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#32「転移」のヒントここにあり!~ 増田奏『住まいの解剖図鑑 心地よい住宅を設計する仕組み』より~|学校づくりのスパイス

 今回取り上げるのは建築家の増田奏氏の著書『住まいの解剖図鑑――心地よい住宅を設計する仕組み』(エクスナレッジ、2009年)です。この本は住宅設計という読者対象の限られたテーマを扱いながら、2009年に初版が刊行されて以来、現在までに23刷を重ねています。イラストを多用して「なるほど!」とうなずきながら、普通の家を新たな目線で見ることができるように読者を誘う工夫が、随所に凝らされているのが本書の魅力です。

 そしてここには、学校教育の難題にアプローチするヒントが隠されているのではないか、と筆者は考えています。

 増田奏『住まいの解剖図鑑――心地よい住宅を設計する仕組み』エクスナレッジ

「転移」という難問

 現在の教育学者たちを悩ませる最大の難問の一つが「転移」です。「転移」といっても癌のことではありません。「転移」とは、認知科学では、ある状況で獲得した知識や技能が後の状況での問題解決や学習につながる現象のことです。

 学習指導要領の「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」という問いも、キャリア教育での「基礎的・汎用的能力」の強調も、創造的な思考力を問う大学入試改革も、その背景はすべてこの転移の困難さにあります。

 児童・生徒が教室の中で学んだことを、教室外でも活用し発展させていけるようになるための方法やそのメカニズムが十分に解明されているならば、これらの課題をことさらに強調せずとも、それをカリキュラムのコンテンツのなかに落とし込んでしまえばいいのです。モデルカリキュラムを示して、それに準じて教えさえすれば児童・生徒は汎用的な能力を着実に高めていける、というように……。

 各学校でのカリキュラムのマネジメントが強調されるのは、少なくとも現時点ではどのように転移が起こるかが分からず、教育関係者が課題を共有したうえで、教育実践のなかで児童・生徒の発達と対話しながら追求し続けるしかないからにほかなりません。

 けれどもこの問題にアプローチするヒントはあります。学習の転移という働きは、何もないところから自然発生的に生じるわけではありません。転移の起こる背景には、あるところで学習した知的判断のパターンを、他の場面で活用するというアナロジー(類推)の働きが存在しているはずだからです。

 認知心理学者の今井むつみ氏は次のように述べています。「表面的な類似性をそぎ落としたエッセンスやシステムの骨格だけを取ってきて、それをもとに考えるのが、科学の発見やクリエイティビティにつながるようなアナロジーですが、それは子どもにはなかなかできません。どれだけエッセンスを見抜いて、抽象的なレベルでドメインを探せるかが大事です」(井庭崇編『クリエイティブ・ラーニング』慶應義塾大学出版会、2019年、446頁)。

 では、こうしたアナロジーを駆使できる力をどう高めたらよいのでしょうか?

透かして見えるアナロジー

 この本には、有名建築家の作品や先鋭的な複雑な設備の類はほとんど出てきません。本書で紹介されているのは、どこにでもある普通の家の造りです。けれどもそんな普通の家の形について、私たちはほとんど考えたことがないのではないでしょうか。

 たとえば住宅の構造についてです。建築は素人の筆者でも、鉄を使った建築工法には鉄筋とコンクリートで壁をつくる(校舎によく使われる)鉄筋コンクリート造と鉄の骨組みに壁をつける(体育館などに使われる)鉄骨造があること、木を使った工法にも日本の在来建築に多く見られる柱中心の軸組工法と、木材で壁のパネルをつくって組み合わせる2×4工法があることくらいは知っています。本書ではそうした建物の構造が、図のように家や生物の骨格になぞらえて図解されています。

引用元:『住まいの解剖図鑑――心地よい住宅を設計する仕組み』119頁
引用元:『住まいの解剖図鑑――心地よい住宅を設計する仕組み』120頁

 脊椎動物と日本家屋は見た目にはどこも似ていません。けれどもこの二つの事物について「構造体が重力や動き(振動)に耐える仕組みをどのように構築するか」、という視点から見ると、両者には共通した仕組みを見てとることができます。

 そして動物の身体もその骨組みの仕組みによって、外見や身体の動き方や丈夫さ、成長の仕組みに違いが生まれるように、建物もその躯体の仕組みによって、外観や機能上の得手と不得手とが生じてくるということを説明します。

 このほかにも増田氏は住宅設計を「弁当づくり」になぞらえて、窓の上につける庇の形は「帽子のつば」になぞらえてユニークな解説が加えられています。このように本書に貫かれているのは、一見素人には見えにくい住宅建築のエッセンスを、私たちの身の回り(身の中?)の事物とのアナロジーでとらえ、それを設計の理解に活用していこうとする視点です。

 この「透かして見えるアナロジー」を追求していく力こそ、先の今井氏の指摘にも示唆されるように学習の「転移」に不可欠な要素なのではないかと筆者は考えています。

 本書が伝えているのは、そうしたアナロジーをつくり出していく力を高めるヒントが、実は私たちの生活のごく近いところに存在しているというメッセージなのではないでしょうか。

 帯に記された「現在の住宅をかたちづくるありふれたモノやカタチには『ありふれるワケ』があるのです」という言葉にはこのメッセージが端的に表現されているように思います。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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