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「頑張れ」なんて言うなよクソが

死に物狂いで生きてんだ
そう簡単に言わないでおくれ

『風のささやき』|あいみょん


「頑張れよ」とよく言われる。

感情が表に出てないのだろうか、体育祭のリレー前に言われたことを思い出した。

リレーって選ばれた人が走るものだから頑張るも何もなく、ただセンスの話。

これが全員参加のリレーなら多少の努力で最下位回避という偉業はなせる。

そういう時の「頑張れ」は合っている気がする。


足の遅いみなさん、どうなのだろうか。

「リレー」という単語だけで蕁麻疹が出るのだろうか。

僕は目立たない程度に足が速い。

と言ってもこれは高校生だった何年か前の話で、今は衰えているだろう。

しかも「目立たない程度」なのでアンカーで接戦を制し、手で1を表しながらゴールする主人公になることはなく、真ん中あたりでバトンを受け、現状維持か一人抜くかくらいの活躍でバトン繋ぐ程度の人。

故にリレーで「頑張って」は意味がわからないのだ。

頑張ろうが頑張るまいが走る速度は一定であり、前を抜けそうなら抜く、抜けそうに無いなら差を維持する。

それだけである。


この話やめよう。

「リレーの選手に選ばれるだけで主人公だろ」という陰側の僕のやっかみがうるさい。

こんな感じだから覇気が無く「頑張れ」なんて言われるんだろうな。

何がいいたいのか。

僕の実力には上限があり、その上限を出すようにする「頑張っている状態」だからこれ以上の頑張りを求めるな

これだ。

リレーである。

しかもクラスやら部活やらの代表である。

そりゃあ全力を出して頑張るよ。

ただ、体育祭のリレーのために「コンマ1秒でもタイムを縮めよう」と練習するような熱血ではない。

僕は僕のまま頑張るからそれ以上を期待するな。


そんな意味を込めて「頑張れなんて言わないでよ」と言ったこともあるけれど、応援の意味が込められた「頑張れ」が止むことはなく、僕は頑張りを要求される。

僕は「頑張れ」の代わりにこう言うことにしている。

「楽しんで来いよ」

「楽しむ」ためには多少の努力は必要だ。

ただ努力はキツいものでもある。

しかしその先に「楽しい」があれば続けられる。

それを認識してもらうために「楽しんでこい」と言う。

努力した先が楽しいものでないならやめればいいと思う。

今、頑張っているってことはその先に「楽しい」が待っており、そんな状態の人に「頑張れよ」というのは二重課税みたいなもの。

所得で税を取られ、消費で税を取られることを「嫌だ」と感じている人がいるように、頑張りに「頑張れ」と言われることを嫌がる人はいる。

頑張っている人の頑張りがどれほどキツいものなのか。

それは想像してもしきれないほどであると思う。

わからないのなら「わからない」ことだけ理解して、その先を照らしてあげること。

リレーなら「勝ちたい」だ。

そりゃあ1位を取れれば万々歳。

ただ、それを取れるのは一組だけ。

どんな結果であれ「楽しかったね」。

そう言えた組が本当の勝ち組である。

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