【元教師】オキテ破りの「通知表舞台裏」を公開!成績表の真実
皆さん、日々のお仕事、お疲れ様です!
初めましての方は、記事を開いてくださりありがとうございます。
いつも見ていただいている方、励みにさせてもらっています!
共育LIBRARYというブログを運営しているりょーやん、元教師です。
「子どもの通知表の結果をつい気にしてしまう・・・」
「叱るのはよくないって分かってるんだけど・・・」
「もらったけれど、次に何をすればよいかが結局分からない。」
通知表を受け取った保護者が様々口にしていたことです。きっと読者の方々の中にも同じ思いを抱いている人がいるのではないかと思います。
通知表は、あくまで学校という枠組みの中で測られる力です。そして、「通知表の評価=将来の幸福度」ではありません。
通知表の評価を気にし過ぎていたら、保護者も子どもも潰れてしまいますし、法律や県や市の規定上、通知表は様々な「裏事情」も存在するのです。
だからこそ、注目すべきポイントとそうではない部分、大事にすべき部分と気にしなくてよい部分に軽重をつけることが大切です。
この記事では、小学校の教員を10年勤めた筆者が、「通知表の裏側」や、「見るべきポイント」、そして、「通知表の評価と社会に出た時の力がどれぐらい一致するのか」などを解説していきます。
通知表に対して厳しく構えていた方がいれば、少しは肩の荷が軽くなるかと思いますので、是非、最後までご覧ください。
通知表の裏側を公開!成績はどうやって評価している?
筆者は10年間小学校教員として勤めていましたので、小学校の視点で解説していきます。
通知表に関することでまず知ってほしいのは
「絶対評価」というのは建前で、
本当は、「相対評価に限りなく近い」ものであるということです。
絶対評価ということは、極論、テストで全員が90点を取れば、全員「◎」や「5」といった評価がつかなくてはおかしいということです。(実際には普段の授業の様子が入りますが)
そのような形であれば、成果が上がった全員がきちんと評価され、通知表にもそれが現れます。
では、なぜそれをしないのでしょうか。
答えは、簡単です。それは
「担任によって差が生じてしまう」
からです。
極端な例でいえば、非常に優秀な教師と、新卒1年目の教師が同学年を担当したとします。
同学年には双子がいる可能性もありますし、絶対評価ならば基準を学年で揃えなければいけません。
すると、一方のクラスの平均点は90点。
もう一方のクラスは60点という状況が発生します。
優秀な先生は、子どもにやる気を出させるのも非常に上手なので、「一人残らず授業態度は素晴らしい」という状況も発生し得るのです。
すると、主任のクラスは◎が30人中15人。
新任のクラスは30人中3人。
といった状況が発生してしまうのです。
そうなると、担任によって通知表がコロコロ変わることになるので、
「なぜうちの子のクラスは厳しいのに、隣のクラスは甘々なんだ!」
ということになりかねません。
学校はそのようなクレームが来ることを非常に嫌う性質があります。
ですので、
「絶対評価なんだけど・・・」
と建前を言いながら
◎は1~2割に押さえて、
△は1割程度にしてね。
といった通達が、校長から全職員に伝えられるのです。
ということは、学校全体に優秀な子どもが多い学校の「〇」(真ん中の評価)は、そうではない学校にいれば「◎」である可能性があるのです。
まず、この前提を知っておいていただきたいです。
通知表の項目
通知表は大きく分けると「教科・行動・所見」に分かれます。
3つの項目を簡単に説明すると以下のようになります。
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
◆教科・・・その教科の成績を「◎・○・△」「3・2・1」で評価する
◆行動・・・創造性や思いやりなどの数値で評価できない項目の評価
◆所見・・・特定の教科や1年間の成長を文章表記によって評価する
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
順々に見ていきます。
🟧「教科」の評価方法
通知表を見るときは、どうしても「教科」を気にしてしまいますよね。
多くの場合、小学校の通知表は「◎」「○」「△」という記号で評価されていると思います。そして、通知表は2020年から、評価の項目が大きく変わりました。そのことは、ご存じの方もいると思います。
一番の変化は、「関心・意欲・態度」が「主体的に取り組む態度」に変わったことです。
この3つの項目を簡単に説明すると・・・
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
❶「知識・技能」・・・テストの正答率や運動能力、作品のクオリティなどから判断する知識や技術
❷「思考・判断・表現」・・・文章表記から読み取れる論理的な内容や深い思考、問題解決能力や創意工夫能力
❸「主体的に学習に取り組む態度」・・・自分に見合った目標を選択し、達成する道のりを設計する力
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
となります。
以前は、「関心・意欲・態度」だったので、とりあえずやる気がアピールできていれば、評価を上げてもらえる傾向がありました。
しかし、「主体的に学習に取り組む態度」になってからは、メタ認知能力やプランニング能力になってしまったので、これもより「◎」の子とそうではない子の格差が開くようになってしまったのです。
🟧「行動」の評価方法
筆者が勤めていた市では、6~7ほど項目があり、際立っている行動面のみ「〇」が付くという評価方法でした。
ただ、これは地域によって変わるようです。
項目の内容は、以下のようなものです。
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
・健康に気を付け、強い体をつくるためによく運動している
・生活上自分の身の回りのことを進んで行っている
・自主、自立の力がある
・創造力を発揮することが得意である
・人のために奉仕する姿勢がある
・思いやりをもって友達に接する力がある
・誰に対しても平等である倫理観をもっている
▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢
などです。
筆者の学校では、全てに「〇」が付きそうな子どもも、最大で3個、どうしても収まらない場合は4個といった範囲で調整していました。
8割程度の子どもは1個~2個という具合でした。
これも、「担任によって評価が変わり過ぎることを防ぐため」に、このようになっているのです。
🟧「所見」の評価方法
「所見」は、「総合」や「道徳」、「1年間の人間面の成長」など、数値や記号では伝えられない内容を文章で伝えるものです。
正直、「総合」や「道徳」は学校内である程度フォーマットが決まっており、それに当てはめていく方法でしたので、どの子どももこの2つで大きな差が生じることはありませんでした。
「1年間の成長」は、筆者は最も力を入れて書きたかったところなので、その子どもの成長と美点を言葉を厳選して伝えていました。(上限文字数が決まっているので)
この部分に、担任の思いが現れるかなと思います。
通知表をみるときのポイント
成績もあるかなりよく、人間性もとても素晴らしい子どもの親は、通知表でどこの部分を見ているのでしょうか。
これは、かなりの家庭に共通するのですが、
「教科の部分はあまり気にしていない」
のです。その代わりに、
「行動面を重視している」
ことが非常に多かったです。
筆者は、「行動面に2つ以上〇がないとお母さんに叱られる」と言っている子どもに複数出会ってきました。
これは、「人間性の部分が生きていく上で最も重要」と親が捉えていることが分かります。そしてそのような家庭の場合は、「手を抜かない」「誰かのために自分が動く」といった行動が身に付いているので、学力が自然と身に付いていくのです。
このような「行動面」の能力を「非認知能力」と言います。
筆者も重要視すべきは、「行動面」と「1年間の成長が書かれた『所見』」であると考えています。
非認知能力がなぜ重要であるかは、以前記事にしたものがありますので、そちらをご覧ください。
とは言っても、「教科」の面も気になるでしょう。
ただ、行動面がしっかりと育っているのであれば、自分なりに精一杯を出した結果だと思うので、結果に関してとやかく言うことは避けたいところです。
大事なのは、
結果がよかったときに一緒に喜びながら、「〇〇を一生懸命やっていたもんね。よくがんばったね。」とプロセスを褒めるということです。
また、
結果がよくなかったときは、「残念だったね。でも、〇〇が~という行動をしていた姿を知っているよ。あなたががんばっていたことは分かってるから。次につなげられるといいね。」と、同じように過程を認めて、次を意識させるとよいでしょう。
そして、本人が自分から目標を口にしたときは、
「じゃあ、目標を達成できるように考えよう!一緒に考えるよ。」
と寄り添う姿勢を見せることがベターだと思います。
避けたいのは、
感情的にならないこと
結果のみに注目しないこと
です。
通知表=社会的成功?
これは、当然ですが、イコールではありません。
皆さんは、うつ病になったり、ひきこもりになってしまったり、家庭内不和を抱えてしまったりする人々は、実は高学歴出身である人が多いということをご存知でしょうか。
幼い頃から勉強ばかりしていれば、人と共感し合い、ストレスを軽減する術を身につけられないかもしれません。
「勉強ができることが偉い」という価値観を親が押し付ければ、勉強ができない人を見下すかもしれません。
そしてプライドが高くなってしまい、自分より学歴が低い人が、良好な人間関係を周囲と築きながら出世していく姿を見たら、プライドがズタズタになり、心が壊れてしまうかもしれません。
そもそも「勉強ができる」ということは、「記憶力がいい」「思考が深い」という特徴がある場合があります。
「一部が突き抜けている」ということは、「一部が凹んでいる」可能性があります。それがコミュニケーション能力や、周囲との人間関係を調整していく力だとしたら、組織で働くことが難しいかもしれません。
だから、必ずしも「成績がよい=社会的に成功」ではないのです。
そして、本当に優秀な子どもをもつ家庭は「行動面」を重視すると述べました。
人間性が育っていれば、例え、自分の能力が高かったとしても、過信せず、周囲に感謝し、全体のために貢献しようという人間に育っていくはずです。
結果的に、幸福で満ち足りた人生を送ることができるでしょう。
「行動面」を重視している家庭は、そのことが分かっているのです。
これこそが、本当に子どものためを思った教育といえるのではないでしょうか。
まとめ
通知表や成績表は、「学校」という枠組みの中で便宜上使われる1つの指標でしかありません。
受験といった仕分け制度上都合がよいので、一目見てその子どもの生活力、学力の安全性を保障できるという役割をもっている面も否めません。
上に反抗せず、ルールを守り、先生や上司の言うことをきちんと聞く人が評価されていくシステムでもあります。
では、成績の良い子が、経営者になったり、何かを開発したりしたかと言われると、そうでもありません。
むしろ、世間に大きな影響を与える人間は、幼少期に問題児と呼ばれていたという事例も多く存在します。
ただ、全員がそのような唯一無二な仕事をするわけではありませんので、数値による成績と、行動面としての「生きる力」の両方を、バランスよく上げることが、現実的に大切になってくるでしょう。
表面上の数値にとらわれず、子どもがどれだけの気持ちを注いだのか、どんな行動を重ねてきたのかに注目し、自信を育てる1つの材料にできる家庭が増えていったらよいなと思います。
同時に、筆者も、自分の周囲の子どもたちに、そのような心構えで接していきたいです。
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