人々に思いを馳せる。忍耐とはこういうことか。

あまりの積雪に誰も出てくる気配はなく、雪遊びしそうな近所の子供たちの声も聞こえない。分厚い雪に色々な音が吸収されて静まり返っていた。耐えきれなくなって時折ドスンと屋根から落ちるその塊に、驚いた野鳥がバサバサと飛び立つぐらい。

以前に4年ほど暮らしていた黒川温泉も-13℃位まで気温の下がることがあるが、やはりここは日本海。標高それなりの山奥とはいえ、九州の雪の降り方とは比にならなかった。

近隣の状況が気になり同居人とすこし破れた長靴で足元をかき分けながら250mをゆっくり歩く。ゆっくりとしか、歩けなかった。表の通りに出るまで、丁度見かけたご近所さんに声をかける。「大丈夫ですか、お湯とかちゃんと出てますか」お互いに予想を越える光景に苦笑いを浮かべたりして、商店でカレールーやチョコレートを買い込み2人でこたつに半日以上を過ごして話したり黙ったり思い思いの時間を過ごした(とはいえリモートで割と仕事してしまうダメな自分であった)

昨年の同時期よりも明らかに多い積雪
徒歩40秒の布勢神社では狛犬のこごえるような白さ
朝起きて一番に確認した畑、わたしの野菜たち時すでに遅し(ちょっと泣いた)
黒川温泉での生活を思い出させるような雪景色に満足 出勤は潔く諦めた


とめどなく降る雪を見ながら、きたる春に思いを馳せる。

出会いと別れを象徴する季節、春。
この島にいると年中そんな具合なので、自分のなかでは季語に当てはまらなくなってきた。

荒ぶる冬の日本海の形相に関係なくこの島では相変わらず人の流れが活発なのだけれど、その「流れ」の意味合いは少しずつ変化している実感がある。

より一層ひとりひとりの意志や未来を思い描くことへの伴走であったり、心の奥に着火するような数多の出会いが、受け入れる側(わたしたち)と来島する側(インターンや島留学生に限らずゲストも含む人々)の双方に良い作用をもたらしている場面に度々出くわす。

その場その時限りで終わらない
遠く離れてもどこか互いに想い合い
またあの人に逢いたいと願えるような
またこの島に帰ってみようかなと自然に温かさが湧き出るような
そんな交流がたった1人とでも今年は自分でもつくっていけたらいいな。

目の前のひとを想うって
それぐらい純朴でいいと思っている。

冬のEntôジオラウンジからみる内海 窓越しにうっすら雪が舞う
大切なひとを想った結果気の早すぎる出産祝を準備してしまうわたし。着れるのは数年後。
久しぶりの方々と日本酒をかこみ互いを褒め称え近況報告する真夜中

観光ってなんなのか、改めて自分に問う今日この頃。いやここ数年。

きっと答えなど見つからないけれど、ひとを想うことがなによりも根源な気がする。
どんな高度な技術がこの先絶えず生まれようとも、人間の多様な複雑さでしか成し得ないことがひときわ観光の世界には割合多いと思う。

奉仕や享受だけでは成り立たない「想い」で成立する場面がたくさんあり、そのやりとりでこの業界が永く続いている側面も少なからずあるんじゃなかろうか。などと、業界全体でみればまだまだひよっ子レベルのわたしは考えてしまう。

でもこれでいいとおもう。

千差万別の在り方が寄り集まっていくつもの集合体(ツアー会社やホテルや旅館)になり、相性の良い場所をもとめて人が移動し出会い、ときには自分で新たな居場所をつくっていくことの繰り返しだ。

まだまだわたしは、そのなかで生きたい。

早朝出勤した2/5 車から降りると向こうに月の神秘と出会う


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