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#447 「教育賢さの定義再考を」を読んで(日経新聞)

先週、日経新聞で連載された「成長の未来図」の中からある記事を読んで思ったことを、メモ。


1、どんな記事?

日経新聞で7月18日(月)から連載された「成長の未来図」という記事で、毎日2名の識者に教育についてインタビューしたものです。

2回目の19日(火)には、開成中学・高校前校長の柳沢幸雄氏、京都工芸繊維大学副学長のジュセッペ・ペッツォティ氏のインタビューでした。

柳沢さんは、「日本に閉塞感海外大へ」という見出しで、東京大学への進学者が多い開成高校でも日本ではなく海外大を目指す生徒が増えていることを紹介しています。印象的な部分を抜き出します。

一部の若い人は『能力が高くても自分の人生は今の日本では描けない』と考え始めているのだろう。背景にあるのが社会の閉塞感だ。国内総生産は横ばいで、成長していない。親世代は逃げ切れるかもしれないが、自分の世代はそうはいかないと予想しているはずだ。

こちらも興味深い(というか、ほかの方のインタビューもそれぞれ興味深いです)のですが、今回は、ジュセッペ・ペッツォティ氏の内容をご紹介します。


2、「教育賢さの定義再考を」

同氏のインタビューでは、まず、欧州で1987年に始まった留学を促進するエラスムス計画によって約35年間で1,000万人以上の若者が他国で学んだことを紹介した上で、日本の課題を述べています。

留学は文化交流に加え、イノベーションももたらす。エラスムス経験者たちは政治や経済など様々な業界で活躍している。大学教員になっても昇進が早く、人材育成の効果は明らかだ。

日本の学生は留学が新卒一括採用の時期と重なると就職で不利になる。海外で培った語学力や発想力、研究成果を生かす受け皿がなければ留学意欲はそがれる。

日本では学生の能力が均質になるよう育てる。社会の安定には役立つが、才能を持つ人は放置されて能力が台無しになる。

その上で、日本の高等教育を変えるための策として、以下のような提言をしています。

賢さの定義を再考してみてはどうだろう。日本で頭の良い人とは知識の多い人だと考えられてきた。だが、西洋では賢さとは、知識や情報がなくても自らの頭で考えて正しい答えを導き出すことだ。


3、まとめ(所感)

いかがでしたでしょうか?

想定外のことが多く起こるVUCAな時代では、「問題解決力」よりも「課題設定力」が重要だ、ということはよく言われていることですから、目新しさはないかもしれません。

ただ、じゃぁ、具体的にどうしますか?と問われたときに、多くの人への解答となるような、シンプルなものはなかったかな、と個人的には感じています。

そこに、「賢さの定義を再考」という今回の言葉は、割としっくり来ました。

あくまで個人の感覚でしかありませんが、課題設定力はこういうものだ、というノウハウ系に行くのではなく、そもそもの「賢さ」の定義、認識を変えてしまう、という方が、シンプルで効果的かと。

問題は、それをどうやってやるか、ですが、多くの人が企業に就職する現状を考えると、企業側でそうした人材を「賢い」として採用、処遇することでしょう。

…難しそう、です…

でも、だからこそ、過去の延長でしかビジネスが出来ず、結果、他国に比べてGDPが横ばい、という現状があるように思えて仕方がないのです。
いち早く認識をあらためて「賢さ」の定義、認識を全社で変えられた企業や組織が圧倒的に成長するのでしょう。

まぁ、どの企業もそういう人材を採りたい、と言っているんですけどね…


最後までお読みいただきありがとうございました。

記事のご紹介でしたが、どこか参考になるところがあれば嬉しいです。

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