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あなたも丹波篠山という焼き釜に入ってみませんか?
先日の投稿で丹波篠山へ日帰り観光に行くという旨とともに、下調べしてみたよ、なんてことも書かせては頂いていたのですが、百聞は一見に如かずを実感しました。こんなにも素敵な場所だなんて。場所の歴史、空気感。まさに場所性の権化のような。凄まじいよ。
ちょっとよく分からないタイトルだとは思いますが、言いたいことは<おわりに>に記させて頂きました。目次から飛べるようにはしております。
地元が島根県松江市の私ですが、松江市は城下町だった歴史を持つ、といった認識。丹波篠山に関しては今も城下町、そんな印象を抱いた。勿論経済的な発展など様々な要因はあるにせよ、丹波篠山の地域、文化的なアイデンティティは相当なものだろうなと。上記の記事でも取り上げた「デカショ節」にも関わってくる話だろう。
しかしながら、観光客が少ないこの時期に、ということも、今回の場所体験において大きな作用を及ぼしたのもまた事実。京都に住んだ三年半でも、コロナ以前と以後、やはり生活感は全く違った。ツーリズムが抱える問題、この辺は簡単に語れるところではないので、本記事における言及は避けることとする。というわけで。巡った場所と共に、この一日を振り返ってみます。
1.篠山城大書院
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遠目から見てもこの存在感の大書院。丹波篠山の街はこの大書院が位置する篠山城跡を中心として広がっている(印象)。慶長14年の篠山城築城とほぼ同時に建てられ、以後、幕藩体制が終わるまでの 約260年間にわたって、篠山藩の公式行事などに使用されたこの建物。明治初頭の廃城令によって篠山城の大半は取り壊されたが、城建物の中でただ1つ残されたそう。昭和19年に焼失のち、平成12年に再建。
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圧巻の立ち姿。外観がとにかくカッコええ。他を寄せ付けない威厳を放つ。鉄門(くろがねもんと読む)の重厚さもご立派。
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上記二部屋。江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵が、障壁画として使用されている。荘厳なるこの空間には、現存当時の空気感が漂う。
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院内には数多くの展示品が。中でも印象的だったのが、篠山城の鬼瓦。消失を経てもなお、このサイズの瓦が現存していることに驚く。欠けている部分に在りし日の姿が見えたような。
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篠山城跡の元本丸に位置するのは、旧藩主青山家の遠祖、青山忠俊及び青山家中興の藩主と称せられた青山忠裕を祭神とした神社だ。境内に在った流造?の屋根が乗っかった御神木が興味深い。
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境内奥の展望台からは隣接する小学校を眺めることができる。堀の内側?に位置するという点では、私の出身小学校と同じ。しかしながらその距離感の差は全くの別物。校舎の一昔前感と言い垂涎ものです。ここに通う子供たち。大人になって、街に出てから、この環境の本当の素晴らしさを知るのだろうな。
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樹木が鬱蒼と茂る堀。鳥の姿は見えたが、魚は見えず。水質は良いとは言えないが、そこまで汚染されているということでもない。本音を言えば有無を言わさず綺麗であってほしかった。難しいよね… 松江城の堀川を見ているから尚更理解できる。
2.御徒士町武家屋敷群
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篠山城跡の西側に位置する武家屋敷の通り。ここには藩主の警備にあたった御徒士衆の家屋が現存している。慶長14年にこの御徒士町は作られたそう。
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武家屋敷と聞くと、どうしても漆喰の白壁、或いはダークトーンの木壁に瓦屋根を想像してしまいがちなる私。故にここは武家屋敷通りとしては新鮮に映った。土壁と茅葺屋根などは特に。少しパンフレットから文章を抜粋。
明治の廃藩置県によって、江戸詰の家臣を中心として多くの家臣が丹波篠山から引き払いましたが、御徒士町の武士のほとんどは、丹波篠山に留まりました。以後も手入れを怠らなかったことが、かつての武家屋敷の面影をよく今に伝えることになったのです。
上に載せた看板の写真にも記してある通り、徒士という所謂下級武士らが住んでいたことが、景観の保存に繋がったともいえるだろう。武家屋敷に対する、由緒正しき、のようなイメージとはギャップがあるのも魅力の一つ。
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数ある武家屋敷の一つ、そして唯一史料館となっている安間家へ。こちらは白壁に茅葺屋根。江戸時代、篠山藩青山家の徒士武士であった安間家。藩校の時代から教育に携わっており、明治時代には当主が篠山小学校の校長、その弟は篠山町長を務めたという歴史も。その流れで安間家には江戸時代から明治時代にかけての教科書が沢山あり、実際にも教科書展なるものが開催されていた。
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内部には日常に用いられた食器類や家具、それらに加えて傘などの日用品をはじめ、篠山藩ゆかりの武具なども展示されている。展示と言えばそれまでだが、感覚としては昔の日常にお邪魔するといったようなもの。史料館らしからぬ柔らかい空気感であった。
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匂い、香り?を意識するのを忘れていた。悔しい。聴覚に関しては庭園にあった「丹波水琴窟」に楽しませてもらいました。ひと足、いやふた足くらい先に涼を感ず。こうした不易流行的な趣は大好き。私も庭を持ったら作ってみたいな。
3.休憩
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観光の息抜き、ってのもおかしなもんですが。「くつろぎ古民家まめ猫」さんで一服。ここは楽園かよ。ちょうどお昼寝タイムだったのだろう。みなさんお休みになっていた。それでも眼福だよ。あゝ、癒された。精神の治癒。
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笛を吹く少年(右)
お手洗いに飾ってあった絵も可愛かった。
4.丹波篠山市立歴史美術館
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明治24年から昭和56年6月まで日本最古の木造の裁判所、篠山地方裁判所として建築、使用されてきた。後に重要建造物として末永く保存するため、外観および旧法廷を従来の姿で残し、その他は美術館として改築されて現存している。
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館内には古代から近代まで、多種多様な文化財、作品が保存されている。中でも印象に残ったのが『東海道・中仙道・甲州街道図屏風』と『源氏物語絵巻 六巻』だ。
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どちらも物理的に大きいこれらの作品。ゆえにディティールを観察するのが楽しい。地形や町の描写、人の視線、行動、意図、そして作品の中の作品。細部まで技巧が凝らされている。ここ、丹波篠山において、このような歴史的な史料を鑑賞できるとは思ってもいなかったので、まさにこの美術館は青天の霹靂だったともいえる。丹波篠山を訪れた際には是非。
5.春日神社
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時は遡って貞観の頃、奈良の春日大社より御分霊を今の篠山城址(慶長14年に現在の位置に奉遷)に奉ったことが始まり。古来より地元の信仰厚く、現在でも氏子の守り神として、「おかすがさん」の愛称で崇め奉られている。
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先ずは髄身門がお出迎え。向かって右側には藤原時平、左側には菅原道真の木造が鎮座。道真さんの顔がちょっぴり怖い。能の面のようだった。
石が敷き詰められた境内は、建物の密度も低く、静寂閑雅の様を呈する。自分の足音が心地よい。
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迫り出した辰が印象的な本殿。全体的に白っぽく色褪せている。
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むき出しになった岩肌に生す苔からは長い時間の流れを感じるとともに、神々しさも。神話的な空間。そんな境内には大神宮、天満社、愛宕社、八幡社、稲荷社、八坂社、日吉社、水分社など多くの神社が設置。しかしながら特筆されるべきはここまで挙がっていない「絵馬堂」と「能楽殿」だ。
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慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬(中央右)は、精緻なもので価値が高いとされている。他の絵馬も古いものばかり。もっと近くで見たいい… 国の重要文化財である能楽堂は閉め切られていたが、のぞき窓が設置されており、そこから暗い堂内を垣間見ることができた。薄っすらと光が当たる松の絵が施された鏡板。見物人への細やかな気遣いに唯々感謝。元旦の「翁」の元朝能、春の「春日能」は是非一度お目にかかりたい。
6.河原町妻入商家群・丹波古陶館
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車を移動させたのち、河原町妻入商家群へ。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された、近世から近代にかけての商家の町並み。美しい。武家屋敷群とはまた違った風情が漂う。電柱がないのが本当にいいよね。
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地区内に在る丹波古陶館へ。平安時代末期から江戸時代末期に至る700年間に作られた代表的な品々を、年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示しているこの施設。正直これまで陶器の美に向き合うことは苦手、というより美を受容できていなかった私。しかしこの丹波古陶館の展示、製法や技法からそこにある美学まで、本当に丁寧に教えてくれる。
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その完成までの過程を含めた、自然と人との関係、その美しさと逞しさに気付いたとき、目に映る陶器は紛れもない「美」を放つ。個人的には自然釉の壺にべた惚れ。大人になったら絶対に買ってやるんだ。いや、造ってみたいかも。館内展示物の間、所々みられるコラムの欄に、鈴木大拙の名前が多く出ていたのもまた興味深い。復習しないとです。
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古陶館から出ると、辺りはすっかり夕暮れの色に。昔の人たちも同じような風景を見ていたのだろうか。そう考えると、剝き出しの首元を刺す冷たい空気がどこか心地よく思えた。
7.王地山・周辺散策
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商家群のメインストリートから一本北の通りに出ると、曹洞宗の普門山観音寺が現れる。門前に据えられた大小の石が、泰然たる寺の静けさを強調しているようにも見えた。オレンジの光が釣鐘に映るさまは、さながら一昔前の光景のよう。
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王地山の麓にあった焼窯跡に立ち寄る。ここで数々の陶器が生み出されてきたのだろう。
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横の細い小径から山の上に登っていく。道中、開けた場所に設置されたスピーカーから大音量で「夕焼け小焼け」が。時報的なものだろう。なんだか物凄く懐かしく、そして寂しくなって歩みを止める。私が育った松江市(場所によってはありそう)には無かったはずなのだが。この瞬間にこの場所にいること。ちょっと形容し難いな。どこか不思議な気分でした。
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着きました、「まけきらい稲荷」です。珍しいお名前。その由来については長くなりますので、公式サイトより抜粋させていただく。
「篠山藩主青山忠裕公が老中であった約170年前の文政年間の頃、毎年春と夏に、江戸両国の回向院広場で、将軍上覧の大相撲が催されていた。ところが、いつも篠山藩のお抱え力士たちは負けてばかりであった。ある年の春場所のこと、篠山から来たという王地山平左衛門ら8名の力士と行司1名、頭取1名の 一行10名が現れ、土俵に上がると連戦連勝してしまった。負けきらいのお殿様は大変喜んで、その者達に 褒美をやろうとされたが、どこにもいない。後で調べてみると、なんと全員が領内のお稲荷さんの名前だった。そこで、それぞれに、幟や絵馬などを奉納して感謝したという。」
こんな由来もあって、招福除災・商売繁盛勝利守護、それに合格成就の神として現在まで広く信仰されてる。
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参道の階段は約二百余段だそう。比較的に緩やかなので、苦にはならないかな。などと考えながら下っていると、突然読経の声が。先ほどの時報のスピーカーではないが、小さめのスピーカーで、オンタイムの音を流しているのだろうか。これまた珍しい。時間が限られていたため、この王地山は充分に回ることができなかったが、その空気感は味わうことができた。
8.おわりに
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一日かけてこの町を「観光」した。もちろん全ては回り切れていないし、限定的に見ただけだろう。しかしながらそれは表面的なこと。もっと深く、内側。自分の内面と向き合う。私はこの「旅」で、凄く大事なものに触れたような気がした。思い出したとでも言うべきか。いや、日本を発見したのか?原風景的な何か。心象風景?
今の時点では分からない。ただ一つ、私自身の深みが増した、カルチベートされたことは事実である。この旅で触れたものに寄せて、言葉にするならば。
”焼き物である人間として丹波篠山という焼窯に入った”
こんな感じかな。私自身は私自身の形を試行錯誤を重ねながら整えてゆく。その過程で焼き釜にも勿論入るだろう。これを経験や出会い、或いはこの世界と重ねたとき、この言葉が思い浮かんだ。その窯の中で、私は多種多様な表情を焼き付けられる。 焼き物で言うならビードロ、焦げ、緋色、窯変。
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この丹波篠山という窯から出て、私にはどんな表情が焼き付けられたのか。まだ分からない。心はまだ窯のなかだ。完成したらそのまた上に土を塗って、形を整えて、窯に入る。何度も。その繰り返し。noteでの投稿はその唯一無二の各完成品の記録ともいえるだろう。
なんにしても、本当にこの場所に訪れて良かった。ここでの体験をどうやって言語化しようか。日々考えます。いまはただ、丹波篠山にありがとうという気持ちだけ。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。
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