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フリーランスを決心してまず悩んだこと

こんにちは。心に火を燈す経営パートナー、共燈コーチルタントです。

以前に自分の名称の「コーチルタント」に至った経緯を書きました。
今回は「共燈」の語源について書いてみたいと思います。

想いが先

会計事務所で勤務していた時から、
月次決算書の説明や税金のシミュレーションも大切だけど、
お客様の事業や従業員や経営に対する思いを、もっと引き出したいと思っていました。
どの経営者(個人事業主含む)も、すばらしい考えや思いをもっておられます。
これを引き出し言語化して伝えることができれば、もっと会社は良くなると感じていました。

コーチングを学びながらさらにその想いが強くなって、
ごちゃごちゃいつまで考えていても何も始まらないから、
とにかく行動しよう
」と思って、えいっとフリーランスになりました。

コンサルに珍しいタイプですが、ある意味見切り発車・・・

想いが先行していました。
人によって何が原動力になるかは違うと思いますが
自分は思いが先の人なんだな、と改めて思います。

何をよりどころに?

さて、フリーランスになったはいいけど、
まず屋号を決めなければなりません。
自分の想い・理念を表す言葉にしたい。

大いに悩みました。
コンサルタントもコーチングも、自分で何かを創造するわけではありません。
相手の価値を最大限引き出し、成果につなげるよう伴走するのが役目です。

それは、何のために?

自分で価値を生み出すことはできない。
当然自分は偉くもないし、経営のプロでもない。
自分の存在意義は?
決して順風満帆ではなかった仕事人生でした。
仕事人生2〇年にして、何が自分のよりどころなのか悩みました。

一燈照隅 万燈照国

会計コンサルタント時代から、会計や人間学をたくさん学んでいます。
昔書いていたセミナーノートを眺めていたら、
この言葉が目に留まりました。

一燈照隅 万燈照国」

暗闇の中で一隅を照らす人になりましょう
1人1人の志に火をつけていきましょう
一燈が万人集まれば、万燈となって国を明るく照らすでしょう
という意味合いです。

この言葉を初めて恩師のセミナーで聴いたとき、
なぜか涙があふれてきたのを思い出しました。

そうだ、
自分は小さくても心に火を燈す人にならなくては。
自分の周りのお客様や仲間の心にも火を燈せる人になりたい。
そのつながりが社会全体を明るくするはずだ。

そんな使命感に燃えたのでした。

今思うと、
躓きまくって悔しくて悩み続けた仕事人生だったからこそ
この言葉が刺さったのかもしれない。

多くの経営者の方から学ばせていただいたのは、
結局のところ「良い仕事」は、
スキルでも知識でも学歴でもなくて、
自分の心に火が燈っているかどうか、なのです。

ちなみに、これは安岡正篤氏の言葉です。
安岡正篤氏は「平成」の年号の考案者でもあります。

安岡正篤

プロフィール
安岡 正篤 やすおか まさひろ
明治31年大阪市生まれ
大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業
昭和2年(財)金鶏学院、6年日本農士学校を設立、東洋思想の研究と後進の育成に努める。

戦後、24年師友会を設立、政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱となる。中でも、昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。その教えは人物学を中心として、今日なお日本の進むべき方向を示している。58年12月逝去。

致知出版社より

共に心に火を燈し、社会を明るくする

自分一人でやろうとしても、
小さな火のままなかなか大きくなりませんが、
共感する仲間やお客様がいてくれたら、
一つ一つの火が集まり大きな火となって
周りを明るくしていけますよね。

そんな思いを込めて、屋号を「共燈」にしました。

自分の屋号を見るたびに、「自分の心に火が燈っているか?」
と確認しています。

まだまだ自分はひよっこですが
志を同じくする仲間が増えるといいなあと思っています。

ちょっと熱くなってきました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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