私のおもしろさがわからないの?ざっこ♡
皆さん、「メスガキ」をご存じか?
ちょっと前に流行ったイラスト?マンガ?のいちジャンルで、「ざーこざぁこ」と煽ってくるクソガキ。
最初はなんだか苦手で非表示にしてたんだけど、『葬送のフリーレン』でアウラがメスガキキャラらしく、アウラが煽ってくるイラストで「メスガキ」が再燃していた。
でもそういうキャラだとわかれば見ることはできる。
そしてそれに付随する「理解らせ」というジャンルもある。
「ざーこ」と煽ってきた相手をやり返すことで間違いを認めさせ謝らせる。
言葉で表すとなんだか固い表現になってしまうが、要は「仕返し」である。
アニメ『葬送のフリーレン』第10話でも、驕り高ぶったアウラがフリーレンの圧倒的な魔力量で倒される「理解らせ」が起きていた。
だからアウラが「メスガキ」であり「理解らせ」られる二次創作が出回るのだ。
ちょっと待て。
今日のnote書くのめんどくさいぞ。
「わからせ」で「理解らせ」が出てこない。
わざわざ「りかいらせ」と打たなければならないのだ。
まぁ単語登録すればいいんだけど、このnoteのためだけにそんなことしなきゃいけないか?
「理解らせ」って単語を、このnote以降に書く未来が見えない。
そもそも「理解」と「わかる」って若干意味違うよね。
「理解」は理由とか論理とかを、具体的、論理的に履修している感じ。
「わかる」は感覚的、感情的に受け止められる感じ。
例えとして出すのはよろしくないかもしれないが、女性の「生理」というのがある。
これが「月に1回来るものだ」とか、「お腹が痛くなる」とか、「個人差がある」とかというように、知識として理解することはできるのだ。
しかし、僕が「男」という性別であるが故に、「どう痛いのか」、「どうしていれば楽になるのか」、「こんな感情が湧くのか」みたいな、経験して共感しわかり合うことはできない。
男にとって女性の生理は、「理解してるけどわからないもの」と言える。
だから女性に対して「辛いよね、わかるよ」と言おうものなら、「お前に何がわかるんだ」というお叱りを受ける。
というかそもそも、こうしてnoteに書いていることすら嫌なのかもしれない。
真相は僕が男である限り闇の中。
やはりわかっていないのである。
となると、「理解」と書いて「理解らせ」と読ませるこの文化はどういうことなんだろう。
僕の解釈としては、論理的に理解させ、感情的にもわからせる、完膚なきまでの「知」。
これが「理解らせ」だと思う。
何度も言うが、アウラがまさにそうだった。
フリーレンの完璧な魔力制限と、解き放たれた圧倒的な魔力量、そして「服従させる魔法」による天秤の傾きで理を知り、「自害しろ」という命の下、自分の首に刃を当て”断頭台のアウラ”最後の断頭で「敗北」という感情を知る。
論理と感情の狭間で立ち往生し、どうすることもできなくなる「理解らせ」。
「メスガキ」だけだと煽りだけでイラッと来る作品でも、「理解らせ」というオチがあることで物語が完結する。
このおもしろさを、やっと僕は理解らせられた。
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