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ライターのメンタル

『プロフェッショナル 特別編 宮﨑駿と青サギと・・・「君たちはどう生きるか」への道』を観た。

実はこの記事の前に、
<ライターとメンタルヘルス>という記事を用意していた。
ぼくなりのメンタルコントロール方法を紹介するつもりだった。
ところが、宮﨑さんのプロフェッショナルを観たために、困惑している。記事公開を見送ることにした。

「ぼくの頭はこわれたらしい」

今回の映画が、彼をそこまで追い詰めたというドキュメンタリーだった。
こちらも不穏な動悸がして、鑑賞後もそれはなかなか消えてくれなかった。
今も思いだして、若干息苦しさを感じるほどだ。

観ていない人、観られなかった人のために、
内容を説明しながら、自身の心も整理したい。

まず、「君たちはどう生きるか」を作る過程で、
宮﨑さんの仲間が次々とこの世を去っていく。
彼のメンタルに多大な影響を及ぼす外的要因だ。

引退宣言をした宮﨑さんに、
「もう一本やりな」と悪魔のささやきをした仲間が先立ち、
ずっとそばで見つめ、憧れ、嫉妬した、永遠の片思いの盟友にも去られ、
挙げ句、喜びも悲しみもクッションのように受け止めていたアシスタントもいってしまう。
ほかにも次から次へと。
無慈悲に。
連れ去られてしまった。

「やれやれ・・・、
ということなんですよ」

宮﨑さんは力なく撮影カメラマンに訴える。
生ある者の死はどうしようもないことだが、
カンナで削るように彼の魂を削っていく。

「この世は悪意がある」

宮﨑さんは現実をそう見ていた。
だから、「君たちはどう生きるか」に込めた。

主人公の眞人は、自ら悪意のしるしを刻んだ。

眞人は宮﨑駿自身。

さあ、どう生きる?

悪意の世を、
君は、
君たちは、
どう生きるか?

教えてほしい。

宮﨑さんは彷徨う。
その愚痴や不満、不安をきっと黙ってそばで聞いてくれたであろう、
亡くなったパクさん(高畑勲の愛称)に彼は声をかけ続ける。

パクさんと宮﨑さんが共にインタビューを受けているシーンがある。
互いにどう思っているのか?
宮﨑さんは、「パクさんはパクさん」と答えた。

そして、高畑勲は、目を合わせずに、しかしはっきりと言った。

「いろんな作品が見たい。
なんか見せてくれないものがあって、
それを見せてくれるんじゃないかと期待しています」

言われた後の宮﨑駿は無邪気な笑みを浮かべて、
「ほんと?」
と、永遠の片思いの相手に迫っていた。

微笑ましいシーンだったが、
これは高畑勲が宮﨑駿にかけた呪いだったのかもしれない。

宮﨑さんは、
「パクさんは破滅できる人間なんですよ。俺はなれないよ、小心だから」
と、脳みそのフタを開けて、閉まらなくなったまま、死んでしまった高畑勲を称えた。

しかし、ここから彼は、自分の脳みそに手を突っ込んで掻き回し、
奥底にある闇のフタを開けてしまう。
まるで永遠の片思いの相手を探し求めるように。

それを表した絵が、ぼくはとても恐ろしかった。

脳みそのフタを開けてしまった宮﨑さんは、
現実と作り物の境界線を行ったり来たりしだす。

高畑勲さんの葬儀で、宮﨑さんは弔事を読んだ。

「55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんのことを忘れない」

そして、涙を流した。

ところが、鈴木敏夫さんに言わせると、「雨上がりのバス停」は嘘だという。
なぜなら、だってそれトトロじゃん、ということだった。

でもそれが宮﨑駿なのだ、と鈴木さん。
「境界線を超えちゃったんでしょ」

宮﨑さんも自覚する。
「狂気の境界線に立たないと、映画は面白くなんない」

そして、
自分の脳みそを開けた代償が必ずある、といった。

「そういうことに手を出した人間なんです」

妄想の世界に行き過ぎたらどうなる?

宮﨑さんは、ゴッホを例に出す。
「どれほどの孤独の中にいたか」

だからなのだろう。

妄想の中の大伯父(高畑勲)が、
「おいで」
と、眞人を誘うのだが、

眞人は、立ち止まる。

「愚かな世界に戻るというのかね?」

「友達を見つけます」
と、眞人は悪意の世を選ぶ決断をする。

そこで仲間や友達を見つけて、他者を受け入れていく覚悟をみせた。
大伯父はそれを認め、世界は崩れる。解放されたのだ。

高畑勲が宮﨑駿にかけた呪いは、
祈りだったとわかった瞬間だった。

だから、「君たちはどう生きるか」を観終えたとき、
最高傑作だ、
と、ぼくは思ったのだと理解できた。

しかし、プロフェッショナルを観て、
ぼくは答え合わせができたのに、なぜか困惑している。

宮﨑さんには、青サギがいた。
青サギは、鈴木さん。

脳みそのフタを開け、
混乱し、
焦り、
不安に襲われ、
疲弊し、
でもテンションが高まり、
眠れず、
朦朧とし、

「ぼくの頭はこわれたらしい」
という友に、

「大丈夫ですよ」
といって、寄り添う青サギが彼にはいた。

高畑勲が脳みそのフタを開けられたのは、宮﨑駿の存在があったから。
宮﨑駿が脳みそのフタを開けられたのは、鈴木敏夫がいたからだと思う。

では、はたして、傑作を書きたいという個の作家が、脳みその奥にある闇のフタを手探りで開けられるだろうか。

ぼくなら、怖気づく。

けれど、こんなドキュメンタリーを見届けて、
このまま脳を閉じ、心も閉じたまま、作品を作り続けて、いいのだろうかと困惑している。
個で闘うライターが、メンタルを保たせるため、そうやってきたのだが、
脳みそのフタを開けた先を見せられ、魂が疼いている。

君たちはどう生きるか。

そろそろ、仲間や友達を見つけ、他者を受け入れていく、
これを実践していく時期なのかもしれない。

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