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#10「エビデンス」の功罪~ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』より~|学校づくりのスパイス

 今回は2016年の発売以来大ベストセラーとなり、ビジネス書大賞にも選ばれたユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』(河出書房新社、2016年)を取り上げます。上下巻併せて600ページ近い大著ですが、今回はとくにこの本の鍵概念である「フィクション」にヒントを得て教育におけるエビデンスについて考えてみようと思います。

ヒトを人たらしめるのは「フィクション」の力

 本書はその書名のとおり人類の歴史を俯瞰して描いたものですが、その前半はホモ・サピエンスによる人類の統一劇のシナリオが洞察されています。ホモ・サピエンスが誕生した約20万年前には多種の人類が存在していたことが知られていますが、今日現存しているのはホモ・サピエンスだけです。他の人類が消えたのは、7万年前から起こった「認知革命」によってホモ・サピエンスが個体同士で協力する手立てを得て、他の人類を駆逐したためであるとして、次のような象徴的な説明がされています。

 「私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、全く存在しないものについての情報を伝達する能力だ。見たことも、触れたことも、臭いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ。伝説や神話、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも『気をつけろ!ライオンだ!』と言える動物や人類種は数多くいた。だがホモ・サピエンスは認知革命のおかげで『ライオンは我が部族の守護霊だ』と言う能力を獲得した。虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている」(上巻39頁)。
 
 邦訳ではインパクトを求めたためか「虚構」という訳語が充てられていますが、原語は“fiction”――創作されたストーリーです。フィクションによって多数の人々が協力し合う認知革命が、現在の人類文化の基礎を形成したというのです。
 
 そしてこの認知できないものについて語る力が、科学革命を扱う下巻ではさらに進化したかたちで再登場します。「近代科学は、最も重要な疑問に関して集団的無知を公に認めるという点で、無類の知識の伝統だ」(下巻61頁)とされ、無知の集団的自覚こそが科学の原動力となったというのです。

 さらにヨーロッパ帝国主義もこれと類似した構造を持っていたことも指摘されています。「植物を求める植物学者と、植民地を求める海軍士官が似たような考え方を持っていたということだ。科学者も征服者も無知を認めるところから出発した。(中略)両者とも外に出て行って新たな発見をせずにはいられなかった」(下巻100頁)。

サピエンス全史

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福』河出書房新社

「エビデンス」の功罪

 目に見えないものを想像し、そのなかに物語を紡ぐことがホモ・サピエンスに特徴的な能力であり、それによって多くの人々がつながり、人類の歴史がつくられてきました。

 この「物語を紡ぐ力」という視点から現在の学校現場のあり方を見ると心配なことがあります。教育に関して数値的根拠(エビデンス)を集めようとするのは良いのですが、授業研究・生徒指導から校長のリーダーシップにいたるまでエビデンスの示せないものについては語ることが憚(はばか)られるような空気が教育界に蔓延しつつあることです。筆者はこれを「エビデンスかぶれ」と呼んでいます。

 もちろん科学的な探究にとってエビデンスは重要です。教育学者の仕事の過半はエビデンスを精査し、新たなエビデンスに基づいて理論を構築していくことであるといってもよいかもしれません。けれども、それでも教育というきわめて複雑な営みについて、数値的証拠をもってその手立てを示せることはごく一部にすぎません。

 科学的な知見に学び、必要に応じて活用していくことは重要ですが、検証されていないことは存在しないかのように扱う態度は、科学的探究の姿勢とは真逆のものです。

 2018年には学力調査結果の低迷を受け、正答率に数値目標を設けたうえで、その達成度合いによって校長・教員の評価やボーナス、学校予算の増減に反映させるとする大阪市長の発言が物議を醸しましたが、これなど「エビデンスかぶれ」の最たるものです。

 児童・生徒の総合的な成長を念頭に置いて展開される教育活動に対し、数値化されやすい一部の結果だけが評価されるとなれば、教員たちはその部分にだけ力を集中させるようになり一定の結果は得られるかもしれません。しかしそれと引き替えに、数値化されにくいさまざまな成長の諸側面への配慮が手薄になることは想像に難(かた)くありません。

 そしてその部分(例えば不登校や教育相談、特別支援教育等)には、結果的に別途社会的資源を投入する必要が生じるので、かえって公教育が「非効率」になることも考えられます。大阪市で対策を強化してもなお、全国学力調査の結果が低迷し続けてきたのは、前市長から続くかたちばかりを求める一連の政策により、すでにそうした負のスパイラルに陥ってきた結果なのかもしれないのです。

ストーリーを紡ぎ出す力

 むしろ今後の社会では、人類の原点に立ち返って、混沌のなかに自らストーリーを紡ぎ出していく想像力の開発こそが重要なのではないでしょうか。

 考えてもみてください。エビデンスを確立できるようなものはマニュアル化されやすく、マニュアル化できるものは容易に人工知能に置き換わります。ですから未来社会の労働のニーズはマニュアル化されない領域により重点化されていくはずです。とすれば、教育の手段や成否をもっぱらエビデンスに頼ることは、教育の自殺行為につながらないともかぎりません。

 歴史を学ぶことは未来を学ぶことです。『サピエンス全史』の後にユヴァル氏が著した『ホモ・デウス』はAIをはじめとする科学技術の進展と人類の近未来を描いた大著として現在大きな波紋を呼んでいます。人の認知や人工知能の問題については本連載でも取り上げてみたいと思います(オンライン版では2022年3月頃配信される予定です)。

【Tips】
▼ハラリ氏についてはコロナ禍に対する対応もメッセージも大きな話題を呼びました。
https://web.kawade.co.jp/bungei/3455/

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。


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