口語俳句 〜革新的な詠み方・伝統的な詠み方〜 口語俳句の可能性
俳句にご興味のあるnoteのみなさまに、俳句のさまざまなことについてご紹介していく記事です
「口語俳句
〜革新的な詠み方・伝統的な詠み方〜」
口語俳句とは、口語体で詠む俳句のことです。
まず下記は、
俳句における文語・口語の大まかな図です。
◇文語=文語体=古典語=古い時代の文体
◇口語=口語体=現代語=書き言葉
∟==話し言葉
口語俳句には現在大きく2つの詠み方があるようです。
現代語の「話し言葉」への流れをくんで、ふだんしゃべるような言葉で、より革新的に詠んでいく方法、
現代語の「書き言葉」への流れをくんで、「575」「季語」「切れ字」までを活かして、より伝統的に詠んでいく方法、
双方がそれぞれに口語体の俳句を探究していくことができるようになっています。
ふだんしゃべるような言葉で詠む口語俳句はすでに多くの方が取り組んでいて、この先も詠む方は増えつづけるのではないかと思います。
ですのでここではご参考になる記事をご紹介するだけにとどめておきたいと思います。
しゃべるような言葉で詠まれた俳句が印象的な句集が紹介されています。
◇参考記事 ご紹介◇
ここからは、現代語の文体を基本に「575」「季語」「切れ字」までを活かして詠む口語俳句について記したいと思います。
まずそれに取りくむ意義は何かというと、現在の(文語)俳句の基本・詠み方などを可能なかぎり引き継いでおくことで、口語俳句でもより確実に作品を生みだしていけること、
またこの先、俳句を口語体で詠むことが主流になった場合でもその伝統などを未来につなぎ、のこし、活かしていくことができることです。
もし口語俳句がふだんしゃべるような言葉・型式でしか詠めない俳句になってしまえば、それはもう不可能になってしまいます。
では現在、口語俳句が「俳句」としてどの程度まで詠めるようになっているのかですが、
これまで長く文語俳句を詠んでこられた方が試しに口語俳句を詠んでみようとされるとき、俳句の基本である「575」「季語」「切れ字」をすべて活かして詠む方法がまだ確立されていない事実に突き当たると思います。
特に「切れ字」がたしかに定まっていないことが口語俳句の「切れ」を甘くしていて、
そのために1句に「間」「余韻」「深み」「重厚さ」「格調」などを充分に持たせることが出来ず、また句の「型」の種類を限定的なものにもしています。
ベテラン俳人の方であれば、すぐにそれにお気づきになるのではないかと思います。
数句ならよいのですが50句100句をならべる、もしくは句集にまとめることになったとき、そうした平たい単調さがより浮き彫りになってしまうように感じます。
この問題への対処法としていま応急処置的に行われているのが、
文語俳句で現在使われている「や」「かな」「けり」などの切れ字を、口語俳句の作品群のなかでもそのまま使用するといった方法です。
句はよくないですが、
メッセージ飛ばすや窓におぼろ月
コーヒーのカップの中も朧かな
大ガラス窓に初雪ふりにけり
などの作品をぽつぽつと混ぜこむのですが、現代的な句の内容・言葉と古典的な切れ字が全体的にかみ合わないことが多いようです。
上記でリンクを貼ってご紹介した3記事の句集のなかでも何句となくこの方法がとられています。
こうした方法をこの先も継続していけるのかどうかについて現状では何ともいえないようです。
ただ、特に「や」「かな」「けり」は現代語として現在一般的に使用されておらず、古典語の部類に入る語です。
そうしたあきらかに古典的な切れ字について、記号的な切れ字として使いつづけていくことができるのかどうか、検証は必要になりそうです。
この問題へのもう1つの対処法として、これから先取り組んでいけそうなのが、
口語俳句で使用することができる現代的な切れ字を1つ1つあらたに定めていくといった方法です。
そうした切れ字候補の語は、古来の俳句の切れ字のなかにもすでにいくつかありそうです。
よ・か・ぞ・に・せ・ず・れ・け・は・こそ
などは、現代語としても現在一般的に使用されつづけていて、口語俳句の切れ字となっていく可能性がある語です。
流星群ゆびさしてよりつぎつぎよ
駅の空とんぼばかりのゆうぐれか
観潮船うずのあたりがあかるいぞ
そうぞうがそのまま都市に春の月
町じゅうがすがたあらわせ祇園祭
などの使い方です。
そもそも切れ字とは何なのかについて辞書を調べてみると、
『(俳句で)句中または句末に用いて、句に曲折をもたせたり、特別に言い切る働きをしたりする語。終助詞や用言の終止形・命令形などが多い。』:goo国語辞書
とあります。
つまり現代語の終助詞、用言の終止形・命令形などに上記のような働きをするものがあれば、それらもまた切れ字候補の語であり、
口語俳句の切れ字となっていく可能性があるということになるのではないかと思います。
今後、切れ字が実作とともに1つ1つ定まっていくたびに口語俳句の俳句としての基本はより整っていくのではないかとも思います。
またもう1つ、季語についての問題もいくつかのこっています。
歳時記などをよく読むと、文語体であらわされている季語が少なくないことに気がつきます。
「春深し」「暑し」「秋高し」「寒し」などですが、
「春寒く」「暑さ」「秋高く」「寒さ」などに置きかえることができるのかなど、
口語体の俳句でどう使用して詠んでいくのかについても実作と検証をかさねていく必要はありそうです。
こうした問題を解決して、口語俳句が将来的に「575」「季語」「切れ字」などの俳句の基本を本格的に有したとき、
文語俳句やその伝統を直に引き継ぐ次世代の俳句にもなり得るのではないかと、個人的には感じています。
さいごに、言葉の移り変わりとともに口語体の俳句を詠んだり、取り組んだりする方々は今後もすこしずつ増加していくのではないかと思います。
これから口語俳句に取り組まれる方は、
ふだんしゃべるような言葉で、より革新的に詠んでいきたいのか
「575」「季語」「切れ字」までを活かして、より伝統的に詠んでいきたいのか
もしくは、その両方をバランスよく取りこんで詠んでいきたいのか
といったことについても一度考えてみられる必要があるのではないかとも感じました。
いつも
ご覧いただき
ありがとうございます
*個人的な考え、見解をみじかくまとめてみました
*至らない点、充分に書き尽くせていない部分もあるかと思いますがご容赦ください
*俳句については個人・団体によって様々な考え方や見解があります
◇筆者の活動内容
現代語・口語俳句で、俳句の基本である「575のリズム」「四季折々の季語」「切れ字」をはじめ、切れ、間、格調、機知、余情、深み、重厚さなどを大きく失うことなく詠んでいくための工夫や挑戦をつづけています。
「古来の切れ字18字・切れ字22字」
切れ字 十八字
鎌倉~室町時代
や・かな・けり・よ・か・ぞ・に・へ・せ・
ず・れ・け・ぬ・つ・し・じ・らむ・もがな
切れ字 ニ十ニ字
安土桃山時代
や・かな・けり・よ・か・ぞ・は・こそ・
し・ぬ・じ・む・を・さぞ・いさ・いつ・
いく・いかで・いづれ・もなし・もがな・げぢ
等々
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