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#61「あやしさ」の危機~東畑開人『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』より~|学校づくりのスパイス

 OpenAI社の開発したAI、ChatGPTが世間の話題をさらっています。報道ではとかく人間のスキルがAIに取って代わられる、という点ばかりが話題になっていますが、筆者はそれとは別の「心の居場所」という課題があるのではないかと思っています。AIの知とは一見真逆の、魔術的な世界の記録からこの問題を掘り下げてみたいと思います。

 今回取り上げるのは臨床心理士である東畑開人氏の『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』(誠信書房、2015年)です。この本は沖縄をフィールドに近代医学の外側で活動している心の治療者たちを「野の医者」と呼び、彼らの治療を受けて回った記録を綴ったもので、さながら「あやしいセラピー潜入記」といった内容に仕上がっています。

東畑開人『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』誠信書房

物語を紡ぐ人々

 東畑氏はふとした思いつきから、研究助成を得て沖縄のヒーラー(野の医者)の治療を受けつつ取材をして回ることになります。氏が彼らを取材してまず発見したのは「野の医者」は非常に饒舌であるということです。

 「彼らは見事に治癒した過去の事例のことを細かに語り、数々のミラクルを熱心に語った。(中略)何より多く語られるのは自分自身のストーリーだ。それは傷ついた治療者の物語である」(99頁)。

 氏は彼らのパフォーマンスにも注目します。「野の医者はタロットを見事な手さばきで操り、パワーストーンを精妙な儀式で浄化し、先ほど見たように生レバーのような血の塊を私に見せつける。野の医者はストーリーテラーであり、パフォーマーなのだ」(100頁)。

 ではそうした治療が実際に優れた治癒力を発揮したのかというと、そちらのほうはどうも大したことはなさそうです。氏は「野の医者の治療は、こう言っては何だが、子供だましのようなものが少なくなかったし、治療者もフツーの人が多かった。カルチャースクールの延長線上で野の医者をやっている。そういう人も多かった」と述べ、次のように疑問を投げかけます。「なぜ、こんな稚拙な治療に人はハマるのだろうか」(109頁)。

 こうしたセラピーが成立しているのは、セラピーを提供する人がいて、それを求める人がいるからにほかなりません。ではどのように野の医者の経済は循環しているのか。

 氏によれば「野の医者」の多くは経済的に恵まれてはおらず、昼間はセラピーに精を出しつつ、夜は飲み屋などでパートをして生計を立てている(133頁)そうなのです。「野の医者はいまだ病んでいて癒やしを求めている(中略)実際に野の医者にお金を払うクライエントのほとんどが野の医者なのであり、野の医者を取材すれば、その患者を取材したことになる」(135頁)と述べられています。

 ともに心に傷を抱えた人々がヒーラーとクライエントという関係を構築し、たとえそれが科学の目からは滑稽に映るものではあっても、癒やしの物語を共有して支え合っている……それが氏の目にした「野の医者」たちの姿でした。

窒息する物語

 さて昨今話題のジェネレーティブAI、筆者も使ってみましたが、ChatGPT-4は今までのチャットボットに比べて会話のやりとりが圧倒的になめらかです。現時点ではまだ正確さに欠ける点もありますが、長いテキストを要約したり、言い回しを変化させたりする機能は秀逸です。

 この技術革新によってAIが人間知能を凌駕したとは現在のところ筆者には思えませんが、大学生がこれを使ってレポートを作成したとしても単純な課題であれば見分けることはむずかしいでしょう。今後AIがさらなる進化を遂げれば、従来のホワイトカラーの仕事はすごいスピードでAIに置き換えられていくという予測も的外れではないと思います。

 けれども間接的にではあっても、より深刻な影響を及ぼす可能性があるのが、むしろ人の心の問題だと筆者は考えています。AIの特徴は「同じ入力をすれば同じ回答が返ってくる」ということです。だからわれわれの知的判断をAIに依存するほどに、私たちの思考は標準化された回路に回収されていきます

 一方で人間を含む生命の知の構造はそれとは異なっています。この連載でも過去に何度か扱ったことがありますが、生命体の知の特徴はもっとゆらぎのある……当初の意図や目的を外れて思考の対象や方法が広がっていくところにあります。

 とりわけ人間の場合には、これを高度にストーリー化してそこに「意味」を見出します。これまで数多の神話や宗教が、この人が生きるための物語を紡ぐ役割を果たしてきました。それらによって戦争も起こりましたが、科学や文明もまた発達してきました。

東畑氏は「臨床心理学も宗教とかそういったものの末裔であり、怪しい本性を隠しているのではないか」(141頁)と疑念を語ります。そして「心の治療とはクライエントをそれぞれの治療法の価値感へと巻き込んでいく営みである」(268頁)と本書を結論づけています。

 私たちは、人間存在のかなり核心的な部分が非合理的なストーリー……「あやしさ」によって成り立っているということを忘れがちです。たとえば、子どもであれ、パートナーであれ、自分自身であれ、誰かを特別だと思う気持ちは非合理的な物語の上に成り立っています。同じようなスペックの人はきっとほかにも存在するからです。

 ちなみにAIが出すのは優等生のような回答ばかりでブレることができません。だからAI的な判断に依存を強めると、人は「あやしさ」を失い、合理的でないものを信じることがむずかしくなっていくのではないかと筆者は危惧します。「野の医者」の危機は私たちの危機です。

 ちなみにChatGPTに「日本の教員向けの月刊誌に掲載する、絶対に受けるジョークを教えてください」という質問をしてみたら次の回答が返ってきました。

 「なぜ先生が机の上に載っている本を読んでいるのか知っていますか?」
 「いや、なんでですか?」
 「だって、机の下にある本を読むと首が痛くなるからですよ!」

【Tips】
▼下の動画で東畑氏は、シャーマニズムとの関係について語っています。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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