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#20 学校組織の「余力」を考える~長谷川英祐『働かないアリに意義がある』より~|学校づくりのスパイス

 イソップ童話を持ち出すまでもなく、アリにはいつもせわしなく動いているイメージがありますが、実際には働きアリの7割は休んでいて1割は一生働かないといいます。

 このことを知っている人もいるかとは思いますが、では、「いったい何のためにそのようになっているのか」と問われてきちんと答えられる人は少ないのではないでしょうか?

 この謎に迫っているのが進化生物学者である長谷川英祐氏による本書、『働かないアリに意義がある』(山と溪谷社、2021年)です。今回は本書を手がかりに学校組織の「余力」について考えてみたいと思います。

なぜ働かないアリがいるのか?

 働きアリの約7割は普段は休んでいると本書の中では述べられていますが、それは、何かの拍子にたまたまそうなってしまったわけでも、またもちろん怠けたいからでもありません。

 アリのコロニーには「反応閾値」(どのくらいの刺激を受けると動き出すかという程度)が異なる個体が存在しているそうです。つまり遺伝的にそのようにプログラムされているのですが、ではなぜ反応の個体差が生じるように進化を遂げたのか、という問いが本書のメインテーマです。あえて個体差を生み出すように進化したということは、そのことが生き残りのために有利になる理由があるはずだ、というわけです。

 長谷川氏は人工生命をプログラムしたコンピュータのシミュレーションを併用してこの謎に迫り、次のような結論に至ります。

 「働いていたものが疲労して働けなくなると、仕事が処理されずに残るため労働刺激が大きくなり、いままで『働けなかった』個体がいるコロニー、つまり反応閾値が異なるシステムがある場合は、それらが働きだします。それらが疲れてくると、今度は休息していた個体が回復して動きだします。こうして、いつも誰かが働き続け、コロニーのなかの労働力がゼロになることがありません。(中略)卵の世話などのように、短い時間であっても中断するとコロニーに致命的なダメージを与える仕事が存在する以上、誰も働けなくなる時間が生じると、コロニーは長期間は存続できなくなってしまうのです」(77~78頁)。

 このメカニズムから導かれるのは、生命や組織体における「余力」というものの意味です。
 「高度な判断能力をもたず、刺激に対して単純な反応をすることしかできないムシたちが、刻々と変わる状況に対応して組織を動かすためには、様々な状況に対応可能な一種の『余力』が必要になります。その余力として存在するのが働かない働きアリだといえるでしょう」(79頁)。

 つまり働かないアリは「怠けている」のではなく、生命体が環境変化に対抗できるようにコロニーの余力を残すためにいるのであり、そうした余力を持たない組織は環境変化に対応できなくなる……このことは人間の組織についても基本的に同じではないでしょうか?

働かないアリ

長谷川英祐『働かないアリに意義がある』山と溪谷社

「組織内多様性」という余力

 「組織が環境変動に対応するためには余力が必要」……こんなふうに言うと、学校現場からはこんな言葉が返ってきそうです。

 「そりゃ自分だってそう思う。だけど今の学校のいったいどこにそんな余力があるというのか。仕事は増えているのに教員数は増えない。おまけに働き方改革で残業もできなくなっている。学校の現状をちゃんと見てからものを言ってくれ!」と……。

 全く同感です。社会の変化に対応した創造的な教育を実施するためには、現在の教員配置では不十分であると筆者も心から思います。けれども、本書から得られる教訓には「無理」のひと言で切り捨ててしまうには惜しいものが含まれています。

 働かないアリが存在する理由は、彼らが怠けたいからではなく、環境変動に多機能的に対応するための、いわば「遊軍」として機能するという点にありました。ということは、環境変化が生じた際の対応コストを下げることができれば、「遊軍」に近似した効果が得られる可能性が期待できる、ということにはならないでしょうか。

 実はそれは組織内の多様性を高めれば、可能になるはずです。

 この本でも、型どおりの反応をしない個体のいるコロニーの方が、全個体が型どおりの反応をするコロニーより長く存続するという研究結果が紹介されています(46頁)が、幸いにして、ヒトの組織ではアリよりもずっと柔軟にこのことを実現することが可能です。

 たとえば、地域に住む人々や企業との連携に強みをもつ教員が教育委員会管内に一定数いれば、学校運営協議会の設置がなされた際に、そのメリットとリスクを嗅ぎ分けて、すばやく効果的に対応することができるはずです。一方で教員の専門性が類似していればしているほど、定型業務に対応する効率は上がっても、こうした環境変化が生じた場合には一から勉強して対応しなければならず、変化への耐性は落ちるはずです。

 さて、この「組織内多様性」という点からすると心配になるのは、現在多くの自治体で進められている教員育成指標の内容と活用のあり方です。多くの自治体の教員育成指標では教員のキャリアを3~4段階に区分して期待される教員像を示し、それに向けて研修体系を整備するかたちで進められています。

 もちろん、これらの指標自体は大綱的なものであり個人の個性や持ち味を否定するものでないことは、どの自治体でも了解されています。けれども理想とする教員像を掲げてそれに向けた研修体系を組めば、どうしても一律に成長の道筋が決められていて、それをまっすぐに進むことが期待されているかのようなメッセージを、図らずも多くの教員に対して与えることになってしまうのではないでしょうか?

 未来の教員の成長シナリオをどのように描くのか、自治体の創意工夫が問われるところではないでしょうか?

【Tips】
▼わかりやすいコミックエッセイ版もあるようです。
https://www.comic-essay.com/episode/105

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。


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