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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】リスト (5)

5.

「これから直ぐ行くって、どういうこと?」
 亜希子が詰め寄る。
「お父さん、今日は石井雅子さんに会う約束なのよ。分かっている? 石井さん、忙しい中、何とか時間を作ってくれたのよ」
「申し訳ないと思っている。事情を説明して謝るよ。できれば先様には延ばしてもらいたいが、これきりになっても、それはそれで仕方ないことだ。そういう巡り合わせだったと諦めるさ。お前も今日休みを取ってくれたんだよな。本当にすまん」
 山村が真正面から頭を下げると、
「やめてよ。私はいいわよ。このところ忙しかったから、今日はゆっくり骨休めでもするわ」
 亜希子は少し斜になって精一の視線を避けた。

「社長が言うには、NC機械が壊れて直ぐには修理できないそうだ」
「それがお父さんと、どう関係あるの?」
「何でも、急ぎの仕事を受けていてな。納期が明日らしいんだが、今使える機械は旧いのしかなくて、若いのじゃ使えないらしいんだ」
「自業自得よ。いい気味じゃ無い」
「そう身もふたもない言い方をするなよ。社長だって、恥も外聞も無く私を頼ってきたんだ。無下に断るわけにもいかんだろう」

「でもその人、お父さんを首にした人でしょう」
亜希子がとがめる。
「俺の方から辞表を出したんだよ」
「同じことよ。そうするように仕向けられたんでしょう。それが、全くどの面下げて、電話してきたのよ」
「そう言うな。先代社長には一方ならぬ世話になったんだ。俺が今日あるのは先代社長のお陰だ。そのことは母さんも分かってくれるはずだ」

 八時前に浜田製作所に着いた。
 新しい、小洒落てこぢんまりとした家々が並ぶ住宅地のど真ん中に、広い駐車場を備えた工場があり、そこだけ場違いに見える。周りを人の背丈以上ありそうなブロックへいで囲まれている。これは精一が退社した時点ではなかったものだ。
 精一が敷地内一歩足を踏み入れると、金属を削る甲高い音が全身を震わせ、潤滑油が焼ける臭いが鼻腔をくすぐった。精一はしばしたたずんで古巣の感覚に浸った。


 浜田がこの場所に工場を建てたのは、昭和四十八年。その頃には、周り数キロ四方には田畑の他に何もなかった。従って夜中にどんな大きな音をたてようと、どこからも苦情は出なかった。
 しかし田畑がつぶされ周りに民家が建ち始めるにつれて、騒音や異臭といった苦情が出始めてきた。十数年前、少し離れた場所に工業団地が整備され、そこに移転すれば苦情などの心配はなくなるが、中国からの安い製品が流入する中、投資に見合うだけの受注が得られるか先行きが見えず躊躇ちゅうちょしていた。息子の大輔は商社に勤務しており、浜田も跡を継がせる積りはなかった。浜田は、いざとなったら廃業も視野に入れていた。

 そんな矢先、浜田は脳梗塞で倒れた。一時は命の危険もあった。克也は父親の現場復帰が無理だと判明した段階で、工場を閉鎖するか、自分が跡を継いで継続するかの選択を迫られた。父が心血を注いだ工場と家族同然の社員をどうするか。散々迷った挙げ句、克也は退職して跡を継ぐことにした。
克也は、工場を建て直すため人件費削減と合理化という大鉈を振るった。その一段としてNC機械を導入した。

 精一には、技能では他人ひとには引けを取らないという矜持きょうじがあった。かつて技能五輪全国大会(技能オリンピック)の旋盤部門で入賞したこともあった。
 だが克也はコストパフォーマンスを求めた。いたずらに高精度を追求するのではなく、コストに見合った精度で十分とした。

 精一も新社長を盛り立てていかなくてはと思う。かといって今更NC機械の操作を覚える気にもならない。精一は時流に取り残された気がした。それに自分が辞めることで、若い技術者が一人でも多く残ることができるのなら、その方が将来的に会社のためになる。
 ――老兵は死なず……か。
 精一は、社長の克也に辞意を伝えた後、病室に浜田を訪ねた。

「そうか。すまんな、精一。すまんな」
 浜田はまだ少し呂律ろれつの回らない口で何度も謝った。
「おやっさんは、出自の知れない私を雇ってくれて、一人前になるまで仕込んでくれました。本当に感謝しています。ろくに恩返しもできていないのに、こんな形で去ることになって、本当にすみません」
「よせやい。お前は十分にやってくれた。世話になったな。ありがとうよ」
 深々と頭を下げる精一の肩を、何とか動く左手でポンポンと叩いて労った。

 浜田は、二ヶ月後に退院した。しかし右半身に麻痺が残った。


「あっ、山さん、おはようございます。お久ぶりです。お元気そうで。おやっさん、待ってますよ」
 精一を出迎えた若い工員は杉山といった。精一がここを辞めた時はまだ初々しさが残る若手だった。杉山は一旦奥に引き込み、浜田の車いすを押しながら戻って来た。

「精一、今日はありがとうな」
「おやっさん。ご無沙汰してます。先日は過分に香典まで戴きまして、ありがとうございました」
「お内儀の葬式には参列できずにすまなかった」
「いいえ、英二が来てくれましたんで。おやっさんや社長には供花まで手配してもらって、重ねてお礼申し上げます」
「もう、それぐらいでいいよ」

「体の具合の方はどうですか?」
「俺の方は相変わらずだ。今更どうなるもんでもない。それより、すまんな。今朝早く、大輔から電話があっただろう。お前にも用事があったんじゃないか」」
「いいえ、独り身ですから何とでもなります」
「そうか。本当にすまんな。東和精機さんからの注文でな、時間がないんだ」

 東和精機。ここは部品の精度が厳しい割に短納期で有名な会社だった。
 ――ここの仕事は面白かったが、散々苦労もさせられたなあ。

「今日、英二は?」
 竹内英二は中堅どころで、精一が目を掛けていた後輩だ。
「それが、お盆前に急ぎの仕事があってな、休み返上で働いてもらったから、ご褒美も付けて遅い盆休みを取らせたんだ」
 営業は多少無理してでも注文を取って来るのが仕事だ。だが、よりによってこんな時に機械が壊れるなど想定外のことだった。

「英二がいれば旧い機械も使えるから何とかなるんだが。何せ北海道だからな、直ぐに呼び戻しても、とても納期に間に合わん。せめて俺の手が動けば……」
 浜田は唇を噛む。
「おやっさん……」
「すまん、精一。今更こんなこと頼めた義理じゃ無いんだが、他に頼れる者がいないんだよ。すまん、助けてくれんか」
 車椅子に埋もれるように頭を下げる浜田。精一は浜田の手を握った。
「おやっさん、頭を上げて下さい。じゃあ早速取り掛かりますんで」
「ゴーグルと安全靴は用意してある。作業服に着替えて、直ぐにでも始めてくれ。材料取りは済ませてある。お前が使っていた機械は、英二に頼んで時々整備しておったから、今すぐでも動かせるはずだ」

「で、何時までに上げますか?」
「今日の夕方には出荷せんと、先方には間に合わん」

精一は直ぐに着替えて機械のスイッチを入れた。


「よし、これで全部だ。スギ、これを直ぐ検査に回してくれ」
 精一は杉山に製品を渡して、大きく伸びをした。肩と首筋が凝っている。その痛みさえ懐かしい。
「ご苦労だったな。久しぶりで疲れただろう」
 浜田の車いすの後ろに克也が立っていた。克也は深くお辞儀をした後、事務所に戻って行った。

 浜田は首を回して見送りながら、
「すまんな。礼儀を知らん出来損ないの息子で」
「いいえ、社長が人前でぺこぺこしていたら、皆への示しが付きません」
 あっちに行こう。
 浜田は休憩室を目で指した。

「では後片付けしてから、追いかけます」
「いいよ、後で杉山にやらせるよ」
「いいえ、人任せにはできません。それまでが仕事ですから」
「そうだったな」

 浜田は休憩室で精一を待っていた。
「助かったよ。七時前に終えてくれて。内心ひやひやしていたんだ」
「何かあるんですか?」
「この頃、何だかんだと五月蠅くてな。周りにブロック塀があっただろう。あれも防音対策なんだが、それでも七時には大型の機械は止めなきゃならん。俺がここに工場を建てた時は、地主も大喜びしてくれたもんだが。今じゃ、すっかり厄介者やっかいもの扱いだ。まったく世知辛せちがらい世の中になったもんだ。作業時間も短縮しているが、それでも環境対策費が増えるばかりで、かと言って製品価格は抑えられる一方でな、これ以上厳しくなったら、ここもやっていけなくなるかも知れんな」
 精一は浜田の愚痴ぐちを黙って聞いていた。自分はもう話の埒外らちがいにいる、そんな寂寥せきりょうを覚えた。

「ところで、お前がここに来たのは、いつだっけかな?」
 浜田が話題を変えた。
「もう三十年ほど前ですね」
「そうか、もうそんなに経つか。あの時、美枝子さんが『この人を雇って下さい』って、事務所に押し掛けて来た時は、正直驚いたよ」
「どうもすみません。散歩の途中に求人の広告を見たものですから。あいつは無鉄砲で、後先考えずに動くところがありましたんで」

 浜田はジャケットの内ポケットから封筒を取り出した。
「今日はすまなかったな。少ないが、今日の手間賃だ。受け取ってくれ」
「いいえ、それは困ります。おやっさんには、まだまだ返しきれないほどの恩がありますから……」
「そんなもん、とっくに返してもらったよ」
「どこの馬の骨かも分からない私を、黙って雇ってくれたじゃないですか」
「ああ、あれか。あの時、俺が手を見せろと言ったこと、覚えているか」
「はい」
「俺はお前の手を一目見て分かったよ。こいつは真っ当に生きてきたやつだってな。お前は、そんな手をしていた。ごつくて、傷だらけで、堅い肉刺まめがあった。俺にはそれで十分だった」

 精一は自分の手を見る。
「俺の目に狂いはなかったってことだな。でも一番の決め手は、美枝子さんの押しの強さだったかな」
 浜田はそう言って豪快に笑った。
「やっぱり、そうでしたか」
 精一もつられて笑った。


 しばらくして克也が休憩室に顔を出した。安堵の表情だった。
「精一さん、全品検査OKです。本当にありがとうございました。それでは私は、これから直ぐに発送準備に入ります」

 入れ替わりに、杉山が休憩室の入り口から顔をのぞかせた。
「英二さん、留守中に精一さんが来たことを知ったら、地団駄じだんだ踏んで悔しがりますよ、きっと」
「そんな所にいないで、入って来いよ」
「いえ、自分はここで。お二人の昔話を邪魔したくないんで」
「何、殊勝なこと言ってるんだ。あれっ、精一、お前タバコ止めたのか?」
「はい。あいつが死んでから、何となく」

「何となく、か。お前らしいな。止められたんだったら、その方がいい。今じゃ、どこへ行っても禁煙、禁煙で、肩身が狭いくて。なあ、スギ」
 浜田が杉山に同意を求めると、
「自分、吸わないっすよ」
「何だぁ、お前も俺の敵か。じゃあ、さっさと向こう行って、仕事しろ」
 はーいっ。間の抜けて声を残して、杉山は奥に消えた。浜田の目元が緩む。浜田はくわえていたタバコを苦労して箱に戻し、ポケットに仕舞い込んだ。

「今、何してるんだ?」
「機械工の派遣会社みたいなもの、やってます。最新の機械は扱えなくても、昔ながらの旋盤やフライスなら使える、そんな機械工を町工場にパートタイムで斡旋あっせんするんです。社員は、まだ都築さんと私の二人だけなんですが。昔のつてを使って、需要はそこそこあるんですよ」
「都築って、うちにいた都築次郎か。あいつにも悪いことしたな。元気でやってるか?」
 精一は、都築とは年が同じということもあり直ぐに意気投合して、俺お前で呼び合う仲になった。だが精一は会社では先輩を立てて都築さんと呼んでいた。
「はい。頑張ってますよ」
「うん、うん。それはよかった。じゃあ、うちも得意先の一つに入れてくれ。それだと、これからも心置きなく頼める。だから今日の分は受け取ってくれ」
 浜田は精一の作業着の胸ポケットに封筒を押し込んだ。
「分かりました。では遠慮なく頂きます。では、着替えて来ます」

 精一が戻ると、浜田と杉山が談笑していた。
「お前、美枝子さんと知り合ったのいつ頃だ?」
 浜田は何の脈絡もなく尋ねてきた。
「私が交通事故にって運び込まれた病院で、あいつは看護婦をしてました。退院後も、何かと面倒を見てくれて。それが縁で所帯を持ちました。何か?」
「そうか。いや、なに。この頃はやることがなくてな、昔のことをよく思い出すんだ。どうでもいいようなことばかりな。いつだったか美枝子さんが『この人、小さい頃から手先が器用だったんですよ』って、そんなこと言ったように覚えていてな。いや俺の記憶違いかも知れん」
「ではこれで失礼します。おやっさんも、お元気で。また呼んで下さい」
 精一が暇を告げると、浜田は左手を差し出した。精一は両手でしっかり握りしめた。


 帰り道、精一は何度も何度も振り返る。浜田と杉山の姿が豆粒ほどの大きさになって、やがて見えなくなった。

 精一は、やはり無理を通してでも来てよかったと思った。

<続く>


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