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#48「自分の正義」を疑う思考法~うめざわしゅん『ダーウィン事変』より~|学校づくりのスパイス

 今回はうめざわしゅん氏の『ダーウィン事変』(講談社、2020年~)というコミックスを手がかりに、私たちの抱く「正義」の感覚について考えてみようと思います。

 物語の舞台はアメリカ、主人公は人間とチンパンジーの間に生まれた交雑種「ヒューマンジー」のチャーリーです。筆者は過去にアメリカの大学で研究員をしていたことがありますが、この作品では、アメリカの多様な社会背景や思想の交錯が非常にリアルに表現されています。

身勝手な「ヒト」

 チャーリーは天才的に知能が高い実験用のチンパンジーの母親と、そこに勤務していた研究者の遺伝子を引き継いで誕生します。母親のチンパンジーは人並み以上に頭がよく、動物実験に反対する過激団体、動物解放同盟(ALA)によって妊娠中に助け出されるところから物語はスタートします。その後ヴィーガン(動物食をはじめ動物への残虐行為を可能な限り抑制しようとする思想)の養父母に育てられ、養父母の「チャーリーに普通の生活をさせてあげたい」という希望に沿って高校に入学します。

 生徒たちは当初は距離を取りつつ物珍しそうにチャーリーに接しますが、木から落ちそうになったところを持ち前の運動神経でチャーリーが助けたのをきっかけに、ルーシーという友だちもできます。

 そんなある日、チャーリーがヴィーガンの習慣を持つことを知ったある生徒が、次のようにチャーリーに議論をけしかけます。

 「致死的な病原菌を持ったネズミがお前に噛みつこうと向かってきたらどうする? そのネズミを止めるには――手に持った銃でそのあわれな小動物を撃ち殺すしかない! さあそんな時はどうすりゃいい? ネズミの命だって平等だ!」(45頁)。

 チャーリーは答えます。「ボクなら――ネズミを撃ち殺すと思うな」「そうしないとボクが死んじゃうから」(46頁)。

 チャーリーに議論をけしかけた生徒は勝ち誇ったように言います。「ほらな聞いたろ? ヴィーガンだなんだ言ったってこんなもんさ!」「動物はみんな生きるためには残酷になる! 弱肉強食ってやつさ」(47頁)。

 するとチャーリーはポツリと付け加えます。「病原菌に感染してるのがたとえ君でも撃ち殺すけど…」(48頁)。

 チャーリーの洞察は人間に特有の時間感覚にも向けられます。ヒトに特有の不安感情の存在を学んだチャーリーは、チャーリーを拉致しようとして家を襲撃してきたALAのアジトに自ら出かけていき、組織のリーダーに次のように語りかけます。

 「ヒトが抱く不安とか恐怖心とか鬱(デプレッション)のような心理的(サイコロジカル)な痛みって思ってたよりずっと深刻さや緊急度が高いんじゃないかって」「どう思う?」(172頁)。

 リーダーは「その通り! 素晴らしい洞察だね!」「実際それは肉体的苦痛よりもしばしば残忍となる」(173頁)と応じます。

 するとそれを聞いたチャーリーはリーダーに対して次のように話しかけます。「母さんと父さんとルーシーを襲った君たちはいまこの時も危害を加えているのと同じってことだよね?」(173頁)「だからいまから警察に行って捕まってくれる?」(174頁)。

うめざわしゅん『ダーウィン事変』講談社

共感できない相手とどう折り合う?

 この原稿を執筆している現在、世界の注目を集めているロシアのウクライナ侵攻は現在の世界秩序が薄氷の上に成り立っているにすぎないことを露呈しました。この国家行為に対しては筆者を含めて多くの日本人が強い憤りを感じているはずです。けれどもその感情が生まれたのは、メディア情報をもとに、自分なりに善悪を判断したからで、得られる情報や自分の立ち位置が変わったときには、判断も変わるかもしれません。

 こうしたことは頭では分かっているつもりでも、自分が正しいと思っていることを実際に疑ってみることはそれほど簡単ではありません。もちろん社会を複眼的に見る必要性はあちこちで主張されていますし、ジレンマ教材を使ったり、ディベートなどの思考実験を授業のなかで取り入れたりする学校も珍しくありません。

 筆者もこれらの試みを大学でしばしばやってみていますが、自身の経験から感じているのは、議論がとかく言葉の応酬になってしまいがちで、問題を「自分ごと」としてとらえて話し合えるようになるまでには、相当の工夫と練習とが必要となるということです。

 この作品のおもしろさは、「ヒューマンジー」という、普通の人間からはちょっとはずれた視点を導入してみることで、私たちが日常的に物事を判断する際に活用している思考回路には思い込みや矛盾がある、ということをストーリー全体で表現しているところです。

 現代は「共感受難の時代」であると筆者は考えています。SNSをはじめとするサイバースペースでは、膨大な情報のなかからユーザー好みの情報が自動的に選択されて提供された結果、類似した思考や感性のネットワークがより強化され、自分と異なる感覚をもつ相手と交流する機会はかえって少なくなっている可能性は否定できません。

 それではリアルの方はというと、こちらもマスク生活が続き、結果的に人の感情が表情から読みとりにくくなっています。

 では、「共感」によって人々の間に善悪の輪郭を与えることがむずかしくなっている現代の世界に必要な態度とは、一体どのようなものなのでしょうか?……それは他人のことを自分は理解できないということを前提に、それでも異なる相手との交流を求め、相手の考えを推しはかりつつ、結論が出ずとも対話を続けようとする姿勢なのではないかと筆者は考えます。

 この本のなかで筆者の心に一番強く残っているのは、チャーリーが友だちのルーシーに投げかけた質問「人間(ヒューマン)なのってどんな感じ?」(40頁)という言葉です。筆者も自分とは感覚が違うな、と感じた人に対して「この人はどんな感じで生きているのだろう」と考えてみることがしばしばあります。

 善悪の入り乱れるこの時代だからこそ、一人ひとりがこうした問いを発することで「自分の正義」を疑ってみる思考法を発達させておくことが大切なのではないでしょうか。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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