「目には見えないけれど大切なもの」
「おじいちゃんのあたま、なんでそんなにつるつるなの?」
「鳥がな、止まろうと思っても、つるぅっーて滑って止まられへんのや。便利やろ」
私がお腹を抱えて笑っていると、
叔母さんだかおばあちゃんだかに、ピシャリと怒られました。
「人の禿げ頭で笑ったらあかん!」
これは、私の2歳か3歳ごろの記憶。容赦無い直球の子どもの質問に、ユーモアで答えてくれたおじいちゃん。社会で適応するために、常識を教えてくれようとするおばさんだかおばあちゃん。そのはざまで、私は育ちました。
NHK朝ドラ「あさが来た」のヒロインの子ども時代を、鈴木梨央ちゃんが演じました。笑い上戸がすぎて失敗してしまう姿を見て、ハッとしました。陽だまりのなかでおじいちゃんと大笑いして怒られたことが、ありありとよみがえってきたのです。
私も、いつもお腹が痛いほど笑ってしまう子どもでした。身体をよじって笑っている写真が何枚もあります。一度、おもしろいと思ったら、もうダメなのです!
「ふざけている!」
と、先生に言われるので、唇をキュッと噛み締め、太ももを常につねっていました。不適切な時に笑わないように!
「私は女優・・・今、悲しみに堪えている・・・悲しいメロディが流れてくるが、決して涙は流さない・・・その姿に視聴者は涙を流す・・・」ごっこもしましたよ!
それでも、敵がいるんです!
卒業式の練習でこっそり振り返って、笑かしてくる友だちたち!(やめてぇ!)
「世の中には、なんでこんなにおもしろいことが溢れているんだろう!」
「それなのに、笑ってはいけない時間がなんて長いんだろう!」
こう思って過ごすうちに、おばさんやおばあちゃんの主張は、無くてはならないものになりました。おじいちゃんのユーモアは、暗い蔵の中にしまわれて忘れてしまったのです。
大人になって、
自由になんでもできる!とに気づいたときは、もう遅し!
「何がしたいのかわからない迷子さん」になっていました。
インド人の先生のヨガのクラスで、「1分間笑い続ける」という罰ゲームで苦戦して、「私じゃない何者か」になってしまっている!と呆然としました。
インドに、自分を探しに行こうかとも考えましたが、お腹が弱いのでやめました。代わりに、ヨガ、ヒーリングスクールや意識のワークを学びました。
そこで、得たのが、
「目には見えないけれど大切なもの」たち!
蔵の中のおじいちゃんのことを連れ出して、すばらしくツルツルピカピカに輝かせるのを、たくさんたくさん助けてくれました。
簡単に言うと、
「社会常識、時代の背景、受けた教育、周りの人の意見やら・・・を超えた、『真実』を見る目」
です。
「真実」を見抜く力を養うのに助けになった考え方や知恵は、主体的に生きていきたいと思っている誰かの役に立つと信じて、
人生という冒険の旅に、「目には見えないけれど大切なもの」を武器にしてはいかがでしょう・・・という提案を以下に綴ります。
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【意識編】
【オーラ編】
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