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逢いたい人に逢いに行くこと

京都で旅案内をしている私、終い弘法に京都にいないこととお世話になった方に逢いに行くこと、天秤に掛けられるものではないのだ。

それは二者択一でしかないのか。
もちろん、身体はひとつしかない。

それでも世の中、よくできているものだ。

10月に拙著「京都癒しの旅」出版記念お話会を沖縄で開催させていただいた。
4月に旅に初参加してくださった沖縄のお客様が、5月にもリピートくださり、10月のお話会にお力を貸してくださることになり、会場手配から呼びかけまで奔走いただいた。

翌日は沖縄の良いところをご友人方も一緒に案内くださり、夢のような時間を過ごした。
そして、翌日、帰る前に首里城へ行きませんか?とお声掛けくださった。
なのに私は彼女とゆっくり話し過ごす時間が楽しくて、首里城は次回にして、今を楽しみたいとそちらを選んだ。

それから数日後、彼女から首里城が焼けていると、まさにその時の写真が送られてきたのだ。

無理にでもあの時にお連れしたら良かったと。

その時の選択に悔いはないが、彼女が首里城の火災に胸を痛めている、私には想像もできないほどの想いがあるのだと。

それでどうしても、年内に再会したかったのだ。
終い弘法も気になるが、この日程以外ないと思い、沖縄行きを決めた。

不思議なことがあるものだ。
私が京都にいない間にある終い弘法、案内人なしで行きたいが、行程などを相談したいという方が現われた。

というわけで、京都にはいなかったが、間接的に終い弘法は案内することがでした。

沖縄は雨予報にもかかわらず、空港を降りたら、青空が広がっていた。
冬至の朝日も拝め、彼女との再会でまた心の交流がはかれた。

今は良き時代、同時にふたつのことが叶うのだ。
想像力が豊かになれば、無理と思えることができる時代だ。

逢いたい人がいるなら、迷わずに逢いに行こう!

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