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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (2)

2.

 <平成二十六年八月下旬>

 木村妙子は手紙を受け取った。以前勤務していた佐野病院気付で書かれたのを自宅に転送してくれたものだ。消印を見ると、投函は一週間ほど前になっている。
 裏書きを見る。差出人は神奈川県大和市 山村精一とあった。妙子は首を傾げた。多少記憶力は落ちたとは言え、その名に心当たりはなかった。改めて表書きを見ると、決して達筆ではないが一文字一文字丁寧に書いてあり、誠実そうな人柄がうかがえる字だ。妙子はほっとした。

 この頃は矢鱈やたらとダイレクトメールが届くが、みなプリンターで印刷された文字で、読みやすくはあるのだが心を感じられない。そうはいっても、在職中は業務に忙殺され、二百通以上の年賀状を出す際には自分もその方法を使っていたので同じ穴のむじなではあるが。
 退職して時間にも余裕ができたが、そうなると手書きの手紙を出す相手が極端に少ないことに気づいた。いかに仕事上の付き合いが多かったのか、愕然がくぜんとしたものだ。

 文面は、突然の手紙を詫びた後に、自分は旧姓高松美枝子の夫であったこと、美枝子は三十年ほど前に佐野病院で看護婦をしていたこと、二ヶ月前に美枝子が事故で亡くなったことが述べられていた。その上で、どうも妻の知り合いらしいのだが杉本隆という人をご存じないか。生前妻が行方を捜していたようだ、とあった。

 妙子は、そこまで読んで手紙をテーブルに置いて老眼鏡を外した。最近細かい文字を読むのが辛い。眉間の辺りを指の腹でんだ。

 更に読み進めると、つい最近書かれた手帳のページに杉本隆と並んで妙子の名前があったと続いていた。その意味する所は分からないが、話をうかがえると何か解決の糸口が掴めるかも知れない。ご迷惑でなければお会いできないかと記されていた。

 妙子は手紙の内容に戸惑いを覚えた。山村が何を知りたいのか真意が全く掴めなかった。
 ――三十年ほど前というと、内科にいた頃かしら。
 妙子は当時を振り返った。
 佐野病院は川崎市ではかなり大きな総合病院で、当時は外科、内科、産婦人科、小児科など十を超える診療科があった。
 婦長だった妙子は十数名の看護婦を束ねていた。定年退職するまでの間には、幾つか診療科を移動していたから累計すると部下だった看護婦の数は百名以上になるはずだ。付き合いが長いとか、関係が深ければ記憶している人もいる。しかし若い看護婦は入れ替わりが激しく、しかもあくまでも仕事上の関係だけで個人的な付き合いを避ける人が多かった。そんな人を一々覚えてはいられない。
 その上退職してから十年以上経って、記憶も大分薄れてきている。

 妙子はパソコンを立ち上げて、現役時代の名簿を開いた。妙子は几帳面な性格で、佐野病院に勤務し始めた頃から退職に到るまで、自分が所属した診療科の看護婦全員の名前を一覧表にして保存していた。この頃は自分の記憶だけでは覚束おぼつかなくて、こういうツールに頼ることが多くなった。その中にも高松美枝子の名前はなかった。
 そもそも高松美枝子という名前は記憶になかった。手紙の内容は自分とは関係ないのではと、妙子は思い始めていた。

 しかし家族から元同僚が亡くなったと知らされたからには、かつて当院で婦長だった者として知らん顔もできなかった。とは言っても、名前に記憶がないような人の弔問に行くのは正直気が重かった。

 二週間ほど経って、精一の元に妙子から返事が届いた。
 突然の精一からの手紙に戸惑っている様子が文面の随所に見られた。
 お悔やみの言葉に続いて、返事が遅くなったことへの詫びが述べられていた。
 誠に申し訳ないがと断って、美枝子さんの名に覚えが無いこと。現役時代一緒に仕事した看護婦の名簿を手繰たぐってみたが、美枝子さんの名前がないこと。お尋ねの件に関してはお役に立てないだろうが、嘗ての同僚として線香をあげさせて頂きたい旨が添えてあった。

 妙子が訪問する日に合わせて、精一は亜希子に同席を頼んだ。相手への恐怖を抑えるためだった。
 と言うのは 精一には目尻に縦の目だつ傷があり、笑うとそれがひきつって目つきが悪くなるからだ。しかも、がかいも大きいので、大抵初めて会う人は精一をその筋の人と勘違いして怖がる。だから日頃は薄い色のサングラスを付けて傷を隠しているのだが、かえって恐いよと孫の亜由美からは笑われている。
 それに無口な精一だけでは場が持たない。

 約束の時間に表れた木村妙子は、矍鑠かくしゃくとした女性で、品のあるたたずまいだった。
 四方山話の後、妙子の病院での思い出話になった。亜希子は看護師ということもあり、あるある話で少しは弾んだがそれも直ぐに底を突いた。
 精一と亜希子は、妙子から病院内での話を聞くことで、何か杉本隆との関係解明への手掛かりが分かるのではと期待していたのだ。しかもそれが何かさえも見当も付いていないにも関わらずだ。それこそ雲を掴むような話だった。

 改めて精一からリストのことについて何か知らないかと尋ねられたが、妙子は全く心当たりがないとしか答えられなかった。
 二人があからさまにがっかりした様子を見せたことに、妙子は少し腹が立ったがおくびにも出さなかった。

 妙子は話が切れたのを汐に暇を告げた。


 妙子が帰った後、精一は、亜希子の口車に乗って行動を起こしたことを後悔し始めていた。
「やはり、あれには意味なかったんじゃないか」
「そうかもね。それでも少し進歩したわ」
「どこがだ」
「分からないってことが、分かったんだもの」
「禅問答しているんじゃないぞ」
「わかってるわよ。他の手がないか、ちょっと考えてみるわ」
 ここで糸が切れてしまった。


 帰る間中、ずっと妙子は先ほどのことを考えていた。
 ――あの人達は何が知りたかったのか?
 ――何を期待していたのか?
 あの頃は看護婦は「きつい」「きたない」「危険」所謂いわゆる3Kと呼ばれるような、地道で体力的、精神的に負担の大きい職業で、若い人が入っても直ぐに辞めていった。名簿にあった看護婦でもほとんど記憶にない人も多い。いわんや名簿にない人をや、だ。
 ――それなのに何よ、あの態度。

 家に着いて一人夕食の準備をしながらも、そのことが頭から離れなかった。妙子は仕事柄患者や家族から感謝されこそすれ、落胆されたりすることはなかったからだ。
 考えれば考えるほど、段々怒りが増してくる。夫でもいれば愚痴も聞いてくれようが、頼みの夫は三年前に他界していた。

 ――やはりあの頃の日記を見るしかないか。
 妙子は几帳面な性格で、看護日誌や覚え書きを日記にして、年毎に記録していた。それは現役時代から今もなお続けている。古いものも、きちんと保管している。しかし、精一から手紙をもらった時点では、それを捜そうという気にはならなかった。と言うのも、定年退職した時、整理整頓して古い日記類は押入のかなり奥の方に仕舞ったからだ。
 ――三十年前と言っていたわね。でも今日はそんな気分じゃない。

 次の日、妙子は押入を捜し、その中から美枝子が病院にいたと聞いた年と、念のためその前後二三年分の日記を取り出した。それらを居間に持ち運んだ。
 紅茶を入れて一口すすってから、それを古い順にめくり始めた。一年一冊で、ページを開くと細かい文字がぎっしり並んでいた。一日毎に、患者と担当の看護婦の名前、処置した内容やその経過まで事細かに書いてある。
 ――我ながら、感心するわ。

 新しい看護婦が配属されたら、赤い文字で名前を書いていたことも思い出した。すっかり忘れていたが、それが自分の決め事だったようだ。じっくり見ていたら、一冊目を通すのに一時間以上掛かっていた。
 目頭を指で揉み、すっかり温くなった紅茶を口に運んだ。

 三冊目に、初めて赤い字で高松美枝子の名があった。この年の三月に、当時妙子が婦長をしていた内科に配属になったようだ。なぜ高松美枝子が名簿から漏れていたのかは分からない。読み進むと、その三ヶ月後には外科に転属になっていた。

 更に捲っていると、ある日付の日記が目に付いた。
 美枝子が転属して一ヶ月ほど経った頃、一人の男性が救急車で運び込まれてきた。その時、ちょっとした騒ぎになったことを思い出した。

 佐野病院は救急指定病院ではない。その時救急車に同乗して当院に引導してきたのが美枝子だった。事故現場に居合わせたと釈明した。男性は頭を負傷していたので緊急を要した。時間外でもなかったので一番近い当院に運んだとのことだった。
 男性は一命は取り留めたが、意識が戻った時、脳に損傷を負ったせいで記憶がなかった。自分が誰なのかも分からない状態だった。言葉はしゃべれたし、物の意味とかは分かったから、エピソード記憶に関する部位だけが損傷を受けたらしい。看護婦達は彼のことは便宜的にAさんと呼んでいた。その患者の担当が、高松美枝子だった。

 男性が入院して二ヶ月ほど経った頃の日記に、『女性来院。Aさんの知り合いか?』とあり、『コヅカナツミさんからメモを預かる』と記されていた。漢字で確認せずに音だけを記載したようだ。メモの内容については記載が無い。
 ――おそらく私は関わり合いになるのを恐れたのだろう。多分これだ。
 彼女はそれを見て、入院患者の中に交通事故で運ばれた男性はいないかと聞きに来た若い女性がいたことを思い出した。
 受付では個人情報だから教えることは出来ないとけんもほろろに断られ、肩を落として立ち去ろうとした女性を不憫に思った妙子が呼び止め、別室に誘い世間話という形で話を聞いたのだった。
 そのメモを担当していた高松美枝子に託し、Aが退院する時に渡すよう伝えたことを思い出した。その時併せて、その女性の捜している男性がAかどうかは分からないが可能性はあると告げたことも。メモには連絡先が書いてあったはずだが内容は思い出せなかった。

 そうするうちに、妙子を不愉快にさせることまで思い出した。それは、自分の忠告を聞かず美枝子がAと恋愛関係になったことだ。
 妙子は、病院内にそんな私的感情が持ち込まれ、そのことで仕事に支障が出たり、ひいては医療ミスに繋がるのを極端に嫌っていた。だから、Aに対してあまりにも献身的な様子が見られた時、元上司としてかなり厳しく叱ったつもりだった。それにもかかわらず、退院後もAの面倒をみているらしいと小耳に挟んで、顔をしかめた。

 だから、二年後、美枝子がA(その時は新しい戸籍を作り、山村精一と名乗っていた)と結婚して病院を辞めると挨拶に来た時は、リスクが無くなったことを喜びさえすれ、心から二人を祝う気にはなれず、通り一遍に祝福の言葉を述べただけだった。
 ――高松美枝子を名簿から外したのは、このせいだろう。私も人間が小さいなあ。

 ――おそらく、私と彼女の唯一の接点は、そのメモだ。

 妙子はそう直感した。三十年以上も音信不通だった美枝子が死に際して自分の名前を書き残した理由は、それしか思い当たらなかった。

 ――だが、このことを直ぐに教えてやることはない。せめて腹の虫が治まるまで待っても、どこからも文句を言われる筋合いはない。

 妙子はすっかり冷めた紅茶を飲み干した。

<続く>


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