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マイノリティで生きる

私はマイノリティだ。
あまり人に理解されない感覚や感情を持っているように感じる。
一度はまった思考の穴には、
小石や砂を絡めとりながらどんどん入り込んでいく。
幼いころからずっとそうやって生きてきた。

世の中で、例えばLGBTQとか聴覚障がい者みたいに
名称を与えられた”マイノリティ”ではないけど、
それでも抱いてきた孤独感や疎外感は結構深いところで燻っていると思う。

誰かに心を開くことが怖い。
その話はしたくない、よく分からない、と逃げられることが多かったから。

深いところで繋がりたいのに、
そう思っている人は少数なのかもしれない。
そもそも、日常的にこんなくだらない思考をしている人は
あまりいないのかもしれない。
そう思うようになった。

いつしか、話すことが苦手になった。
自分の身体には七色の言葉がぎっしり詰まっているのに、
それを言葉で表現することができなくなった。
どんな言葉を選んでも伝わらないことに気付いたから。

自分はおかしい、特別だ、という被害者ヅラで不幸を気取っていた。

でも本当は、
この世にはマイノリティしかいないのかもしれない。
少なくとも、「考える人間」は全てマイノリティじゃない?
だって、考えれば考えるほど、私たちは唯一無二だし誰とも分かり合えないってことに気づくから。
そりゃそうだよね、あなたと全く同じ価値観を持っている人は、
宇宙のどこを探してもいない。

だから、私たちはそれぞれに孤独でひとりぼっちでマイノリティ、
というか「オンリーワン」だ。

その孤独を受け入れて生きる方法。
それは人を愛し、自分を愛すこと。

自分を愛さない人間は、いつも自分の内面のことに頭が支配される。
自分のことで精一杯になる。
「自分は周りからどう思われているんだろう」に囚われて、
言動における全ての選択は、人から嫌われないことが基準になる。
優しい人間に思われたいから
人に気を遣い、簡単になんでも譲るんでしょ。

自己防衛だ。

本当の優しさは、人を思いやるということ。
利他的であるということ。
自分が周りにどう思われようと、相手のためを思った行動をすることだ。

愛されたいなら、人を愛す。
人を愛すには、自分を愛すのだ。

周りと決定的に違う何かを見つけても、
人間に馴染めないと思っても、
そんな自分を自分で許容するのだ。

毎日がその訓練だ。
反省はしても、自分を責めない。
どんなに理想とかけ離れていても、それがあなただ。
かけがえのないあなただ。
大好きになれなくても、嫌いにはならないであげよう。

そんなことを、『正欲』を読んで思いました。





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