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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (1)

1.

 <平成二十六年八月初旬>

 山村精一は散歩の支度をして玄関を出た時、郵便受けに封書があるのに気づいた。昨夜取り忘れたようだ。この頃郵便の配達の時間帯が夕方に変わったらしく、早めに戸締まりをすると、こういうことはままあることだった。精一は、それを一旦は取り出してはみたものの、逡巡した後、郵便受けに戻した。

 精一の一日は散歩から始まる。
 散歩は、退職した二年前から始めた。ほとんど外に出ることがなかった精一を見かねて、妻の美枝子が勧めた。夜勤以外の日は私も付き合うからと先手を打って、気乗りしない精一の逃げ道を断ったのだった。
 今日は近くの河川敷沿いの道を、秋の兆しに触れながら、およそ一時間ほど歩く。道筋もこれといって決めていない。ゆったりとした服装で、携帯電話も持たず、腕時計もしない。そんな物がなくても毎日歩いていると、町が目覚める音を感じながら、心地よい速度を体が覚えている。

「ただいま」
「お帰りなさい。また玄関の鍵、掛かっていなかったわよ」
 小言と共に娘の坂下亜希子が出迎える。精一は「かあさんは……」と言い掛けて口ごもる。かあさんはどうした。亜希子がそれに気づく前に、
「すまん」
 と短く謝った。上がり框あがりかまちひざまづいた亜希子が、精一が靴を脱いだ側からそろえる。
「気をつけてよ。この頃物騒な事件が多いんだから、戸締まりはちゃんとしてよ」
 亜希子の声が、薄手のジャンパーを脱いでいる精一の背中を追い掛けてくる。精一は分かったという合図に片手を上げる。
「もう、本当に心配してるんだからね」
 わかった、わかった。精一はもう一度手を上げる。
 居間に入ると、卓袱台ちゃぶだいに手を突いて座る。新聞を広げながら、精一はふうと息を吐いた。この頃やたら溜息を吐くことが多くなった気がした。亜希子に気取られなかったことをほっとした。

「それから、これ。お父さん、取り込み忘れたみたいよ」
 振り返ると、廊下で亜希子が封筒の端を摘まんで、ぶらぶら振っている。
「ああ、すまんな」
 精一は手を差し出す。ほらっ。亜希子は手紙を渡しながら「お母さん宛よ。山下浩三さんって、誰?」と聞いた。

「いや、知らないな。お前、母さんから聞いたことないか?」
「お父さんが知らないのに、私が分かるわけないじゃない」
「そうか、お前も知らないのか?」
「いやだ。まだ気にしているの」
「いや、そうじゃないが……」

 わだかまりがないと言えば嘘になる。美枝子は、精一には伏せて、亜希子にだけ自分の病気のことを話していた。「お父さんのこと、頼むわね」と添えて。精一は美枝子に感謝しながらも、心にはまだ釈然としないものが残っているのを感じていた。
「お母さんの持ち物の中には、その方の名前ないの? 手紙とか年賀状とか」
「断言はできんが、少なくとも年賀状にはなかったと思う」
「開けてみたら」

「でもなあ」
「気になるんでしょ。見ればいいじゃない。もう、じれったいわね。勝手に開けたって、怒る人はもういないんだから」
 精一は、それでも躊躇ためらいを見せた。
「もう。それ、貸して」
亜希子が手を差し出す。
「いい。俺がやる」
 亜希子は妻と同じで、偏屈へんくつな精一を操るのが上手い。

 達筆なペン字だった。
『前略
 ご返事が遅くなりました。お詫びいたします。
 さてお尋ねの杉本隆さんについてですが、残念ながらお力になれそうもありません。
 と申しますのも妻は去年の冬、鬼籍に入りました。そこで妻が残した物をくまなく調べてみましたが、その方の名前はどこにも見あたりません。妻は小学校で長年国語の教諭をしておりましたので、担任ではなかったにしても教えた生徒は相当数になり、父兄の方や職員の方まで含めるとあまねく調べるのは不可能です。存命でしたらば記憶していることがあったやも知れませんが、今となってはどうしようもありません。
 実は失礼を承知の上で申しますと、あなた様の名前も遺品の中には見つからず、最初は故人を標的にした新手の詐欺かと疑ったぐらいです。ですからご返事を出すべきか否か迷っておりました。しかしながら、文面の行間からあなた様の熱意と誠意を感じましたので、それを信じてご返書を差し上げました。
 お役に立てずに申し訳ありませんでした。
草々』

 精一は意味が掴めなかめず、何度も読み返した。
 ――杉本隆って、誰だ? 妻とはどういう関係だ?
「どう、何か分かった?」
「いいや」
 精一は側で紙面を覗き込んでいた亜希子に視線を送った。亜希子は黙って首を振った。
新にまた一人知らない名前が出てきた。文面からすると、美枝子が先に山下氏の奥さん宛てに手紙を出したようだ。
「ねえ、お父さんさえ知らない名前が二つも出てきた以上、もう一度ちゃんと探してみた方がいいんじゃない。他にも連絡しなくてはいけない方々がいるんじゃないの」
 年賀状は何となく見ているからそんな名前がなかったと記憶していたが、確信がなかったので数年分に目を通した。私信もあたってみたが、二人の名前は見つからなかった。

 だが、それまでの手間をあざ笑うかのように、あっけなくそれは見つかった。
 警察から戻されたハンドバッグの中に美枝子がいつも使っていた手帳があり、栞のひもが挟んであるページを開くと、そこにこれ見よがしに名前のリストがあった。

 山下幸子 死亡 平成二十五年四月十四日
 木村妙子 元婦長 佐野病院 川崎市**町
 小塚奈津美
 杉本隆

 ――何だ、これ?。
 二人は顔を見合わせた。四名の名前が書かれたページ。
 手紙から察するに山下幸子は小学校の教師で、もしかすると美枝子の担任だったかも知れない。木村妙子は、美枝子の同僚だった人らしい。
 残る小塚奈津美や杉本隆の二人と、美枝子の関係は分からない。このリストを作った美枝子の意図も不明だ。
 ――私にどうしてほしいんだ。この人達にお前の死を知らせてほしいのか。

 精一が逡巡していると、亜希子が
「取り敢えず、この木村妙子さんに手紙で連絡を取って何か知らないか聞いてみたら。考えあぐねていても何も進まないし、何も解決しないわよ」
 とけしかける。駄目元よ。こういうところは、亜希子は確かに美枝子の血を引いている。
「でもなあ」
 ――この杉本隆ってのは、お前の心中に想う人だったのか。飽かぬ別れをした男性だったのか。
 三十余年共に人生を歩いて来た。それにも関わらず、妻が死んだ後に、こういう形で他の男の存在を知らされた。
 憤り、驚き、悲しみ、怒り、虚無感。色んな感情が精一の胸を掻き乱した。


 亜希子は精一の朝食が終わると、自宅に帰る。夫の大輔は、用意した朝食を摂ってすでに出勤しているはずだ。後は娘の亜由美を起こして、学校に送り出す仕事が残っている。
 帰る道すがら、
 ――お父さんには悪いけど、何だかミステリーみたいでわくわくするわ。
 亜希子は不謹慎だと思いながらも、弾む心を抑えきれなかった。誰かに話したくて仕方ない。しかし事が事だけに、誰にでもと言うわけにはいかない。
 亜希子は、日中じりじりして、大輔の帰りを待ちわびた。

 夫が帰宅するや否や、今日の出来事を話し出す。
「着替える間ぐらい待ってくれよ」
 大輔は閉口する。
「お父さん、郵便受けの手紙に気づかなかったみたい。大丈夫かな?」
 亜希子は、この所の父の様子を気遣う。
「バカだな。お義父さんがお前に見つけさせたんだよ」
 と大輔が言う。

「えっ、どうして?」
「これは俺の推理だけどな。お義父さんは迷っていたのさ。差出人が見覚えのない男の名前だったからな。だからお前に背中を押してもらいたかっんじゃないかな。だって、かつての恋人から来た手紙だったら、読まずに破り捨てたいと思うのが普通だろうさ」
「ふーん、そうだったんだ。じゃあ、あなたも、そう?」
「さあ、どうかな。その場になってみないと分からないけど、俺だったらそうするかもね」

 大輔が食卓に付くと、すかさず亜希子はビールの栓を抜き、グラスを二つ並べて注いだ。
「私も、付き合うわ」
「おっ、珍しいな。で、それから」
 大輔は先を促した。話は、美枝子が残したリストに及ぶ。美枝子は書き写した手帳を開いた。
「お義母さんもそれを見つけてほしかったということだな」
 大輔はグラスを飲み干した。

「どうして?」
「だっていつも持ち歩いている手帳に書いてあったんだろう。見られるのが嫌だったら、疾うに処分しただろう。それくらいの時間は十分過ぎるほどあったんだから」
 空いた大輔のグラスに、亜希子はビールを満たす。
「ねえ、母はどうして、こんな物を残したのかしら?」

「さあな。ところで、お義母さん、判じ物は好きだったか?」
「判じ物って?」
「江戸時代に流行った、文字や絵画に、ある意味を隠しておき、それを当てさせる遊びさ。つまり推理とかなぞなぞとか、好きだった?」
「さあ、どうかしら。推理小説なんて読んだことないんじゃないかしら。でもテレビのクイズ番組は好きだったみたい。正解だった時は子供みたいに喜んでたもの」

「そう。じゃあ、これはお義母さんの意図した形じゃなかったかも知れないな」
「どういうこと?」
「これはいかにも中途半端だ。纏める途中という感じだ。お義母さんは几帳面な人だっただろう。だからもしお義父さんに何かメッセージを残すのなら、それこそもっとちゃんと分かる形にすると思うんだ」
「事故で亡くなったから、中途半端になってしまったのね」
「うん、そうだと思う」
 大輔はグラスを空にして、
「この残されたリストから、お義母さんの意図を汲み取るしかないな」

「父が言うには、佐野病院って、母が結婚する前に務めていた所らしいの」
「じゃあ、まずは住所が分かっている木村妙子って人から当たるんだな。その方が手っ取り早いだろう」
 大輔は亜希子の顔をじっと見る。
「何よ」
「いや。お前、何だか嬉しそうだな」
「そんなことないわよ。ただ母が消息を知りたかった人って、どんな人かなって思って」

「お義父さんに悪いだろう」
「平気よ。母だって、父と結婚する前に恋愛の一つや二つはしてるでしょう。案外初恋の人だったりして」
 大輔が亜希子を見る。
「私は、大丈夫よ。そんなもの、残さずに死ぬから」
「まあどうであれ、杉本隆という人が見つかれば、全てはっきりするさ。さあ、食べよう」

 亜希子は夕食の間ずっと、今後の進め方を考えていた。

<続く>


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