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癇癪おじさんの思い出

今から10年以上前、ちょうど大学1年の終わり辺りから23歳まで、都内にある某家電量販店に勤めていた。郊外でよく見かける広い電気屋さんで、以前はホームセンターだった店内はゲームコーナーがあるくらい広く、勤めていた当時も2階はホームセンターが規模を縮小して営業していた。

自分はそこの商品管理センター勤務だった。そこでの主な仕事は3つ。
➀商品の入荷と配送商品の準備
➁伝票とお金の入力管理
➂アウトレット商品の清掃などの雑務

日常の業務に加えて、お客さんや他店からかかってくる電話は途切れなく鳴るし、一日中冷蔵庫や洗濯機を持ち上げたり担ぎ上げたりでかなりヘヴィな仕事ではあった。

そんな職場にやたらとせかせかしていて物を一つ置く時にも「ドカーン!ガチャーン!」、戸棚を閉じる時にも「バーン!」と、いちいち喧しいおじさんがいた。歳は50歳くらいだったろうか。
売り場担当の人にも高圧的に話してみんなから嫌われているそのおじさんにいつからか「癇癪おじさん」というあだ名を密かにつけた。

癇癪おじさんはこの建物がホームセンターだった頃から働いていて、商品管理担当に来たのは自分が入社してしばらく経ってからだった。長いこと別の部署にいて、簡単な修理や商品の交換に出向いたり、在庫のない商品を他の店から頂く際の運転手役だった。だから移動してくるまでほとんど関わりはなかったし、たまにふらりと現れた時に一瞬顔を合わせるくらいだった。
長いことひとり気ままに車を転がしていれば良かったのだから、おじさんは商品管理の仕事なんて本当はやりたくなかったのだと思う。そのやり場のない怒りや諦めの感情が喧しい行動や高圧的な態度の一つ一つに現れていたのだろう。
たまに他店に商品を取りに行くとなると率先して軽トラに乗り込んで、鼻歌交じりで気分転換を兼ねたドライブへと出て行った。

おじさんがいつもカリカリしている様子を見ているとこちらもウンザリしてしまうので、必要な会話以外はあまり話したりすることもなかった。
が、正直言うと自分はおじさんのことが嫌いではなかった。お酒好きで人の好き嫌いが激しくて気分屋。それはまるで当時の自分のようだったからだ。周りの悪い評判はよく分かるけれど、基本的には真面目に仕事をするし、どこか憎めない人だな、そんな風に感じていた。

時は流れ、とある日。自分が退職する一週間前のこと。その日は暇な一日だった。時おりやってくるお客様対応をする以外は何をするでもない静かな夜8時過ぎ。
いつものようにせかせかと動き回っていた癇癪おじさんもひと休みするべく同じ部屋に座っていた。

「おめえさ、東京ドーム行ったことあるか?」

なにげなく沈黙を破るようにおじさんが話し出した。突然の質問にびっくりしつつ、東京ドームには何度か行ったことがある、そう返した。

「そうか。じゃあ、試合前と合間に出て来るチアガールの子達と会えるって知ってるか?」

そう言うと財布から一枚の写真を取り出した。ふと覗き込むとそこにはいつもの仏頂面が嘘のように目尻をだらしなく下げて満面の笑みを浮かべたおじさんと数名のチアガールが写っていた。

「今度試合前に行ってみ。早い時間に行けばゲートの前にいるから一緒に写真撮ってもらえるぞ」

ささっと写真を財布にしまいながら照れくさそうな嬉しそうな笑顔を浮かべたおじさんの顔をぼくは今でもよく覚えている。

「さあて、駐車場の様子でも見てくるか」

そうつぶやきながらおじさんはまたせかせかと部屋を出て行った。一人残された部屋の中に小気味好い余韻が残っていた。そして、それがおじさんと交わした最後のまともな会話だった気がする。

あれから10年が経った。
勤めていた家電量販店は数年前に移転のために閉鎖となった。もはや還暦を過ぎた癇癪おじさんが今どうしているかを知るあてもない。
が、今でも鼻歌まじりで軽トラのハンドルを握りながら次はいつ東京ドームへ行こうかと考えているような気がする。

ぼくは結局この10年の間一度も東京ドームには行っていない。

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