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口語俳句 〜口語体で詠む俳句について〜


俳句にご興味のあるnoteのみなさまに、俳句の様々なことについてご紹介をしていく記事です


『口語俳句 〜口語体で詠む俳句について〜』

俳句で使う言葉には、文語体と口語体があるとされています。

※俳句では、日常話したり書いたりする現代語を口語、古い時代の言葉を文語と呼ぶ場合が多いです。


文語体で詠む文語俳句は、

咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 高浜虚子

のような『古い時代の文体』を用いた俳句になります。

伝統的な良さがありますが、現在ではもう長く日常的に使われていない文体ため、使い方をよく知らなかったり、誤った使われ方をすることも少なくないようです。

特徴としては「や、かな、けり、たる、たり、なる、なり、あり、をり、ぬ、べし、らむ、けむ、てふ、ゐて、ゐし」などの語や、歴史的仮名づかいが基本として使用されています。


今回のお話しはここからですが、

はじめに、なぜ口語体で俳句を詠むのかについて主な理由を挙げると、

・俳句も言葉も時代とともに前進しているため
・現代を、現代の言葉で詠むため
・俳句表現の新しい可能性が広がるため
・現代以降の人々によく伝わる文体のため

などがありそうです。


口語体で詠む口語俳句は、一般的には、

憲兵の前で滑つて転んぢやつた 渡辺白泉

のような「現代の話し言葉」を用いたものとされることが多いです。

しかし、俳句でいう口語体には実際のところ「現代の書き言葉」もふくまれるようです。

ですので、口語俳句とは「現代の話し言葉」「現代の書き言葉」をふくんだ、

『現代語の文体』を用いた俳句ということになりそうです。


梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太

おおかみに蛍が一つ付いていた 金子兜太

昭和通りの梅雨を戦中派が歩く 金子兜太


口語体が『現代語の文体』をさすのであれば、それを基本にして「切れ字」とともに俳句を読むことも可能になります。

そうした俳句は、

「口語体」+「季語」+「切れ字」

といったものになりそうです。


例としては、

平およぎ海をひらいてゆくことよ  切れ字 よ

一日をまっしろにしてしぐれるか  切れ字 か

八重桜世がながながとあかるいぞ  切れ字 ぞ

このほしもほしぞらのなか蛙鳴く  体言切れ

などの詠み方になりますが、これの良い点は、口語俳句でも「切れ字」や「切れ」を使って「詠嘆」したり「間」を活かすことができることです。


切れ字については、「や・かな・けり」などの文語体の俳句の切れ字を、そのまま口語体の俳句の切れ字として使うにはムリがある場合もあります。

古来の切れ字は多くありますので、どの語ならひきつづき口語俳句で使い活かしていくことができるのか、

また口語俳句だからこそ使える新たな切れ字はないのかについて、1つ1つ検証していくことも大切になりそうです。


ここまで口語俳句の3つの詠み方をみてきました。

①「現代の話し言葉」そのものの口語俳句

②『現代語の文体』の口語俳句

③『現代語の文体』+「切れ字」の口語俳句

他にも詠み方はいくつかあるかもしれません。


口語俳句を詠む場合には、文語体がまじるなど純粋に口語体だけで詠むことが難しい場合もあります。

ですので口語俳句とは、

「口語体(現代語の文体)を基本にして詠む俳句」

ということになりそうです。


その逆に、文語俳句とは、

「文語体(古い時代の文体)を基本にして詠む俳句」

ということになるのかもしれません。


仮名づかいについては、現在一般的に使われている「現代仮名づかい」を使うことで、より口語体が活きてくるように思います。

ムリに歴史的仮名づかいにする理由はないように感じます。


俳句で使う言葉を口語体にすることで、詠むものごとが豊富になるのかどうかという問題もあります。

口語俳句で何が新鮮に詠めるようになるのか、何が詠みやすくなって、何が詠みにくくなるのかを見さだめていくことも必要になりそうです。

また口語体で詠むと表現・内容が稚拙になるという指摘もありますが、文語体でも稚拙になることはありますので、それについては詠む人次第ということができそうです。


◯口語俳句の基本的な特徴

・口語体(現代語の文体)を基本にして詠む
・現代語を基本使用
・現代的な切れ字 よ・か・ぞ 等 (要検証)
・575の定型・季語を活用
・現代仮名づかい
・現代の話し言葉そのものの詠み方も可能


◯文語俳句の基本的な特徴

・文語体(古い時代の文体)を基本にして詠む
・古典語を基本使用
・伝統的な切れ字 や・かな・けり 等
・575の定型・季語を活用
・歴史的仮名づかい

例外もあると思いますが、主にこうした特徴が挙げられそうです。


ここからは、まとめになりますが、

文語俳句と口語俳句は結局なにが違うのかというと「基本使用する言葉が違う」ということのようです。

文語俳句:文語体(古い時代の文体)  が基本
口語俳句:口語体(現代語の文体)      が基本

という違いです。

それ以外は俳句として大きく違いませんし、ムリにまったく違うものにしていく必要はないのかもしれません。


口語俳句として、俳句の基本である「575のリズム」「四季折々の季語」「切れ字」をはじめ、切れ、間、格調、機知、余情などを大きく失うことなく詠んでいくことは可能です。

むしろそれらを必要以上に崩しつづけていくと、口語俳句が、俳句とは別の何かになっていく恐れが出てきます。

それは、今日までの俳句の歴史でいえば「自由律化」や「無季化」、一行の「散文化」といったことです。

俳句の重要な基本や型、決まりごとを基本的に引きつぎ土台としながら、新しい俳句表現の可能性を探っていくことでそれは避けられるのではないかとも思います。


口語俳句もまた「俳句」ですので、できることなら文語俳句に肩を並べるほどの「俳句」になっていくことが一方で必要なのかもしれないとも感じました。



*個人的な見解もまじえて短くまとめてみました

*至らない点、充分に書き尽くせていない部分もあるかと思いますがご容赦ください

*俳句については個人・団体によって様々な考え方や見解があります


『 文語口語俳句図 』

文語俳句と口語俳句の
基本的特徴を図にまとめてみました

*明確には分けられない部分も多くありました

◇ 例句の作者 ◇
高浜虚子は、明治〜昭和期の俳人
金子兜太は、大正〜平成期の俳人です

画像を押して拡大してご覧ください


◇引用 作品収録句集

高浜虚子著
句集「高濱虛子集」朝日文庫 1984年
句集「五百句」  改造社  1937年
句集「六百五十句」角川書店 1955年

渡辺白泉著
句集「渡辺白泉全句集」 沖積舎 1984年

金子兜太著 
句集「遊牧集」  蒼土舎  1981年
句集「東国抄」  花神社  2001年
句集「百年」   朔出版  2019年
句集「旅次抄録」 構造社  1977年



いつも
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ありがとうございます

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