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夏日

中学最後の夏、夏休み目前のとある一日。

「匂いは記憶に残りやすい」

二時間目も終わりに近づいた頃だ。一番うしろの窓際で頬杖をついている時、ふと頭に浮かんできたその言葉をどこで知ったのだろうと思い机に伏せてひとしきり考えを巡らせてみるも、答えはすっかり記憶の引き出しの奥へ押し込まれていてわからずじまいだった。教室は一時間目の時点で窓を閉めて空調を効かせているのでひんやりとした机とたまにくる冷たい風が心地よく、大嫌いな数学で頭にキンキン響く数式の説明でさえほとんどラジオを聴いているような気分にしてくれる。しばらくすると机の冷たい所が無くなってしまったので仕方なくよいしょ、と体を起こす。嫌な数学をするくらいなら外を眺めてやろうと思いカーテンの隙間にちらりと目をやると、夏の太陽がジリジリとグラウンドを焼いて、照り返しでビスケット色のグラウンドは真っ白に輝き、ゆらゆらと陽炎を立たせていた。その上にはコバルトブルーの透き通った空にムクムクと天井に届きそうなくらい入道雲が背伸びしており、夏らしいな、なんてしみじみと感じていた。ほどなくしてチャイムがなり、堰を切ったように教室がどっとザワつきだす。そっとザワつきに耳を傾けて、フードバイキングで食材を選り好みするように、飛び交う言葉の中から言葉を見つけて繋げていると次の授業は中学生活最後の水泳の授業になるということがわかった。中学三年になるとなんでもかんでも最後なんだな、なんて当たり前のことを考えながら、いそいそと水着やタオルの入った袋を持って更衣室へ向かった。

中学生活最後の水泳の授業が終わり、教室には疲れた、楽しかったね、あれが人生最後の地獄のシャワーか、と皆が最後の水泳の授業に別れを惜しんでいると、十分の休み時間はあっという間に流れていった。次の国語の授業が始まる前、さ、窓を開けようか。クーラーだと風邪をひいちゃうからね。と先生が言うので皆うだうだ言いながら窓を開ける。小洒落たオパール色の丸メガネをかけて白髪混じりの長い髪を後ろでまとめた50〜60歳くらいだろうかという風貌の先生はちょっと古風な先生だが、私の好きな先生だ。

授業が始まるとさっきまで元気いっぱいだった教室は静まり、開いた窓の外からはシャワシャワと蝉の鳴き声が暑苦しいほど聞こえてくる。そんなことお構いなしと言わんばかりにクラスの大半は机に突っ伏して眠っていて、窓から差し込む太陽の光が、まだ乾ききっていない女子たちの髪を光らせていた。開いた窓から夏の風を待っていると、それは割とすぐに訪れてくれた。入ってくるぬるい風は、旧校舎の古い木の匂いと少しの塩素の匂い乗せて教室を巡る。次第にうとうとしてきて机に伏せると、こんどは眼前いっぱいに教科書のインクの匂いが広がっていた。

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